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その二 不動明王呪

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二人の男が大きな家の中にいる。屋敷と言えるほどの大きな家だ。九月の昼過ぎ。まだ外は十分に明るいのだが、この家の中はうす暗く、そして人の気配が全くしない。廊下にはほこりがたまり、二人が歩いた後は、そこだけ足の跡が残っている。庭には草が伸び放題になっており、人の背丈ほどにもなっている。
人が住んでいないのであろうが、そのようになってから、それほどの月日が流れてはいないようだ。
家は人が住まなくなると、傷んでいくが、まだそれほどの痛みがこの屋敷にはみられない。
「まだですかね?前の旦那のお部屋は?」
男が連れの男に向かい声をかけた。背丈こそ大きいが、まだ顔にはあどけなさが残る。
「もうすぐだよ。岩丸、お前だってこの家で働いていたのだろう。旦那の部屋ぐらい覚えているだろうに」
連れの男が答えた。体は小さいがひ弱な感じはしない。年は三十歳あたりか。
「そんなこと言われても・・・。俺がこの家で働いていたのは、春までですぜ。若旦那からいきなり暇を出されて・・・。前の旦那の顔さえろくすっぽ覚えちゃいませんよ。十年もこの屋敷で働いていた六郎兄いとは違いますぜ」
「お前だけじゃあない、突然暇を出されたのはな・・・。長年、働いてきた俺でさえ、放り出されたんだ。ひでぇ話さ」
「その放り出した若旦那が突然呼び出して。何だってんでしょうね?『屋敷の様子を見てきてくれ』なんて」
「俺に分かるはずがねぇだろう。だが、手間賃は、はずんでくれたんだ。さっさと済ませて、貰うものを貰う。それだけだ。旦那の部屋を見たらさっさと帰ぇるぞ」
六郎は岩丸に言うというよりも、自分に言い聞かせているかのようだ。
長年働かせおいて、「主の息子」である「若旦那」に何の前触れもなく暇を出された。理由は、「老い先短い父親の面は、一人息子である自分がみたい」というものだった。次の仕事も見つからず、フラフラしていたところ、急に呼び出されたのである。
「若旦那」の要件は「屋敷に行き、様子を見てきてほしい」。ただこれだけだ。
「まあいいさ、金にはなる。それに訳ありなら、それも金にしてやれ」
六朗はその様な思惑もあり、仕事を請け負ったのだ。
六朗は「前の旦那」から「それなりの仕事」を任されてきた。人殺し以外の大抵の悪事ならやってのける。
岩丸は何か言いたそうではあったが、口を閉じ六郎について行く。
「この角を曲がれば、部屋だ。もうすぐだぜ」
「へぇ」
二人が廊下の角を曲がった時だった。
「うわっ!」
「何だ!」
同時に驚きの声をあげた。
そこに少女が立っていた。禿姿で顔を真っ白に塗り、目じりと口を赤く塗っている。小さく整った顔の造作だ。
異様だ。誰もいない屋敷に、少女が一人立っているのだ。更に少女から漂う雰囲気は、何か怖いもの、ぞっとするものがある。
「これ以上はご遠慮ください」
少女が口を開いた。
「おめぇ、何者だ?俺たちは、ここの主に言われて来てるんだ。さっさとそこをどきやがれ!」
六郎がそう言って前に進もうとする。
「ぎゃーっ」
六郎の背後から悲鳴が上がった。岩丸のものだ。
「どうした!岩丸、何があった!」
背後を振り返った六郎の前に、背中から大量の血を流し、うずくまる岩丸がいた。岩丸の背中には一筋の大きな、切り傷が見える。
「痛ぇーっ、痛ぇよう。兄ぃ、助けてくれっ、助けてくれようっ」
六郎は慌てることなく、懐に忍ばせてきた小刀に手を伸ばした。素早く引き抜き、少女に体を向けた。
「ぐわっ」
六朗が体を向けたその瞬間、六郎の顔から血しぶきが上がった。切られたのだ。顔を左から右にかけて大きく切られたのだ。
「聞こえなかったのかい?これ以上は駄目だと言っただろう」
少女は目の前に二人の男が血を流し、苦しんでいる様子を静かに、何の感慨もなく見つめている。
その口調、声の抑揚は30代、40代の大人のものだ。
六郎は手にした小刀を女に投げつけようと右手を振り上げた。その途端、背中に激痛が走った。今度は背を切られたのだ。
「がぁーっ」
悲鳴と共に、口から血を吐き出した。
「あたしたちはねぇ、獲物は簡単に殺さないよ。もがき、苦しみ、のたうち回り、力尽きて死んでいく。そんな様子を見るのが大好きなのさ。命が欲しければ、あたしの言うことを素直に聞くんだね」
「・・・分かった。もう何もしない。言う事は何でも聞く」
六郎は痛みに耐えながら答えた。視界は血で赤く染まっている。
「高雄山寺に空海という坊主がいる。知っているかい?」
「・・・知らん。聞いたことがない」
「ぐわっ」
六朗がそう答えると、背後で岩丸の苦しそうな声がした。
「何をした!」
「だから、さっき言ったろう。あたしたちはもがき、苦しんでいるものを見ると、ついつい手を出したくなるんだよ。高雄山寺に空海という坊主がいる。その坊主をここに連れて来るんだ」
「なぜだ?その坊主に何の用がある?ぐおっ」
六朗は再び、背中に激痛を感じた。また切られたのだ。先ほどよりも深く。
「『命がほしければ、あたしの言う事を素直に聞く』って言ったよねぇ?誰が聞き返していいって言った?あたしのいう事だけを黙って聞きな」
「・・・・分かりました。もう何も聞きませぬ。どうかお助けて下さい」
六朗はもはや泣き声を出している。顔は血と涙でぐっしょりだ。
「お前のすることはただ一つ。空海をここに連れてくること。それだけ。さあ、言ってごらん」
「はい、わかりました。『高雄山寺の空海をここへ連れてまいります』。これでいいでしょうか?」
「そう、それでいいんだ、それで。・・・これで・・・」
六朗の血で真っ赤になった視界の中で、少女が嫣然と微笑んでいた。

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