月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】

10 赤い焔の

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ー・・・・・・ー

 喰われる、最初に、そして最後まで思っていられたのはその一言に尽きる言葉だった。

 気が付いた時には押し倒されていて、太い猫科の肉食獣が持つ四肢の一本が仰向けに倒れたフェイの胸を抑え込んでいた。
 爪を立てられている訳ではなかったが、その圧倒的な体躯を支える為にある強靭な四肢は、ただ置かれている、それだけで、フェイによる身動きの全てを封じてしまえるらしい。

 もっとも、そんな足などなくとも、身動き一つ出来なかっただろうとフェイは思う。
 黒い一角馬に感じている異様な気配から来る緊張感とは異なる、被捕食者が捕食者に感じる本能的な恐怖。
 真上から紅蓮の瞳に見下ろされ、見返したまま逸らす事等許されないその眼差しに、フェイはただ息を詰め喰われるその時を待つ事しか出来なかった。

ー声を上げなかったコトは褒めてやらんでもないが、・・・扱いきれていない力に振り回されて、侵食されてるだろー

 細められる、燃え盛る炎を宿した双眸と共に“聲”が降って来る。
 ゴロゴロと大型の猫科の生き物が喉を鳴らしているかの様な低い音域の響きがフェイの耳朶を震わせ、なのにフェイが聞いている“聲”には闊達な気性を窺わせる女性的な響きがある様な気がした。
 聞き覚えのある気がする“聲”と、であると言う事。フェイは見返していた眼差しに、押さえつけられた苦しい呼吸のもと、それでも口を開いて、声に出す事なく、その音を唇の動きだけで綴った。

ー・・・アキー

 と、

 にぃっと弧を描く口の形には、猫科の獣の顔にも関わらず、不適で不遜で、なのにはっとするような艶やかさが花開く、そんな笑みの表情が見て取れて、
 刹那、フェイの視界が煉紅に染まった。
 真紅から明るい黄色みを帯びた緋色の業火。広がる先に澄んだ青色から空気へと解ける、色のない熱そのものであるかの様な高温の揺らめきが踊り、立ち上る陽炎が静謐を纏いながらも荒れ狂う。
 静けさと荒々しさが同居するそんな一時。
 不思議と熱いとの感覚はなく、煌々と照らし出された眩しさだけがフェイには気になっていた。
 押さえ込まれたままの息苦しさは相変わらずで、窒息しないぎりぎりの見極めがきっちりとされており、呼吸を止めてしまわない、それだけの不足気味な空気はフェイの意識を徐々に薄れさせて行く。

 そして、

ー確信ではないが、疑問系でもなくアタシを呼べた御褒美ってヤツだな。アイツは絶対にお前には会わないらしいが、確かににいるー

 考える余力等なかった筈が、耳を素通りしていくかの様なその言葉を意識してしまった時、瞬時に覚醒した意識にフェイは目を見開いた。

ーん?おおー

 何がどうして、何をどうやって、その全ての説明を放棄して、アキと呼んだ焔の豹の背にフェイの姿があった。

 完全に意表を突かれた様子の焔の豹が不思議そうに、そして感心したかの様に“聲”を上げているのは、きっちりと首に回されたしなやかな繊手が、その手には不釣り合いなまでに武骨なタクティカルナイフを握っている事に気が付いている為だろう。

 折り畳み式ではあるが、フェイが握るナイフは片手でブレードを開く事が可能な仕様となっていて、その刃は光の反射を抑える様、黒くコーティングがされているものだった。
 赤い毛並みの豹が出した焔の影響で、影を固めて研ぎ澄ましたかの様な刃はその鋭利な刃先を露としていたが、先程までの闇一辺倒といった場所では視認する事すら難しいであろう刃の存在。
 通常の狩りの獲物相手なら解体作業にも対応出来る代物で、豊かな毛並みに潜り込ませているその刃は刃厚が五ミリ程もあるものだった。

ーで、この後は?ー

 面白そうに、楽しげに問う様子は、ナイフの驚異等ないものの様に。けれど、それはある意味当然の反応だった。
 フェイにだって分かっている、この赤い焔の豹が、アスの記憶、意識の守護者ガーディアンとしてここにいるのなら、曲がり間違ってもその存在を傷付ける事等出来ないのだと。

ーアタシを傷付ければ、コイツの意識、自我にどんな影響が出るか分からない、少なくない影響、悪けりゃ廃人まっしぐら、そんな意味のないコトをしたいワケないだろ?ー

 分かっていて聞くのは意地が悪い。
 そう思われる事を意識しているのかニヤニヤと、相手の神経を逆撫でする笑みを、背中側にいるフェイにすら分かる様に浮かべているのだから、本当に良い性格をしている様だと、フェイはうっすらと笑みを浮かべた。
   
ーぞわっ

 駆け抜ける悪寒にか、赤い毛並みが瞬時に逆立ち、火の粉の様に燐光が散る。
 立ち上る炎は確かな熱を持っていて、フェイは首へと回していた腕をほどくと躊躇う事なく赤い豹の背から離れていた。

ーおまっ、今なに考えやがった!ー

 酷く焦った様な聲と共にフェイへと向き直り、紅玉ルビーの瞳は忌々しげにフェイを見ている。
 そんな様子を小首を傾げて見返し、意味が分からないと仕種で伝えて見るが、信じては貰えない事はフェイにも分かっているし、そもそも本当にポーズだけの事なのだから、相手の言い分も間違ってはいないのだ。

ー絶対分かってるだろ!その綺麗過ぎる笑み、がかえって胡散臭いわ!ー

 今度は心外だとでも言うかの様に、フェイは弛く首を振っていたが、当然この仕種にも意味らしい意味を持たせている訳ではない。

(ただの嫌がらせです、ええ)

 内心で呟き、殊更にっこりと笑う。
 その呟きが聴こえた訳でもないだろうが、不機嫌そうに焔の豹が尻尾で地面に相当しそうな空間を叩いているが、フェイの笑顔は微塵も揺らぐ事がないのだった。
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