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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】
42 エッへ・ウシュカ
しおりを挟む呼んだ相手は“彼女”ではない。
澱みの龍との戦いの最後、取り込まれた勇者であった彼の存在を返してくれと、アスがそう声を上げた先にいたその人。
「アクアーリウス」
あの時と同じ様に告げた名前に反応し、見下ろす視線とともに口角を上げ、嫣然とした笑みがアスへと返される。
「麗しの我が妹を呼ぶ声を聞いた
嘆きの果てを得ようとする祈りの歌だった
ならばそう、この私が出向くのは当然ではないか」
なあ?と傾げられる首は、笑んだままの口もとと、眇められたその眼差しの強さも相まって挑発的にも映るが、その言葉にアスは応える様に首を傾げて見せる。
「姉妹として過ごした時間等なかった筈なのに何なんだろうな、貴方のその妹好き加減は」
「何を言っている、例えともに過ごすことが出来ず、妹が私の存在すら知らなかったとしても、妹は妹と言うだけでその存在は何者にも代えられず尊い
寧ろ比べ様と思う事すら烏滸がましいのだと知るがいい」
呆れを三割程混じえてアスが疑問を提示すれば、アスも想定していなかった何かとんでもない持論が飛び出して来た。
やや突かれた意表に、瞬かせた目でアスがそのまま見上げている先にある瞳に宿る感情がその瞬間に趣を変える。
さながら、北方の永久凍土を思わせる氷塊の怜悧さにアスはその双眸が向かう先をほんの少しだけ不憫に思うのだった。
黒い一角馬が、どことなくその輪郭を薄れさせ、けれど未だそこに在る状態。
それは周囲の闇へと同化して行くかの様な工程にも見え、恐らくはその通りではあったのだろうが、その最中に向けられた眼差しに身動きが取れなくされたのだろう。
逃さない。射竦める程に追い詰める鋭い眼光の青い瞳がそう言っていた。
「水棲馬?水妖馬?住んでいる場所の違いでしかない駄馬は駄馬だ。処女性がどうのとか言う変態馬の一角獣ですらあの子に近付くのは許し難いと言うのに、何様のつもりだ貴様は!」
淡々と声を荒げると言う器用さを目撃したアスは素直に瞠目する。
余談だが、一角獣とは、純白の毛並みに、額の中央から螺旋状の筋が入った角を持つ、馬の姿をした聖獣だった。
聖獣と呼ばれるのは純白と言う毛並みから来る見た目の神聖性と額の角が持つ、あらゆる毒を解毒すると言う効果の為だったが、実のところ一角獣の気性はかなり荒く、その性質は獰猛なのだ。
視界に入るだけで、その生き物を自らの、角で串刺しにしに来るレベルであり、聖獣等と呼んで良いものではないのではないかとアスもまた思っている。
ただサフィールが言った様に一角獣には、乙女が近付くと大人しくなり、その膝で眠りにつきさえすると言う妙な性質があると言うのも事実だった。
「王侯貴族とかの限られた特権階級の者の為に、教会の奥で数頭飼育していて、その世話も聖女の仕事だったらしいからな」
思い出すアスがその事実を呟けば、目に見えてサフィールの身体が震えた。
聖獣の世話は聖女の重要なお勤めの一つではあるが、サフィールには許し難い事だったらしいとその反応だけで窺い知る事が出来る。
そして、どうやらそんな憤りまでもが、水棲馬へと向かわんとしているらしい。
「呼んだのは私で、そいつは便乗しただけだがな」
庇うとかではなく、これ以上の脱線を防ぐ為の発言だった。
だが、そんな事はやはりサフィールには関係がないのだ。
「出歯亀か!覗き趣味とは何たる破廉恥!」
「ん、ん~?いや、まぁ、突発的ではなかったのなら付き纏い?ああ待ち伏せの方か」
因みにアスに悪気はない。
含みもなければ婉曲的な表現を選んだ訳でもない、サフィールの剣幕から言葉を間違えたかと言い直しはしたが、それがかえって余りにも率直な事実報告となってしまっただけだった。
そしてそれを感じ取っているからこそ、サフィールの絶対零度の眼差しが、黒い一角馬の存在をこれ以上ない程に震え上がらせていた。
逃げたい。だが背を向ける等、言語道断で目を逸らす事すら有り得ない。
感情どころか意思の有無すら疑う水棲場の瞳孔にもその内心を読み取れたならそんな挙動だろうか。
「“夢”は既に死んでいるらしい」
「魔女が死ぬ?何の冗談だ?」
何処か不機嫌そうな声はその話を把握していない事を窺わせる。
「何があったかは知らないが、勇者による魔女殺しらしい」
今代の勇者による魔女殺し。
それを告げたのはフェイであり、アスもまた、ただ伝達するだけ。
アスの様子からその話の信憑性を推し量り、それを事実と受け取る事にしたのか、勇者を名乗る者が成した事に、サフィールの顔が渋いものとなる。
サフィールはその業を正しく理解しているのだろう。
「いや、幾ら主たる繋がりを失なったと憐れさを演出しようと私は誤魔化されない!」
気にするのはやはりそこらしいとの安定さを発揮するサフィールを、真顔となったアスは見詰める。
「“夢”は恐らく、今代の“水”つまりは貴方の末が継承している」
「私の、末」
キッと糾弾する様に見据える眼差しのサフィールをアスは結果的に再び留める事になった。
「正しくは貴方の従姉弟の末裔だろうな、貴方はその血筋を残さなかったから」
アスの告げた言葉によって変わ行く表情。淡い微笑みは、先程までのどの笑顔とも異なっていて、ただただ楽しげで無邪気に見えた。
「幾ら慈悲深き聖母の如き私でもその持ち得る愛は有限だ。最愛のリヴィと唯一の大切である愛しいあの子、それから私とリヴィが慈しんで守り育んだ青の民それで全部・・・あとは何もいらない。実に謙虚な私らしいだろう?」
「そうだな」
謙虚だと言ったサフィール自身が誰よりもその言葉を信じていない様に、けれどアスは躊躇なくその言葉を肯定するのだった。
「貴方は可否を知り、それを受け入れながらも覆す」
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