118 / 214
【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
60 差し出される手
しおりを挟むミハエルの満面の笑顔が、そうであるとただ告げる事こそが事実であると言う様に。
勇者の言葉は、それだけの力を持っていた。
先程、アスはミハエル達の疑問を認めなかった。
戸惑いが形になろうとしていた、その段階で拒否する事で、問い掛けられる前に有耶無耶にして見せた。
だからこそ、今のミハエルの言葉は、それをそのまま返された形に近く、けれど、決定的なまでに違っているのだ。
聞かれてはならない事への矛先を反らしただけのアスとは違い、この勇者の言葉は、形の、在り方の断定だったのだから。
「怖い、ですね」
思わずと言う様に呟かれた声は、発した本人ですらも聞き取れているか分からない程に小さく、そして、その最中に四人の人物に動きがあった為に誰かにその意味を問われる事もなかった。
けれど、一番近くにいたアスだけは、そんなフェイの囁きを聞いていた。そして、同種を持つが為に、自分と同じ理解をしたであろう事を、呟かれた内容から察した事で、アスもまたその発言について触れる事はなかった。
ーキンッー
高く澄んだ音が、アスの意識を引っ張る。事が起きたその一瞬の場面へと捲き込みながらも時を止めてしまったかの様に。
そんな錯覚に内心で苦笑しながらも、アスは開いたままの目に、引き起こされるその全てを見ていて、そして今、再び時の流れを促すかの様に、速くも遅くもない速度で瞬きを一回した。
この瞬間に、恐らくは真っ先に動いた一人、それはアスの見ていたミハエルではなく、その右後方に控えていたリオだった。
感情に薄く、けれどその殺意は誰よりも明確に、凍てついた瞳が暗くも鋭い光を燻らせていた。
その挙動に、リオは外套の中で握り込んでいた右手の親指と薬指、小指。そして、伸ばされている残りの人差し指と中指をぴんと立て、切り上げる仕種のままに腕を鋭く振り抜く。
ーフュー
と、そんな隙間風にも、風どうしの摩擦にも似た音をアスの耳は聞いている。
リオが動くその瞬間に寸分違わず、それは、僅かに窄められたカイヤの唇が放つ口笛の秘めやかな響きだった。
一集落の長たる存在が何の準備もしていない訳がなく、寧ろ予定調和の如く、備えていたのだろうと思わせる程の行動タイミングが素晴らしかった。
ぞわりと、気付き見てしまった者の肌を本能的に粟立たせる黒い残像もまた、ほぼほぼ同じ時に生じていた。
その場での、静止からの急な動きでカッツェが、エレーナの前に立ち、腕に装着していた小手で小さな銀の閃きを叩き落とす。
サシュっと軽すぎる擦過音とともに、揃えた指の二本分もない細身のナイフが地面へと突き刺さる。
間違いなく狙ったのだろうその場所は、襲撃を仕掛けた者の足もと、確実に行動への牽制を果たす位置だった。
襲撃者ことシャゲは、今はカイヤの右斜め前に何事もなく、そもそもが何時の間にかそこにいた。
本当に何時からいたのかと、アスは内心でだが首を傾げていた。
「皆様、殺意が高いですね」
感心した様な声が宣うが、その皆には当然言った本人も入っている筈で、何故そんなに他人事なのかと、アスは今度こそ表情に出して苦笑しつつも、カイヤの何事もなかったかの様に涼しげに佇む様を見ていた。
アスの目の前には、繊細な光を瞬かせ六花を形作る、驚く程に澄んだ青色の結晶が、まるでアスを守ろうとするかの様に何枚も並んでいた。
それは不純物の一切を排除した、純粋であるからこその、より強固さを追及された氷の結晶だった。
間違いなくアスを守った楯。この楯を構築したのがカイヤの口笛であり、そこにぶつかった、アスを害する意志の込められた、見るからに禍々しい濃い紫色の針はリオの魔術。
アスの聞いた澄んだ音の出所がまさしくここだったのだ。
「苦笑で済ましている段階で同類です。私は少しばかり引きました」
「自分は違うと他人事にして逃げようとしても無駄だと思うが?」
「それでも、貴方を差し出せば、行ける気がしてきましたね」
引くと言う言葉程には動揺もしていないであろう平静そのものフェイと、無駄を告げつつも、逃げるのは賛成だから寧ろ連れて行けと視線で訴えるアスの、戯れ言の様な言葉上のやり取り。
一瞬の間に起こされた一連の攻防の中心地に限りなく近くも、ここだけ空気が違っていて、実のところそれは、アスとフェイの無関係を装いたいと言う全力の抵抗の結果でもあった。
そして、自らが引き金を引きながらも、その結果等関係がないとばかりに、やはりと言うべきか、どうにも許してくれない熱視線の向く先にもアスは気付いていた。
「僕は勇者ミハエル。選ばれし救世の徒、混迷なる時代に人々を導き、輝く未来への道を切り開くもの」
目の前へと差し出される手の平をアスはただただ眺め見る。
この手を取ってと言う様に、その手が取られる事に疑いの一切を抱いていないと言う様に、自然と消えた表情と僅かに上げた視線で視界へと入れる、自信と慈愛すらも感じさせる笑顔がアス一人へと向けられているのを、アスはやはり、感情の色合いに欠けた眼差しで眺めていた。
アスとミハエルの存在を中心に、カイヤとリオ、そしてシャゲとカッツェの初動がぶつかり合い、けれど、それは明確な敵対行動とは違っていたのだろう。
アスが魔女と告げた瞬間の動きであっても、ここは魔女を擁する青の集落であり、勇者は魔女の存在を望んでいるのだから。
決断を求めて時が進み続ける。
見合ったまま、次動作へと誰かが動く事もなく、その場から離れ、何処かへと行くこともないが、睨み合うでもなく、同じ空間のただそこにいると言った感じだろうか。
「ん・・・」
力を抜いて細めた双眸に、アスは吐息とも溜め息ともつかない息を溢した。
そして、勇者からの名乗りへと答える為に、薄く開いた唇を動かして行く。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説

