月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

文字の大きさ
上 下
144 / 214
【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】

2 発端はどこにあったのか

しおりを挟む

「どういうことですか」

 掠れた硬い声音に問う声が室内に響く。
 声を発したルキフェルの深い青色の目にあるのは焦りと苛立ちだったが、今その表情にあるのは縋る様な懇願にも似た必死さだった。

「先程も言いましたが身体の方の回復に問題はありません」
「ならなぜアスは目を覚まさないのですか?」

 常として浮かべられている、ここ青の集落カエルレウスの長であるカイヤの淡い微笑みにも、告げたその声には何処か精彩さに欠けていて、その答えに問いを重ねるルキフェルは歪める表情に、溢れそうになるものをどうにか堪えていると言った様子だった。

「ただ眠っているだけとしか・・・」

 それはここ数日、ルキフェルが既に何度も聞いた言葉でしかなかった。

 ルキフェルの現状の余裕のなさ、そしてカイヤの笑みを陰らせている原因。
 その理由が、締め括られるカイヤの、やはり変わる事のない言葉に集約される。

「現状ですと、私の方ではこれ以上はどうにもできません」

 告げられる言葉を覚悟していて、けれどそのやるせなさに、ルキフェルは強く目を閉じ、一つ置く呼吸にどうにか溢れそうになる全てを押さえ込む。

「フェイさん」

 部屋にいる最後の一人をルキフェルは呼ぶ。それもまたここ数日繰り返されている流れの一つだった。

 ベッドに寝かされたアスの閉ざされた瞼。
 酷く弱いまま落ち着いている呼吸に、よくよく見れば白い薄手のブランケットをかけられた胸もとがごくごく僅かに上下している事が確認出来る。
 ルキフェルに呼ばれたフェイは、アスの眠るベッドの左側、窓を背にした状態でそこにある椅子に座り、ブランケットの下から引き出したアスの手を両手で包み込む様にして握ったまま、半分ほど伏せた目蓋の状態に、何処とも知れない場所を見詰める眼差しでアスの顔を見詰めていた。

 フェイはアスから移す視線にルキフェルの姿を認め、そうして首を左右に振る。その流れをもう何日繰り返した事だろう。
 あの日、ここ青の集落カエルレウスで、今代の勇者パーティを迎え、退け、そうして澱みの龍との戦いになった。

 ここ青の集落カエルレウスは、そもそもが、澱みを集めやすい地形の上に在る。
 風が種を運ぶ様に、水が土を輸する様に、新たな地で土は土台となり、運ばれた種は芽吹く。そうして命は育まれ、栄えて、何時か潰える。
 潰えると言っても、それは終わりの一つでしかなく、それはまた何かの始まりだったり、礎となっていたりもする。
 世界は巡っている。あらゆるものは繋がっていて、故に廻り、還る。
 けれど、時にその循環から外れてしまうものがある。
 廻りに戻る事も出来ず、何にもなれず何処にも行けなくなってしまったもの。
 そういったものは、そのまま滞り、澱み、濁りとなって、世界そのものを侵食して行く。
 蝕まれた世界の欠片、澱みに侵された事象の結果、その一端こそが、今回出現した澱みの龍だった。
 形を得た澱みは、ただ滞るままそこに在り続けるだけでなく、世界を喰らう様になる。
 それを止める為の戦いの結果、澱みは形を成せない程に砕かれ、そして、アスは目覚めなくなった。

 戦いの最後に澱みへと沈んだルキフェルですら、戦いの二日後には目を覚ましていた。
 それから更に、十日が経っている。
 負っていた怪我の治療や、魔法の限界を越えた使用による心身への負担。それも、一週間にも及ぶ青の集落カエルレウスの長、直々の集中的な治療によって、アスは何時目を覚ましてもおかしくないと言う段階にまで回復させられていた。

 何時目を覚ましてもおかしくない。そう聞かされてから、目覚める事のないままののアスの状態は五日目に入っている。
 誰が呼び掛けようとも答える事のない、どうにも出来ないと言う事を確認するだけになりつつある現状の時間。
 今日も首を横に振ると言うフェイの仕種からルキフェルは失望感に捕らわれかけ、けれど、首を横に振る、その仕種の途中で不意にフェイの動きが静止した事で、ルキフェルは怪訝そうにフェイを見ていた。
 まるで、首を傾げているかの様にフェイはその動きを止め、そうして・・・

「・・・浅い眠り、“ ”の領域・・・・・・っ」

 息を呑み、呼吸を詰まらせる。
 呟きは譫言の様に、半眼で何事かと口を動かしていたフェイが、見開く双眸に呻いた。

ーバチンッー

 生じた凄まじい静電気に空気が爆ぜたかの様な錯覚。
 弾かれたフェイの手に、勢い余ったフェイの長身が椅子ごと後ろへと倒れかけるのを、ルキフェルは咄嗟にベッドの反対側から伸ばし掴む手に引き留める事に成功する。
 その最中に、支えるもののなかった椅子が、一際大きな音を立てて倒れるが、ルキフェルの手は間違いなく、細く長いしなやかな手の指を握っていた。

(鳥?)

 触れた瞬間に、ルキフェルの見ていた光景に白い翼が重なって見え、ルキフェルは内心でそんな事を呟いていた。

「大丈夫ですか?」
「・・・・・・」

 回り込み、倒れた椅子を戻しながら、カイヤは確認の言葉をフェイへと投げ掛ける。 
 そうして、ルキフェルの手から自然な動作で、フェイの手を回収して行き、カイヤはそのまま戻した椅子へとフェイを促し座らせていた。

「無茶をしたようですね。そもそも貴方には夢へと渡る力などなかった筈ですが?」
「・・・・・・」

 顔にあるのは微笑みで、なのに、そう告げるカイヤの声音には、どんな誤魔化しをも許さないとそう感じさせる、そんな硬質的な響きがあった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

お爺様の贈り物

豆狸
ファンタジー
お爺様、素晴らしい贈り物を本当にありがとうございました。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

追い出された万能職に新しい人生が始まりました

東堂大稀(旧:To-do)
ファンタジー
「お前、クビな」 その一言で『万能職』の青年ロアは勇者パーティーから追い出された。 『万能職』は冒険者の最底辺職だ。 冒険者ギルドの区分では『万能職』と耳触りのいい呼び方をされているが、めったにそんな呼び方をしてもらえない職業だった。 『雑用係』『運び屋』『なんでも屋』『小間使い』『見習い』。 口汚い者たちなど『寄生虫」と呼んだり、あえて『万能様』と皮肉を効かせて呼んでいた。 要するにパーティーの戦闘以外の仕事をなんでもこなす、雑用専門の最下級職だった。 その底辺職を7年も勤めた彼は、追い出されたことによって新しい人生を始める……。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

処理中です...