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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】
41 サフィール・カエルレウス
しおりを挟む「嘆き、な」
呟いたのはアス自身。
特に意味のある反駁ではなく、聞いたそのままを呟いただけ。
そうアスにとっての意味はなかった。
その単語へと覚える感慨も、抱く程の思い入れも何もない。
ただなんとなく、言うなればそれだけに過ぎず、けれど繰り返された言葉を聞いたものが、それを聞き流しているとは限らないのだった。
ー力及ばぬ者の嘆きが、祈りの詞を濁らせるー
「······」
宥める様に抱きしめてはいても、それは最初に言った通り、頃合いを見て離れて行けるよう、その拘束はないに等しいものだった。
ー吹き荒ぶ怨嗟、悔恨の瀑布、・・・無垢なる祈りの声はとうに潰え行き、私はただそれを聞くだけー
歌を歌う様に旋律を紡ぐでもなく、詩を吟じる様に節を綴るでもない。
魔法を詠じる響きを持たせるでもなく、だからこそ、それはただの心内の吐露を思わせていた。
ーそう、いつの、あの時もー
動かぬ口で囁く様に呟かれる。
一度伏せた目蓋が再び開かれ、人ならざる金色を閃かせた蒼海の瞳を縁取る長い繊細な睫毛が飛沫の様な光を弾く。
するりとアスの腕から抜け出し佇む、年の頃二十に届くかどうかと言った女性の姿。
無感動に閃く龍の瞳が黒い一角馬の姿を視ていた。
ーオマエは、だァれ?ー
発せられた聲の少しばかり舌っ足らずな揺らぎ。
アスは時間切れを知った。
「別に望みを叶えてほしくて祈っているだけじゃなかった」
“聲”から“声”に、音が意味を成し、意思を打つ。
ー祈りは信じるということ
信じることを止めてしまえば、それは諦めに繋がるの
あのひとがもういないと、その現実に押し潰されてしまうことがないように、わたしは祈り続けるー
“聲”は続き独白を語る様に。
弾ける飛沫を纏い、水流の流れに嬲られる様に、膝裏へと癖のない毛先が届く。
そんな濃い青色の髪が靡く後ろ姿をアスは無言で見詰めていた。
姿の変化、そしてあの人と、そう呟く声にアスは“彼女”の目覚めを確信する。
「ねえ、祈りを汚し、ただ行き場のない嘆きを溜め込み悦に浸るあなたはどこの駄馬なんだ?」
感情の乗らない声音は変わらない。
その筈で、なのに駄馬だと言い放つ明らかな侮蔑の“声”が持つ、意識を切り裂く程の冷たい鋭さは何なのだろうかと思わずにはいられない。
聞いているだけのアスがそれを感じているのだ、その声を直接かけられ、眼差しをも向けられた相手が何を思うのだろうか。
そもそも何かを思う余裕等あるのだろうか。
そんな事を取り留めもなく考えているアスは、実は感じている視線を全力で無視していた。
気付かないふり、寧ろこっちを見るんじゃないとそう思ってすらいる。
黒い一角馬の瞳のない双眸。
感情の読めない、あるかどうかすらも分からないその目に、けれどアスは今、確かに困惑し圧され縋る様な緊張の色合いを見ていた。
「ねえって尋ねているんだが?」
「悪夢の形質をもった、恐らくは水棲馬
今の“水”に繋がりを持つ余裕はない。
寧ろ片割れがその役を担っていそうだからな、後の関係者と言えば······“夢”か」
再度の誰何にアスは口を開く。
何処を見ているかも分からない目から注がれる視線をアスから捉え行く事はなく、それでもそこにいる黒い一角馬の姿を一瞥する後にそう告げた。
「魔女に干渉する事が出来るのは同じ魔女か、それに類する程に外れた存在だけだったな、私の妹に穢れた視線を向けたこの愚かしい駄馬の主はどこにいる?」
「落ち着け、貴方まで出て来たとなると、本当に収拾がつかなくなる」
勢いよく返す踵に、ぐりんっとでも音が聞こえてきそうな大仰な仕草で振り返られ、距離的な近さもあってアスは思わず仰け反ってしまう。
先程アスが発した言葉は耳に入っていなかったのか、たった今気付いたと言わんばかりの反応だと思ったが、恐らくその通りなのだろう。
「お前さん、ん、んー?」
仰け反った体勢を立て直す為に足を引いたせいで逃げ様としているとでも思われたのか何なのか、突如としてアスの腰へと腕が回され、そのまま拘束を受ける。
だが、その拘束している相手は、アスを捉えた動きの俊敏さ等、全く窺わせる事のない様子で、アスへと注ぐ怜悧な眼差しに首を傾げているのだった。
「······サフィール・スフェラ・エマ=カエルレウス、青玉の輝石を名に頂く貴女、全てたる名を冠する、青の欠片」
「音だけは正しくも、セラフェノ韻音での発声を避けるか、賢明だな童女よ」
「童女······」
童女とは少女の意味合いだっただろうか。
拘束されたままのアスはその腕の中で自身の今を省みて、その間に一度、意識的な瞬きをする。
リディアルではなくサフィールと、そうアスが呼ぶ相手は今や百八十センチを超える身長を有し、その細身の体躯にもすっぽりとアスの身体を抱き込んでいるのだった。
確かに童女と表されても仕方がないのかもしれないと、そう言う状況を思った。
「私とリディとリヴィ、やむにやまれずでも望んだカタチではあるが、どうしようもない程に融けて混ざってしまっているのだ」
「そうして、青の守りとして在り続けているんだろう?」
アスの問い掛けに、はは、と声なく、吐息だけで笑う笑顔がふてぶてしい。
不遜なと感じさせ兼ねない笑顔ではあるのだが、不思議と似合っていると思えてしまう不快感のなさにアスは変わらないなと、そう思ってしまっていた。
「時に水底から水面へと向けて泡が浮上する様に、私達も再び個を意識する事がある、泡の原因は貴女か?童女よ」
「青の聖域に澱みが溜まり過ぎて、堕ちた。呼んだのは私、応えただろう?」
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