追い出された万能職に新しい人生が始まりました
東堂大稀(旧:To-do)
ファンタジー
「お前、クビな」
その一言で『万能職』の青年ロアは勇者パーティーから追い出された。
『万能職』は冒険者の最底辺職だ。
冒険者ギルドの区分では『万能職』と耳触りのいい呼び方をされているが、めったにそんな呼び方をしてもらえない職業だった。
『雑用係』『運び屋』『なんでも屋』『小間使い』『見習い』。
口汚い者たちなど『寄生虫」と呼んだり、あえて『万能様』と皮肉を効かせて呼んでいた。
要するにパーティーの戦闘以外の仕事をなんでもこなす、雑用専門の最下級職だった。
その底辺職を7年も勤めた彼は、追い出されたことによって新しい人生を始める……。


五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

『王家の面汚し』と呼ばれ帝国へ売られた王女ですが、普通に歓迎されました……
Ryo-k
ファンタジー
王宮で開かれた側妃主催のパーティーで婚約破棄を告げられたのは、アシュリー・クローネ第一王女。
優秀と言われているラビニア・クローネ第二王女と常に比較され続け、彼女は貴族たちからは『王家の面汚し』と呼ばれ疎まれていた。
そんな彼女は、帝国との交易の条件として、帝国に送られることになる。
しかしこの時は誰も予想していなかった。
この出来事が、王国の滅亡へのカウントダウンの始まりであることを……
アシュリーが帝国で、秘められていた才能を開花するのを……
※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

転生幼女のチートな悠々自適生活〜伝統魔法を使い続けていたら気づけば賢者になっていた〜
犬社護
ファンタジー
ユミル(4歳)は気がついたら、崖下にある森の中にいた。
馬車が崖下に落下した影響で、前世の記憶を思い出す。周囲には散乱した荷物だけでなく、さっきまで会話していた家族が横たわっており、自分だけ助かっていることにショックを受ける。
大雨の中を泣き叫んでいる時、1体の小さな精霊カーバンクルが現れる。前世もふもふ好きだったユミルは、もふもふ精霊と会話することで悲しみも和らぎ、互いに打ち解けることに成功する。
精霊カーバンクルと仲良くなったことで、彼女は日本古来の伝統に関わる魔法を習得するのだが、チート魔法のせいで色々やらかしていく。まわりの精霊や街に住む平民や貴族達もそれに振り回されるものの、愛くるしく天真爛漫な彼女を見ることで、皆がほっこり心を癒されていく。
人々や精霊に愛されていくユミルは、伝統魔法で仲間たちと悠々自適な生活を目指します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる