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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】
31 宝瓶宮の乙女
しおりを挟むー始まりの聖女、光の歌い手シャロン・リュシールの三人の娘達。その内の一人アクアリス・リディアールが生み出した秘毒・・・知っているのですねー
清流の涼やかな水音がシャラシャラと鳴る様に、エルミスの“聲”は沁み入る様な響きを帯び奏でられる。
「響きか発音のし易さ的なものを重視しているのか微妙なところだが、青き祈りの聖女リディアル・アクアーリウス」
聞いた音の差異を修正しながらアスが告げれば、その瞬間の変化は即時的なものだった。
発せられた音の響きにこそ力があるとでも言うかの様に、その名前を発したアスを起点として白い無数の気泡が広がり急流へと押され弾けたのだ。
生まれ、消えて、また生まれる。その大小様々な大きさの泡へと包まれた視界が再び開けた時、アスの周囲は青く澄んだ水面へと映える光に満たされていたのだ。
「近しい相手にはリディと呼ばせていたらしいが、腹に据えかねることがあればアクアーリウスと呼ぶ方が良いらしと聞いたな」
周囲の変化へと目を向けながらアスが言葉を続ければ、アスが目を向けたそこに何かがいるとでも言うかの様に、ぶわりと大小無数の気泡が広がり、上方へと向かって散っていった。
「言っていたのは常磐の魔女だよ・・・・・・まだ寝直していないのなら、こいつ等の相手を頼む、この期に及んで、まだ駄目らしい」
それはアズリテやエルミスに向けた言葉ではなかった。
普通に続けていた会話の間にも、アスは考えていたのだ。
そして本当にもう時間がないのだがと、見るエルミス、そしてアズリテの様子を思う。
ここにアスの存在を呼び寄せながらも、口にされる事のないそれぞれが抱く本当の願い。
アスはそれがなければ動く事が出来ない。
「それは制約で、それが約束だから」
誰にでもなく呟き、アスの何処を見るでもない双方は彼方を見る様にして焦点を結ぶ事もない。
アズリテにより優先された、ガウリィルの願い。エルミスはアスを幸せにする事と“夢”による力を使い続け、それが完全に途切れた今、もう無理なのだろうと察していた。
波間に揺らぐ様に世界が失いつつある境界の色彩。
現実感を持たない世界は容易く虚構へと還り、そして“夢”は終わる。
手遅れだが、望まれたものの最後の一端までをも失ってしまう前に、アスは避けたかった手段を使う腹を決めた。
「必要なのは対価でなく、代償への覚悟、見合う以上を失う可能性」
分かっていると、見詰め、見据え、なのにアスは誰に向けるでもないままにその言葉を告げる。
返事を求めている訳ではなく、対話を望んでいる訳でもないのだと。
伏せて開く双眸が宿す薄い紫色。
黄昏時から宵時へと向かう陰りの時間か、真夜から夜明けを臨む閃の時か。
宵時を待ち、明け時を感じる断続的で複雑なな色の移り変わり。
そんな時々の移ろいを映した青灰色と藍紫色の光の揺らぎがアスの心を映して閃く。
深く身体中に巡らせる様に意識して吸う呼気。
細く時間をかけて吐き出し、そしてアスは・・・・・・
ー想いの欠片降り注ぐー
詠じる様に、唱う様に、節を刻み抑揚を響かせる。
より遠く、自らの声が届くべき場所へと至る事が出来る様に伸びやかな声で。
ー何時かの幼子が抱きし 彼方への憧憬ー
ー在りし日の 声なき子守唄は 誰がために謳われるのかー
ー今はもう何も届かぬ水底に 独り貴方は微睡んでー
ー口ずさむ音色 寄せて返す波の岸辺を私は歩むー
ー・・・・・・っー
はぁ、とそれは誰が溢した吐息で、或いは溜め息だっただろうか。
(届かない、届いていない)
詩を途切れさせて思うアスの双方が映すのは果てのない闇。
青かった筈の水の澄んだ色合いは深海を思わせる無明の闇へと変わっていた。
そこが深い水の底であるかの様に纏わりつく形のない何かと息を詰める程の圧迫感。
二度と浮き上がる事の出来ない場所へと引き摺りこまれ、果てなく落ちて行く。そんな感覚は錯覚等ではないとアスには分かってしまう。
「・・・アクアー、リウス」
その名を声に出す事すらも今はもう難しく、けれど、アスにはもう呼ぶ以外の手段が分からなかった。
「まだ、そこにいるのなら、」
掠れかける声に、それでも呼ばう。
ー・・・・・・、aquarius、十一番目の輝石 宝瓶宮の星晶珠ー
その“聲”はアスのものではなかった。
そして、ここにいるアズリテやエルミスのものでもない。
ー認証コードの照合ー
ー♒ー
ー♒ー
ーU+2652ー
ー解放 申請ヘノ移行シークエンス・・・・・・ー
“聲”であり、無機質な音の羅列が何事かを綴っている。
その内容が意味するであろうものは、情動に欠いているが故に大半を意味あるものとして聞き取る事が難しく、けれど、確実に“何か”は起きていた。
緩やかに動かす首ごと視線で仰ぐ彼方。
視界の及ぶ限りに見えるものは何もなく、けれどアスはそこに確かに何かを見ている様に、視線を動かす事がなかった。
「・・・いや、今は」
呟き下げる視線、張っていた筋を解す様に首を一振り、二振り、そうしてアスは不思議と気負いの減った声で改めて求める相手を呼ぶ。
「リディアル、リディアル・アクアーリウス、力を借りたい。いや、むしろどう考えても貴方の案件だ」
気の抜けたどころか、投げやり感すらあった。
何故自分がここまで手を回してしまっているのかと、改めてアスが思った瞬間でもあったのだ。
「私には信用がない、信頼もないだろうし、既に貴方が落としどころになるしかない状態だ」
ー・・・・・・信用がないのは仕方がないと思うー
重低音が押し寄せ、高音が降り注ぐ。
意思を伝達する“聲”と言う音に包まれながら、ただただ圧倒される。
音響効果の高いホールのその真っ只中に突如として放り込まれ、無数の楽器により奏でられる演奏を聞くかの様相だろう。
「もう少し絞ってくれ」
ー軟弱ー
間髪入れぬ、呆れであり蔑みの様にも感じた。
叱責のようでもあり、その一言で済ます辺り切り捨てて終わりにしたのかもしれないとすら思わせていた。
アスの目を向けている先には、片腕に乗せていたエルミスを強く抱きしめ身を震わせるアズリテの姿があった。
堪えられないのだと分かる為に、アスはそんなアズリテの姿を見ながら率直に要望を告げたのだ。
歌の最中に差し伸べていたアスの手へと冷たい手が触れる。
ー誰の為にもならない優しさで、次は誰を殺す?ー
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