月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

72 澱みが為す象

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「・・・けほっ・・・」

 咳き込み、吐き出してしまう事で、苦しいながらも呼吸を確保しようとする。
 誤魔化しきれない、致命的な不具合の結果がそこにはあった。

「アス!?」
「いい、前」

 端的に告げる、その刺激だけでアスは湿った咳を繰り返す。

 右足一本を軸に、全身を使って捻り、回転し大きく横凪にする動作、良くあの体勢からこちらへのフォローに繋げられるなと感心する。

「アス大丈夫ですか?」
銀礫ぎんれきの魔女、貴女身体が・・・」

  珍しく焦燥に駆られたフェイの声に、カイヤの苦虫を噛み潰したかのような反応。距離はあったが、あちらにも気付かれたらしかった。

「問題ない訳じゃないが、ちゃんと戦える」

 聞こえるかは分からないがアスは向ける視線に唇を動かした。

「冗談じゃない!あとはこっちでやる、アスは休んで!」

 こちらは確実に聞こえていたらしいルキフェルが、繰り返す斬撃の中、アスへと強く言い放った。

「冗談は、そちらだろう・・・お前も、もう、限界だ」

 一言一言を区切る様にしてアスは言い返す。
 
 気付かれないとでも思っていたのか、ルキフェルの見張る双眸に、その顔が悔しげに歪んだ。
 目に見えて呼吸が上がっていたり、明確な一撃を貰う訳ではない。それでも、明らかに鈍くなりつつある反応と、切り捨てて動いている小さな影響に、確実に動けなくなっているのだとアスには分かった。

 ルキフェルは勇者としての矜持か、本当に駄目になるその瞬間まで、仲間にすら不調を悟らせない戦い方をする事がある。
 確かに集団戦の中で、戦いの要となる勇者が疲れを見せたり、ダメージを窺わせる動きをすれば、一気に動揺は広がり、士気は落ちる。
 けれど、仲間パーティ内だけの戦いでもそれをやられたなら、色々と問題があった。

 思い出す、大きな怪我から来る高熱に意識を失った勇者とそれを介抱する聖女の必死な形相。剣聖殿が握りしめた拳からは血が滴り、余計な傷で手間を増やさないで下さいと、冷静そうに指摘した侍従殿も、その表情には苦いものがあった。

 その戦いは、小さな街一つを守って凶暴化した魔獣の集団を迎え撃つと言うものだった。
 発見が遅れ、国からの援軍は間に合わず、住民の結界内への避難すらも終わるかどうか、分が悪いと逃げ出す駐在の戦力に、勇者パーティだけで挑む事になったのだ。
 戦いの最後は誰もが満身創痍と言った有り様だったが、結果として街の防衛には成功し、その後の復興作業に入る前段階の片付けすらも勇者は手伝っていた。
 そしてその最中に勇者が倒れたのだ。

ーちょっと、もう無理かもー

 パーティだけになった、防衛戦から一昼夜が経ったその日の夜の事だった。そんな軽い物言いで言うものだから、直ぐに意味を理解出来たものはおらず、そして、理解されないままに傍らにいた剣聖殿の肩へと凭れ掛かるとずるずると身体は傾いで行く。
 咄嗟に剣聖殿が勇者を支えていたが、既に自分で自分を支えていられない状態なのは明らかだった。
 皆が皆、満身創痍の中で、勇者だけが無事等有り得なかったのだ。そう思い知る瞬間だった。

 あの戦いで勇者は一度パーティ内での信頼を失墜させた訳なのだが、回復した後も必要最低限しか口を聞いてくれない聖女と、侍従殿の蔑みの視線、極めつけは剣聖殿の復帰確認と言う名の、降参も逃走も許されない死闘だった。
 因みにアスは基本的に傍観へと徹し、治癒後の勇者への対応としては、長いものには巻かれろを実践すると、知らぬ存ぜぬを貫いた。

ー・・・、ー

 恥も外聞も捨てて謝り倒す勇者の姿を幻視しながらも、アスは勇者ルキフェルの周囲を焼き払う。

「アス!」
「・・・はは」

 口の端を滴る不快な感触を乱暴な仕種で拭う。
 手の甲へと付着した赤い色彩が、霞み明滅する視界の中でも鮮烈な色合いを見せ、拭っても、あまり意味はなかったなと、溢れた笑いに口の中には新たな血の味が広がっていた。

 速い鼓動、暑いと言うよりも熱い。そう感じているのに酷く冷たい指先。
 それでもアスは笑う。何の問題もないと言う様に。

「大丈夫だ、これくらい後でどうにでも治せる。だから、私が戦うんだ」
「何を言ってるっ!」
「お前がこれ以上、戦う必要はない」

 これ以上、ここで自分に付き合う必要はないのだと、アスは言外に告げる。

 動きがあった。
 広がるだけ広がった筈の闇が、今度は逆に水面を這い、一点に寄り集まる様にして蠢いている。
 染まった水の冥い色合いはそのまま、その一点へと向けて、急速に色合いをより深く、より暗く、澱みを増して、何らかの姿を形作ろうとしている様に見えた。

「そんなに傷付いて苦しんでるのに、アス!」

 呼ばれた名前に何故分からない、と責められている様な気がして、アスは不思議そうに首を傾げた。

「・・・っ」

 堪えきれなかった咳に、溢れる血塊。

(駄目だ)

 思い、霞む視界に遠退きかける意識を、どうにか繋ぎ止める。
 気を抜けば意識を失う。分かっているだけにルキフェルの発言から強引に思考を逸らした。

(意味を考えている場合じゃない。今はこれをどうにかする事だけを考えないと)
「俺が戦うから!退いて!」
(やはり、こうなったか)

 滞留する澱み。流れは細波立ち、重力を無視して空へと向けて引き伸ばされる。

 その胴回りは太く、大人が三人程水平に手を伸ばし繋ぎあって、ようやく回りを囲めるかどうかと言ったぐらいか。
 水面を覆う闇と半ば同化する様にして、胴には小さな翼とも鰭ともつかないものが広げられ、見上げる様にして仰ぎ見た場所には、鰐にも蛇にも見える頭が、大きく口を開いてそこにあった。

「アイツの姿を真似たか」

 上から押し潰さんとするばかりに、開かれた口は呟くアスへと肉薄する。

(核となる形を取ったなら、後はこれを砕いて、焼き払えば)

 目のない頭部、間近に迫るあぎと
 その口腔内には無数の牙が連なり、そしてその更に奥には、虚無と言う言葉を想起させる闇があった。

「アス!」

 
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