月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】

45 何かが起きていた

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 浮き出た骨と剥がれた鱗。
 剥き出しの下鰭付近の肉を、鱗の替わりに覆う様に大小の歯車がギチギチと蠢く様。
 鈍く閃く、飛魚の持つ羽に酷似した形の金属片を身体の左右非対称に突き立て、細魚の様な細く長い体躯を歪に捻る。
 見る者に怖気を走らせる縦に避けた瞳孔は蛇を思わせるのに、その瞳孔の中では、虫の複眼を想起させる反射光が明滅していた。
 そんな怪魚が、生じた空間の鈍色の亀裂から湧き出すように出現し、溢れ押し出される様に這い出してくる。

因果の獣カウセリトゥス

 フェイとルキフェルは直ぐにその存在を脳裏へと思い浮かべていた。

 常盤ときわの魔女の領域。その北方に位置する朔の森。
 更に辺境に位置した時忘れの神殿での遭遇戦。
 あの時は狼がベースだったが、今回は魚。生物としての類似点はないに等しいが、有り得ない、あってはいけないと言う存在そのもへと抱いてしまう嫌悪感と忌避感から否が応にもそれが同質だと感じていた。
 そしてその場にいた他の者達も大なり小なり魔女へと関わりを持つ者達。遭遇の経験までは分からないがの存在に予想がついたのかもしれない。

 突如として目の当たりにした異様な存在へと動けなくなる者がいなかった事を喜ぶべきか、呆れるべきか、今、この場に居合わせている者達が幾つもの意味で証明したであろうではないと言う事に、けれどそれは、或いは本能的なものでしかなかったのかもしれないが、その場の誰もが瞬時にへの行動へと移っていたのだった。

 直接的には効かない魔法でも、使でどうとでもなる。

 戦場となっていたのは、アスが儀式セレモニーの舞を奉納し、その後澱みの龍との戦いを経た場所だった。
 フェイは単独で駆けていたが、青の集落カエルレウスの長カイヤの前にはシャゲの存在があり、そして、何故か居合わせている緑の集落ウィリディスの長であるその人の前には、同じ立場である筈の長身の女性エスメラルダが佇んでいた。
 本来の魔法使いとしての戦い方はこの光景こそが一般的なのだ。

 発動させ様とする魔法において、より大きな効果を得る為には魔法行使者の精神の集中は必要不可欠。
 だからこそ、魔法の行使者に守りや回避に意識を割かせる事なく、行使する魔法にのみ集中して貰う為にシャゲやエスメラルダの様な行使者を守る事に特化して動く者達がいるものなのだ。

 魔女が共にある繋がりチェインも役割の一つとしてそれがある。
 常盤ときわの魔女の繋がりチェインであるカイは確かにそう在ったらしいが、今、一人で駆けるフェイはその在り方とは違っていた。
 一人回避に走り、魔法と弓にて攻撃を行う。
 回避し、時にはシャゲやエスメラルダに壁役を押し付ける様にしながらも終始動き続けていた。
 今回がたまたまなのではなくそれがフェイの戦い方の常であり、そしてフェイと同じ様にアスもまた、魔法の使用時に自分を守る為とそばへ置くものはなかった。
 それは単にそこまで集中を必要とする魔法を使っていないが為だったかもしれないが、少なくともフェイは自分の繋がりチェインへと壁役を求める事がない。

 考えるべき事を整理する間にフェイは、そんな現状へと無造作に意識を揺蕩わせていた。

 文字通り死屍累々と言った戦場は、かつての勇者である黒髪の青年ルキフェルが夥しい数の怪魚の中のたった一匹が有していた赤錆色の歯車を砕いたその瞬間に全てが消え去っていった。
 土で出来た人形が微細な砂の粒子へと還るかの様な光景だった。怪魚の身体を構成していた何かが突如結合する力を失いでもしたかの様にその瞬間にざらりと崩れ、そして一粒一粒の粒子までもが降り注ぐ霧雨の中へと解け溶け行く。

「片付きましたね」

 戦いの最中に構えられ、時に振るわれた所持者の長身よりも更に丈の長い槍は、声音のその柔かさを反映させる事なく、寧ろ戦いの余韻すら感じさせる事のない怜悧で清廉な輝きを放っている。

海統べし三双槍トライデントを顕現させたままなのは、その必要性があるからでしょうか?」
「無駄は嫌いますが、容赦がないのも知っています」

 フェイは手にしているイチイの弓を下ろしたままだったが、柔らかな笑みとともにあるカイヤの警戒はそんなフェイへと向いていた。

「次はないとの言葉をちゃんと覚えて下さっていたのは何よりです」
だなどと、ネフリーの子供は相変わらず優しいな。そのくせ容姿が全体的にあの男似なのが心底惜しい!」
「甘いのですよ、貴女の弟だからと手心を加えたのなら、それはあの子自身の過失でしかありません」

 外野から聞こえて来る言葉の辛辣さにフェイの威圧が霞む。

 小鳥が囀る様なと表現される軽やかで愛らしい声音と、女性にしては低く圧のある声で交わされる会話の物々しさと無情さが、浮かべられている楽しげな笑顔にそぐわない。
 けれどそれが二人の普通なのだとフェイは知っていた。

 何処までが計算づくで意図されたものだったのか、フェイは気が削がれ毒気が抜かれたかの様に手にしていた弓へと落とす視線に、その弓を消し去っていた。

「私のことよりも、“彼”を気にした方が良いと思いますよ」

 フェイが目を向ける先には、湖の中程で透明な柱を足場として佇む青年の姿がある。
 霧雨の水分を吸って重く垂れ下がり、俯向いたままの顔を隠し誰にも窺わせる事のない、そんな様子。




    
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