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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】
64 ソトのモノ【2024.6.10修正】
しおりを挟む「何も言ってませんよ?」
口の形だけで微笑むルシアの笑みは無垢だった。
口調からもそうだろうと思ったが、聖女としてあるルシアの存在とアスは対峙する。
聖女としてのルシアは、何時の時も怒りも悲しみも、穏やかな喜び以外の他のどんな感情とも無縁であるかの様にアスの目には映っていた。
だが、他がいない為か、切り替えが甘いとアスは心の内だけで僅かに笑みながら口を開く。
「言葉にしない事も大切だが、目も結構雄弁だと思うぞ?」
「繋がりを作りたくはないのです。それのせいで、多くの死が蔓延しているじゃないですか」
端的でもなく、聖女然とした返しとも違う、ルシアにしては酷く珍しい、“それ以外”の感情が乗った言葉だった。
伸ばされる繊手の鋭さも、力強さとも無縁である動きは、それでも人の視線の先を導く力があった。
けれど、白の法衣からアスの背後へ向け指し示された指の靭やかさに動作以上の意図を見出す事は出来ず、そうして告げられた言葉は、変わらない微笑みの中に僅かばかり拗ねた様な響きがある様な気がするのは何なのだろうか。
「まさか、外界のモノを喚んだ?」
押さえる額に緩く振る首。
ルシアの右側、二歩分を下がった位置に佇むルカが呻く言葉に告げて来る。
「あまり見ると、それだけで影響を受けるぞ」
「焚書で処理された筈のアレだ」
アスの声が届いているのかどうか、ルカは半ばまで伏せた目でそう呟いていた。
「嘗ての“業火”を冠した魔女が片手間だが命をかけたらしいが無理だった」
片手間と命を懸けると言う表現が平然と並び立つ、それもまた魔女であるが所以だろう。
言葉の響きは他人事であるかの様に、アスはそんな何時かの結果を告げると、伸ばす手に触れはしないもののそれへと意識を向けた。
太く、細く。長く、短く。うねり、縺れる様にも絡まり合い、揺れ、伸縮する。
見たままを表現するなら、何本も、幾本も、数える事すら嫌になるであろう無数の触手達による狂乱。
そのものを無理矢理にでも見知っているものに例えるのなら、胴体のない菟葵だろうか。
ただその大きさは、絶えずうねっているが為に不定形ではあるが、平民の家一軒分程度の大きさのものなら容易く取り込んでしまえるであろう程もあるのだが。
そんな触手の塊が、アスの背後でうねり、蠢き、その頭上、四方八方の見境なく禍々しさを振り撒く腕を広げている、精神的にもクる一種の悪夢の光景。
自覚があるが為にアスもまた笑ってしまっていた。
そして、直後に『笑いごとではありません!』そうアスの脳裏に浮かんだ声は誰のものだろうか。
その多分にあり過ぎる心当たりが一人分ではないと気付いた時、アスは浮かべた笑みがどうしようもなく引き攣るの止められなかった。
「それで、クルウルウの書は私の方で教会の地下書庫に厳重保管していた筈なのですが」
アスへと向けている眼差しは柔らかいが、ルシアのその視線は、アスの背後に控えるそれを頑なに視界へとおさめない様にしているかの様に。
「原書を封じようと、どこからともなく滲み出る水が、そこにあるものを腐蝕させ道をつくる。そも一度通じてしまえば、それを塞ぐのは酷く難しいだろう」
ルシアの言葉から、知った事の様にルカが続け、喋りながら徐ろに三歩を踏み出し、ルシアの前へと出る動きはルシアをアス、もとい触手から隔てる為の行動だろうか。
「なまじ、下手な塞ぎ方をすれば、次は何処が決壊するか分からない」
「だからこその堰であって、その守りを青を始めとした色彩の者が見ていたのにな」
青の件を匂わせるアスはこれが何なのか知らない。
恐らくはこの世界の誰も明確には把握していないだろうと思う。
存在の確認から現在までにおいて確かだとされている事は、これがこの世界とは別の何処かの存在であると言う事だけであり、嘗て記された一冊の書物により、この世界はこれが存在していた何処かとの接点を持ってしまったと言う事だけ。
世界とは本来個別に存在すべきもの。それ単一で存在の仕組みが成り立つ様に、何等かの理が世界には存在している。
確定し、他の不必要から隔絶された理の働く範囲。それが世界と言うものの枠組みなのだとも言えた。
そして、だからこそ世界は他の世界と混ざる事がないし、そもその世界を世界たらしめる理こそがそれを良しとはしていないのだろう。
世界に属するものは、基本他世界を認識出来ない。その世界の枠組みで全てが完結してしまう為に、他があると言う発想に至る事も難しく、満たされ、完結しているからこそ気付く必要も、その余地すらもない。
けれど、と言うべきか、その本来ならば混ざる余地のない“個”とも言うべき世界にある時“穴”を開けた者がいた。
正確には者達と、関与した者等は複数だとされているが、それも定かではない。
偶然か意図的にか、何をどうしたのか意味が分からないし、理解など出来やしないと思うが、結果としてある日何かが起きて、世界に穴が空き、幾度塞いでもやがて何処からか水漏れし始める穴から今もこれはこちらに入り込み、うねうねしていると言う現状が出来上がった。
「“夢”が繋がりとして望んだのが、コレの末端の末端のそのまた末端ぐらいの奴だったぽい」
アスは今回の件を伝える。
「“夢”?あの子は夢馬とともにありました。小さな国一つを自らの悪夢に沈めた事でミーシャに討たれた子ですよ」
「······フェイの話だと、村落、せいぜいが街規模だと思ったんだが国かぁ」
少しだけ細める双眸は所謂遠い目と言う奴だった。
何があったか、今代の勇者に斃されたと言う迷夢の魔女は、アスも久方ぶりに聞く国滅ぼしを成し遂げてしまっていたらしい。
「始まりは住んでいた小さな村でしたが
『夢』と言う形で侵食を広げていったが為に発覚が遅れたのです」
「“告知”がいない弊害だな」
「どれだけ各地への連絡を密にしても、災禍の影響を宣言する告知の能力には及びません。どうしても初動が遅れ、対応が追い付かないのです」
「私はだろうな、としか思わない。コレに頼ろうと思い至って行動を選び取るぐらいには破綻しているからな」
アスは今度こそ笑う。屈託なく。
ルシアの無垢とは異なる、全てを承知し、ある種の覚悟を窺わせる笑みで。
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