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その一 怪し(あやかし)の森

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空海が寝ている。部屋の真ん中で大の字になって寝ている。
その横に田村麻呂が座っている。太い腕を組み、目を閉じている。
スー スー スー
闇と静寂の中で空海の規則正しい寝息のみ聞こえる。
どのくらいの時間が経ったか。
田村麻呂は目を閉じたまま、組んでいた右腕を解き、ゆっくりと床に置いてある太刀を掴んだ。
「へーっ、見事なものだね。これほど隙のない背中は見たことがないよ」
田村麻呂の背後から声がした。
「何者か?」
太刀を引きつけながら、座ったままの姿勢で田村麻呂は声の方向に静かに体を向けた。
 「むっ・・・・」
田村麻呂は息をのんだ。
 一人の女性がいた。
年のころは二十代の半ばほどであろうか。
すらりとした体つきに、艶やかな黒髪が腰のあたりまで伸びている。
子猫を思わせるような無邪気で大きな目を持つ妖艶でありながら可愛らしさを漂わせる美女だ。
宮中に勤める田村麻呂でさえ、これほど「男を刺激する」女性は見たことがない。
田村麻呂は一瞬とはいえ呆然とした。
「ご挨拶だね。ここはあたしの家。勝手に人の家にいるあんたこそ『何者』だい?」
「そっ、それは申し訳ない。私は坂上田村麻呂と申す者、帝に仕える身であり、決して怪しい者ではありませぬ。ここで寝ている僧に連れ来られたのです。『知り合いの家に行く』と言うものですから・・・。誰もお屋敷にはいない様子でしたが、この坊主が勝手に入って行き、ついにはこの部屋で寝てしまったのです。こ奴を置いて、私だけ戻るわけにもいかず・・・。おい空海、起きろ!お前が寝ていてはどうしようもないだろっ!起きろと言うに」
田村麻呂の顔は真っ赤だ。
「ああ、いいからいいいから。このまま寝かしといてあげようよ。へーっ、あんたが田村麻呂様。あんたの名は知れ渡っているよ。なるほどね、道理で隙が見えないはずだ。で空海はなぜわたしの家にやってきたんだい?」
「あっ、はい。実は・・・・」
田村麻呂は、まだ寝ている空海に一瞬目を落とし、今まであったことを話し始めた。
神隠しにあっている村人が相当数出ている事。
それは村人たちが言う「呪われた森」で起きている事。
そしてその森で今日起きたこと。
眉間に少しばかりしわをよせ、小首をかしげた。
「その森は、その筋ではちょっとばかり名の知れている場所さぁ。しかしねぇ・・・、そんな剣呑な事は今まで聞いたことはないのだけれど・・・」
「その筋?あの森は一体何なのです?」
「昔から『使われていた』んだよ、ある男にね。そいつは相当やばかった・・・」
「その男の名前と居場所を教えていただきたいのだよ。疲れが出てつい寝てしまったようだな・・・。田村麻呂、さっさと起こせよ、気の利かぬ奴だなっ」
空海の声だ。
空海は上体だけ起こし、しかし精気に満ちた目を田村麻呂と女性に向けている。
「空海、お前いい加減にしろよなっ!」
「ようやく起きたかい。女の家に勝手に入ってきて、そのまま寝ちまう坊主なんかいやしないよ。そんなことが知れたら、寺にいれなくなるよ」
「やお殿、勝手に寝かせていただいた。田村麻呂、やお殿は、この世の『裏』や『闇』の出来事について、誰よりも詳しいし、顔が利く方だ。」
「やお殿?こちらの女性(にょしょう)のお名前か?このようなお若い女性が、裏の世界に精通しているというのか?」
田村麻呂が驚きの声をあげた。
「おやおや、空海の不調法を言えたものじゃあなかったね。まだ名乗ってもおりませんでしたね。私は『やお』、以後お見知りおきを」
そう言うと、この若い女性「やお」は艶やかな長い髪を揺らし、田村麻呂に向かい深々と頭を下げたのであった。
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