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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
71 破綻
しおりを挟む誰もが思い、けれどそれを口にする事が出来たルキフェルにはまだ余裕があると言えるのだろう。
飛びかかり来る闇の塊への対処に、どれだけの時間、各々が武器を振るい、魔法を展開させ続けて来たのか、最初にアスが焼き払った時、確かに薄くなった様に見えた闇は、水底から、後から後からと際限なく湧き出して来るものに今やその濃さをすっかりもとに戻し、更に範囲を広げつつあった。
それでも、ルキフェルやフェイ、カイヤやシャゲがいる岸辺はまだましだと言えるのかもしれない。
初撃でアスが焼いた水面。そこに流れ込み、迫り来る闇は動きが鈍くなり、形状も水面から吹き出したままの単純なものだったのだから。
誰ともなしに気にしている沖合い、翻る青のグラデーションに舞う、そこではアスが一人で動き回っていた。
どろりとした水面の状態と、立ち込める黒煙。
同じ場所でアスが舞を失敗させた時は、冷たい霧が白く視界を覆っていた為に、視覚的な状態はあまり変わらない。
けれど、あの時よりも重い身体と、もたつきかける手足に、遥かにその状態は悪くなっていると言えた。
あった筈の流れの中程で、水面すれすれに打ち込まれた透明なポールの一つにアスは立ち、深く息を吐いて呼吸を整える。
全く楽にならない息苦しさに、霞むどころか明滅する視界は、既に自分自身への誤魔化しすらも限界に来ていると言う事をアスへと自覚させていた。
(まだ・・・)
大丈夫ではない。それを理解していて、それでもアスは足掻くべく、次の足場へと飛来する。
留まっていれば、這い寄る澱みに捕らわれる。捉えられれば、逃れられないと、己が深く深く沈んで行く様を幻視してしまう。
アスは自身が行使する魔法の出力不足に初撃の段階で気付いていた。
青の入り江での休息で、失っていた魔力は八割程が戻り、残量的なものも今はまだある状態。だが、それを魔法として行使する為の制御力は万全の状態から程遠い様だった。
魔法や魔術の威力は本人が持つ魔力の強さに比例し、けれどその行使には、体力や集中力と言ったものも重要な要素となってくる。
魔法だろうが魔術だろうが、発動迄の工程で望む事象を明確にし、高い集中力を以て魔力で“結果”迄の道筋を構築し、形作る必要があるのだ。
結果である現象。そこに導く為の回路 にアスは今も致命的な損傷を負った状態のままだった。
その為に、どれだけ魔力を練り上げ、望む結果へと向けて注ぎ込もうと、上手く行かない。
結果、魔法として発動させれはするが、それは本来の威力に満たない効果しか得られないものだった。
そして何よりも、注ぎ込みながら、上手く事象迄の変換がなされなかった魔力は、行き場を失い、渦巻くままに魔法を行使するアス自身を更に傷付けていた。
跳び移る足場へと、その最中に、アスが一瞬だけ目を向ける先ではルキフェルがカイヤとフェイの二人を守る様にして剣を振るう光景が確認出来、それで良いと思う反面、僅かに胸へと去来する感情に目を細めた。
そんな余所事に一瞬とは言え気を取られたせいか、アスは着地した足場に、膝が崩れるのを堪え損ねてしまう。
そこは他の足場よりもほんの少しだけ広めの円形が形作られていて、それでもアスが両膝を着いてしまえば、その膝が、台座の縁からはみ出してしまう程にはぎりぎりだった。
咄嗟に纏っていた自身への守りを強化していたが、既に、守りの外側はゲル状へと身を広げた闇塊に取り付かれ、侵食を受け始めている。
アスは直ぐ様立ち上がるべく足へと力を込め、けれど、振るえる足以上に限界を訴える器官のせいで、咄嗟に右手で口もとを押さえ、顔を俯けるのが精一杯だった。
(駄目だ、まだ・・・まだやるから、だから気付くな)
痙攣する肺。込み上がり来る吐き気に喉を焼く灼熱感。
「アス!」
呼び声は近く、自身が纏っていた守りの障壁の上から纏わり付いていたゲル状の闇が一太刀のもと一掃される。
どうやって、それ以上に何時の間にその位置にまで来ていたのか、足場の位置取りから、二メートル程離れた場所に佇むルキフェルの姿をアスは見た。
その姿へと覚えてしまう安心感に、勇者と言う存在は度し難いと、アスは淡く笑う。
それをどう受け取ったのか、ルキフェルは目を見張り、そして眉根へと皺を寄せるのだった。
所謂渋面と言うやつだと思うのだが、この状況で向けられる表情だったかと、アスは不思議そうに首を傾げてしまう。
すると、そんなアスの反応にか、更に眉間へと寄せられた皺が深まった。
解せないと感じるままを表情にしてやる。
「アス、動けるなら青の長が張っている結界障壁の向こうへ、行って、早く」
「はは」
それどころではなかったとばかりに言葉は発せられ、けれどアスは声を溢す様にして笑う。
「アス?」
「大丈夫だ、ちゃんと終わらせるから、助かったよルキフェル」
「アス・・・?」
告げるお礼にルキフェルの名前を呼ぶ。
怪訝そうに再度アスと呼ばれ、アスは浮かべる笑みに、相手へと安心感を与える、そんな笑顔を意識してルキフェルを見ていた。
「だから、そのまま待ってて」
優雅な笑みと余裕ある仕種をと気合いを入れる。
浮かべる笑みは、自身への見栄。見栄を張る事で大丈夫だとルキフェルを誤魔化し、自分をも騙す。
まだ動けると確認して、そうしてルキフェルへと伝えたのは、関わりに対する線引き、これ以上を拒絶するその為の言葉だった。
ー耀焔ー
爆発的な燃焼反応により、光がルキフェルの周りに蠢く闇を燃やす。
燃えると言う工程は刹那に、烟るものすらも残す事なく、僅かばかりの真っ白な灰が煌々と燻り瞬いていた。
ー遮・・・ー
(あ、もう)
堪えきれない、その感覚に目の前が暗くなる。
今のアスの中で優先させるべきはルキフェルの存在だった。
ルキフェルには既に関係がないのだから。
それでも、どうにかする為に、利己的な事を自覚しながらもここまで付き合わせてしまった。
けれど、ここまで。
だからこそ、守りの付与を重ね掛けしようと続けようとして、・・・ごぼりと、周囲を取り囲む闇が爆ぜる音に混じり、その音は間違いなくアスの口腔より溢れ出た音だった。
鼻へと突き抜ける不快な血臭。咄嗟にルキフェルへと背を向けはしたものの先程遣り過ごした灼熱感を堪えきれず、アスの口から溢れた熱い血塊は、口を押さえた手の指の隙間から溢れ。そのしなやかな手をどうしようもなく染めてしまう。
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