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その三 ファースト・コンタクト
六
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橘屋敷の庭の中を一人の僧と女性が歩いている。
僧は空海であり、女性は二十代初めほど。美しい女性である。大きな黒い目、小さく形の良い鼻と口。服の上からでも瑞々しく豊かな四肢があることを想像させる。その女性の周りからは芳香が漂っている。何か特別な香でも焚いているのか、彼女からは艶やかな匂いがする。
空海は三千媛から、嘉智子の身の回りの世話を行っているという官女を紹介されたのである。
その官女が、今ともに庭を歩いている女性であり、名は知草(ちぐさ)。
「和尚様、この者は知草と申します。夫人様の信頼厚く、この者にすべてをお任せになっておられるほどです。詳しい話はこの知草からお聞きください」
そう言って三千媛は、知草を空海に引き合わせたのである。
「知草殿、夫人様は呪詛と毒殺を受けているとのこと。どの様な事があったかお話しください」
「はい、まず何からお話しすればよいのか・・・。では、二日前の事のお話いたしましょう。夫人様のお食事に毒が盛られたのでございます」
「ふむ。詳しくお話しください」
「はい」と知草は答え、その時の様子を語り始めたのである。
・・・朝食の時にございます。その時は、鮎・鮒・雁の卵・干し魚・若菜・なつめなどでした。
それらが夫人様の前に出されたのですが、夫人様はお手をつけません。「これは食べてはいけない」とおっしゃられるばかり。夫人様は時折、その様なことを申される方なのです。
ですが、この時はあまりにも頑なに仰せにございましたので、不審に思った私は、お膳をそのまま庭に出し、そこにいた小鳥に与えたのです。
すると小鳥たちは、たちまちにその場で身を震わせ、口から泡を出し、息絶えたのでございます。調べさせたところ恐ろしいほどの毒が盛られていたのです。
それ以後、食事は全て私が毒見をしております。食事の毒ならば、私どもが命に代えて夫人様をお守りいたします。ですが呪詛については、和尚様の力をお借りするしかないのです。
どの様な呪詛かとお尋ねですか。それは、実は、「夢」なのです。夫人様はここ十日間、毎晩毎晩「恐ろしい夢」を見るのだそうです・・・
「夢にございますか?」
空海には珍しく驚きの声をあげた。
「十日間、毎晩、毎晩、夫人様に恐ろしい鬼が襲いかかるのだそうです。毎晩同じ夢でございますよ。夫人様は疲れ切り、すっかりおやつれになって・・・。このままでは夫人様は・・・」
「悪夢を見させる呪詛・・・。毎晩、同じ夢を見させる・・・」
空海が知る中で「呪詛」により「夢」を見させるものは聞いたことがない。もしそういった例があったとしたら、貪欲に知識を求める空海の耳に入ってきてもよさそうなものである。
「ご不審に思われるやもしれません。ですが人は十日間も続けて、やつれるほどに恐ろしい夢を見るものでしょうか?夫人様のお体とお心は、もうこれ以上は耐えられないのです。「夢」が呪詛でないならないで結構です。ただ、何とか夫人様をお救い下さい」
そう話す知草の両目から大粒の涙が流れ落ちる。
「知草殿、お庭をご案内ください」
空海が唐突に申し入れた。
「えっ、庭にございますか?今すぐに」
知草は戸惑いながら、問い返した。
「はい、よろしくお願いします」
空海は知草の戸惑いを無視し、にこやかな笑みを浮かべた。
・・・空海と知草が庭を歩いているのには、このような経緯があったのである。
僧は空海であり、女性は二十代初めほど。美しい女性である。大きな黒い目、小さく形の良い鼻と口。服の上からでも瑞々しく豊かな四肢があることを想像させる。その女性の周りからは芳香が漂っている。何か特別な香でも焚いているのか、彼女からは艶やかな匂いがする。
空海は三千媛から、嘉智子の身の回りの世話を行っているという官女を紹介されたのである。
その官女が、今ともに庭を歩いている女性であり、名は知草(ちぐさ)。
「和尚様、この者は知草と申します。夫人様の信頼厚く、この者にすべてをお任せになっておられるほどです。詳しい話はこの知草からお聞きください」
そう言って三千媛は、知草を空海に引き合わせたのである。
「知草殿、夫人様は呪詛と毒殺を受けているとのこと。どの様な事があったかお話しください」
「はい、まず何からお話しすればよいのか・・・。では、二日前の事のお話いたしましょう。夫人様のお食事に毒が盛られたのでございます」
「ふむ。詳しくお話しください」
「はい」と知草は答え、その時の様子を語り始めたのである。
・・・朝食の時にございます。その時は、鮎・鮒・雁の卵・干し魚・若菜・なつめなどでした。
それらが夫人様の前に出されたのですが、夫人様はお手をつけません。「これは食べてはいけない」とおっしゃられるばかり。夫人様は時折、その様なことを申される方なのです。
ですが、この時はあまりにも頑なに仰せにございましたので、不審に思った私は、お膳をそのまま庭に出し、そこにいた小鳥に与えたのです。
すると小鳥たちは、たちまちにその場で身を震わせ、口から泡を出し、息絶えたのでございます。調べさせたところ恐ろしいほどの毒が盛られていたのです。
それ以後、食事は全て私が毒見をしております。食事の毒ならば、私どもが命に代えて夫人様をお守りいたします。ですが呪詛については、和尚様の力をお借りするしかないのです。
どの様な呪詛かとお尋ねですか。それは、実は、「夢」なのです。夫人様はここ十日間、毎晩毎晩「恐ろしい夢」を見るのだそうです・・・
「夢にございますか?」
空海には珍しく驚きの声をあげた。
「十日間、毎晩、毎晩、夫人様に恐ろしい鬼が襲いかかるのだそうです。毎晩同じ夢でございますよ。夫人様は疲れ切り、すっかりおやつれになって・・・。このままでは夫人様は・・・」
「悪夢を見させる呪詛・・・。毎晩、同じ夢を見させる・・・」
空海が知る中で「呪詛」により「夢」を見させるものは聞いたことがない。もしそういった例があったとしたら、貪欲に知識を求める空海の耳に入ってきてもよさそうなものである。
「ご不審に思われるやもしれません。ですが人は十日間も続けて、やつれるほどに恐ろしい夢を見るものでしょうか?夫人様のお体とお心は、もうこれ以上は耐えられないのです。「夢」が呪詛でないならないで結構です。ただ、何とか夫人様をお救い下さい」
そう話す知草の両目から大粒の涙が流れ落ちる。
「知草殿、お庭をご案内ください」
空海が唐突に申し入れた。
「えっ、庭にございますか?今すぐに」
知草は戸惑いながら、問い返した。
「はい、よろしくお願いします」
空海は知草の戸惑いを無視し、にこやかな笑みを浮かべた。
・・・空海と知草が庭を歩いているのには、このような経緯があったのである。
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