上 下
37 / 79
その三 ファースト・コンタクト

しおりを挟む
橘屋敷の庭の中を一人の僧と女性が歩いている。
僧は空海であり、女性は二十代初めほど。美しい女性である。大きな黒い目、小さく形の良い鼻と口。服の上からでも瑞々しく豊かな四肢があることを想像させる。その女性の周りからは芳香が漂っている。何か特別な香でも焚いているのか、彼女からは艶やかな匂いがする。
空海は三千媛から、嘉智子の身の回りの世話を行っているという官女を紹介されたのである。
その官女が、今ともに庭を歩いている女性であり、名は知草(ちぐさ)。
「和尚様、この者は知草と申します。夫人様の信頼厚く、この者にすべてをお任せになっておられるほどです。詳しい話はこの知草からお聞きください」
そう言って三千媛は、知草を空海に引き合わせたのである。
「知草殿、夫人様は呪詛と毒殺を受けているとのこと。どの様な事があったかお話しください」
「はい、まず何からお話しすればよいのか・・・。では、二日前の事のお話いたしましょう。夫人様のお食事に毒が盛られたのでございます」
「ふむ。詳しくお話しください」
「はい」と知草は答え、その時の様子を語り始めたのである。

・・・朝食の時にございます。その時は、鮎・鮒・雁の卵・干し魚・若菜・なつめなどでした。
それらが夫人様の前に出されたのですが、夫人様はお手をつけません。「これは食べてはいけない」とおっしゃられるばかり。夫人様は時折、その様なことを申される方なのです。
ですが、この時はあまりにも頑なに仰せにございましたので、不審に思った私は、お膳をそのまま庭に出し、そこにいた小鳥に与えたのです。
すると小鳥たちは、たちまちにその場で身を震わせ、口から泡を出し、息絶えたのでございます。調べさせたところ恐ろしいほどの毒が盛られていたのです。
それ以後、食事は全て私が毒見をしております。食事の毒ならば、私どもが命に代えて夫人様をお守りいたします。ですが呪詛については、和尚様の力をお借りするしかないのです。
どの様な呪詛かとお尋ねですか。それは、実は、「夢」なのです。夫人様はここ十日間、毎晩毎晩「恐ろしい夢」を見るのだそうです・・・

「夢にございますか?」
空海には珍しく驚きの声をあげた。
「十日間、毎晩、毎晩、夫人様に恐ろしい鬼が襲いかかるのだそうです。毎晩同じ夢でございますよ。夫人様は疲れ切り、すっかりおやつれになって・・・。このままでは夫人様は・・・」
「悪夢を見させる呪詛・・・。毎晩、同じ夢を見させる・・・」
空海が知る中で「呪詛」により「夢」を見させるものは聞いたことがない。もしそういった例があったとしたら、貪欲に知識を求める空海の耳に入ってきてもよさそうなものである。
「ご不審に思われるやもしれません。ですが人は十日間も続けて、やつれるほどに恐ろしい夢を見るものでしょうか?夫人様のお体とお心は、もうこれ以上は耐えられないのです。「夢」が呪詛でないならないで結構です。ただ、何とか夫人様をお救い下さい」
そう話す知草の両目から大粒の涙が流れ落ちる。
「知草殿、お庭をご案内ください」
空海が唐突に申し入れた。
「えっ、庭にございますか?今すぐに」
知草は戸惑いながら、問い返した。
「はい、よろしくお願いします」
空海は知草の戸惑いを無視し、にこやかな笑みを浮かべた。
・・・空海と知草が庭を歩いているのには、このような経緯があったのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

浮雲の譜

神尾 宥人
歴史・時代
時は天正。織田の侵攻によって落城した高遠城にて、武田家家臣・飯島善十郎は蔦と名乗る透波の手によって九死に一生を得る。主家を失って流浪の身となったふたりは、流れ着くように訪れた富山の城下で、ひょんなことから長瀬小太郎という若侍、そして尾上備前守氏綱という男と出会う。そして善十郎は氏綱の誘いにより、かの者の主家である飛州帰雲城主・内ヶ島兵庫頭氏理のもとに仕官することとする。 峻厳な山々に守られ、四代百二十年の歴史を築いてきた内ヶ島家。その元で善十郎は、若武者たちに槍を指南しながら、穏やかな日々を過ごす。しかしそんな辺境の小国にも、乱世の荒波はひたひたと忍び寄ってきていた……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

戊辰の里・時を越えた想い

Kazu Nagasawa
歴史・時代
 人は偶然の出逢いによって結ばれる。その出逢いを縁と呼び、ときに偶然の出逢いを必然と思うことがある。特に時代の節目にあたるような出来事にかかわると運命に翻弄されたと感じることがある。しかし、その縁は偶然によってもたらされたものであり運命ではない。運命だと思いたいのは現実を受け入れようとするためではないだろうか。  この作品が取り上げた新潟県長岡市の周辺では大規模な地震や洪水による被害を幾度となく受けている。また江戸時代末期の戊辰戦争(ぼしんせんそう)と第二次大戦の空襲によって市街地のほとんどが消失している。それでも人々は優しく毎年の厳しい冬をのりこえ自然と向き合いながら暮らしている。その長岡のシンボルは毎年信濃川の河川敷で行われる大花火大会であることは広く知られている。そして長岡の山間部に位置する山古志地区は世界的に需要が高まる錦鯉の発祥地でもある。  この作品は戊辰戦争のおおよそ10年前から一人の長岡藩士が激動の時代を生きぬいて妻とともに医師の道に進む物語である。そして、その家族と山古志の人たちのことを地元の気候風土とともに著したものである。

連合航空艦隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年のロンドン海軍軍縮条約を機に海軍内では新時代の軍備についての議論が活発に行われるようになった。その中で生れたのが”航空艦隊主義”だった。この考えは当初、一部の中堅将校や青年将校が唱えていたものだが途中からいわゆる海軍左派である山本五十六や米内光政がこの考えを支持し始めて実現のためにの政治力を駆使し始めた。この航空艦隊主義と言うものは”重巡以上の大型艦を全て空母に改装する”というかなり極端なものだった。それでも1936年の条約失効を持って日本海軍は航空艦隊主義に傾注していくことになる。 デモ版と言っては何ですが、こんなものも書く予定があるんだなぁ程度に思ってい頂けると幸いです。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

海怪

五十鈴りく
歴史・時代
これは花のお江戸にて『海怪(うみのばけもの)』と呼ばれた生き物と、それに深く関わることになった少年のお話。 ※小説家になろう様(一部のみノベルアッププラス様)にて同時掲載中です。

楽毅 大鵬伝

松井暁彦
歴史・時代
舞台は中国戦国時代の最中。 誰よりも高い志を抱き、民衆を愛し、泰平の世の為、戦い続けた男がいる。 名は楽毅《がくき》。 祖国である、中山国を少年時代に、趙によって奪われ、 在野の士となった彼は、燕の昭王《しょうおう》と出逢い、武才を開花させる。 山東の強国、斉を圧倒的な軍略で滅亡寸前まで追い込み、 六か国合従軍の総帥として、斉を攻める楽毅。 そして、母国を守ろうと奔走する、田単《でんたん》の二人の視点から描いた英雄譚。 複雑な群像劇、中国戦国史が好きな方はぜひ! イラスト提供 祥子様

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...