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その四 美女と野獣

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あたしの名前は萩(はぎ)。前は違う名前だった、もうそれはどうでもいい。十の時に、長者様の家に売られた。その時に、長者様の庭に萩の花が咲いていたから、「萩」となった。
ひどい名前のつけられ方だけど、あたしは気に入っている。
「萩はどんな土地でも、よく育つし、毎年芽を出す。強い花だ。だからお前は強く生きられるんだ」って言われた。何人目か忘れたけど、抱かれた「物知り顔」の男がそう言っていた。顔なんか覚えちゃないけどね。そう言う事よりも、とにかく萩はキレイだから好きだ。あたしとは違い上品でか弱げなキレイさがある。だから、この名前は気に入っている。
 あたしは十の時に、長者様の家に婢女(はしため)として売られてきた。家が貧乏で口減らしということもあり、わずかな金額で売られたらしい。もう八年も前になる。
 それ以来、親兄弟とは一度も会ったことはない。十二の時に、長者様に抱かれて、「女」になった。その時は、長者様は五十くらいだったと思う。長者様の「お手つき」になったとはいえ、「そういう存在」にしてもらえるわけでもなく、婢女のままだ。まあ、使用人仲間たちは、いじめられなくなったから、それは良かった。
 長者様は、あたしが十六の時に死に、今はその息子が跡を継いでいる。さすがに、「新しい長者様」はあたしに手をつけようとはしなかったけれど、使用人の男衆はすぐに言い寄ってきた。別段、義理立てすることもないから、気に入った男たちと寝てあげた。長くて三か月、短ければ一回で終わるような付き合いだ。
 男たちは、そんなあたしを「都合がいい」くらいにしか思ってないだろうし、女たちはまるで汚いものを見るような目で見て来る。
別段気にしない。あたしは、本当にそんなもんだから。でも、そんなあたしにも、大切な「もの」が出来たんだ。男じゃあないよ。女さ。
まだ五歳くらいの可愛い女の子。
「新しい長者様」の末のお嬢ちゃんさ。
名前は「夕」様。このお嬢ちゃん、生まれながらに、少しばかり知恵が遅れていんだ。
それもあって、友様はとても、とても大切にされている。
この夕様がどういう訳か、あたしにとにかく懐いている。ほら、夕様みたいな子って、上手く出来ないことも沢山あるけど、そこらの人間よりも余程
素直で邪気がない。
そういう夕様だから、あたしみたいな嫌われ者にも懐いてくれたんだろうね。
あたしは生まれて初めて、自分を慕ってくれる存在が出来たんだ。嬉しくてね。だから精一杯に夕様の面倒を見た。夕様はますます、あたしに懐いてくる。
夕様はあたしが作った「ひいな」で遊ぶのが大好き。(紙を切って作った人型のもの。当時、紙は貴重だったため、紙の人形遊びは貴族や裕福な家でなければできない遊びであった。)
時の経つのも忘れて、ひいなに着物を着せたり、物を食べさせたりして遊んでいる。そしていつも言ってくれるんだ。
「萩、大好き。ずっと一緒にいてね」って。可愛いだろう。 
三日前、それなりに幸せだったあたしの生活は、突然変わった。
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