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その二 不動明王呪

十三

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 空海と田村麻呂が田主の家から出てきた。
「和尚様、田村麻呂様、ご無事でしたか!心配しておりました」
安麻呂が速足で近づいてきた。
「父はどうでしたか?無事にございますか?」
「田主殿は死んでいた。もう春には息絶えていたようだ」
「何と!・・・そうではないかとは思っておりましたが、そうですか。死んでおりましたか・・・。私は何も、何の孝行もしてやれませんでした」
そう言うと、安麻呂は大粒の涙を流しだした。
「安麻呂さん、芝居はいい。さすがにシラケる。あんたが一番気になっているものも、見てきた。すごいものだったぜ」
安麻呂は泣くのをやめ、真っ赤になった目で空海を見返した。
「芝居とはどういう意味です?何のことか私にはさっぱり分かりませんが」
声が重い。
「はっきりと言おうか。あんたの顔に傷をつけた猫たちは猫又となり、あんたが殺した親父さんの死骸とお宝を守っていた。そうとは知らないで屋敷に行った俺と田村麻呂は、あやうく猫又たちに食い殺されるところだった。そういうことだ」
「空海様が何を言いたいのか、私には分かりかねます。ですが、これだけは言っておきますよ」
そう言うと安麻呂は空海に顔を近づけてきた。
「俺はなぁ、約束は守る。礼はする。金が欲しいのだろう?それなら余計なことを言うんじゃねぇ!黙ってな!」
大きな声ではない。静かな声だ。それだけにかえって怖さを感じる。
「本性が出たな。安麻呂さん。あんたが殺した親父さんは数多くの猫を飼っていた。自分の子どものように可愛がっていたよ。その中に「弥生」、「鈴」、「万」、「六」という名前の猫がいた。これは、『たまたま』ではないと俺は思うのだがな」
「さっきから、訳の分からねえことを。それが何だってんだ?」
「「やよい」、「すず」、「まん」、「ろく」。「や・す・ま・ろ」さ。これをあんたは『たまたま』だと?」
「ああ、『たまたま』さ」
「・・・なるほど、『たまたま』だな・・・」
空海は安麻呂をじっと見つめ、そう言った。
「おい、俺たちは命がけでお前の家に行ってきたのだ。文句があるなら、俺が相手になるぞ」
田村麻呂が安麻呂をにらみつける。
「坂上田村麻呂に喧嘩を売るほど、俺は馬鹿じゃありませんよ。そうでした。肝心の俺の家はどうなったのです。もう妖物はいないんでしょう?」
「ああ、猫又たちは、今は普通の猫だ。あんたが探しているものは親父さんの部屋にあったよ」
「それを最初に行ってくだされば、お互い嫌な思いはしなかったのですよ。では、俺は家に行きます。探し物がありますのでね。お礼は改めて。おい、行くぞ」
安麻呂はそう言うと、周りにいた男たちを引き連れて、家の中に消えていった。
「空海、いいのか?猫又たちは相当に安麻呂を恨んでいるぞ。安麻呂が家に入ったら、八つ裂きにするぞ」
「俺は『猫又は今は普通の猫だ』と言った。猫又たちは普通の猫に戻っていたではないか。まあ、あいつらが家に入ったら、また化け猫になるかもしれんが、それは俺のあずかり知らぬこと。だろう?」
「なるほどな。確かにお前は嘘をついてはいないな」
「田村麻呂、頼みがある。猫又たちがこの屋敷で過ごせるようにしたい。田主殿の御霊と共に暮らさせてやりたいのだ。帝の信任の厚いお前だ。何とかならぬか?」
「そうは言ってもな、ここは安麻呂の家だ。それを猫又に渡すというわけにはさすがにいかんだろう。それは無理な話だ」
空海は目を閉じ考え込んだ。数分間後、空海の目が開いた。
「ならば、あの方の力をお借りしたい。田村麻呂、話しを通してくれ」
「あの方って、誰だ?誰のことを言っている?」
「俺とお前が出会うことになった、あの方だ。もう一年程前になるか」
「なるほど、あの方か!ならば、どうにかできやもしれぬな」
田村麻呂がにやりと口元に笑みを浮かべた。
ギャーツ。
田主の屋敷から、悲痛な叫び声が聞こえた。
次の瞬間、築地塀を越えて屋敷から、何かが飛んできた。
男の生首が一つ。
頬に薄く傷跡が残っている男、安麻呂のものである。とてつもない恐怖に襲われたのだろう。生首となった顔は醜くゆがんでいる。
ギャーッ。 
助けてくれっ。
化け物だ!
ここは化け物の屋敷だぁ!
悲鳴とともに男たちが屋敷から走り出てきた。目が吊り上がり、顔が硬直したまま、心臓が口から飛び出しそうな顔だ。
空海は、転がる安麻呂の生首に目を落とした。空海の口元には。あのかすかな笑みが浮かんでいた。


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