月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

60 差し出される手

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 ミハエルの満面の笑顔が、そうであるとただ告げる事こそが事実であると言う様に。
 勇者ミハエルの言葉は、それだけの力を持っていた。

 先程、アスはミハエル達の疑問を認めなかった。
 戸惑いが形になろうとしていた、その段階で拒否する事で、問い掛けられる前に有耶無耶にして見せた。
 だからこそ、今のミハエルの言葉は、それをそのまま返された形に近く、けれど、決定的なまでに違っているのだ。
 聞かれてはならない事への矛先を反らしただけのアスとは違い、この勇者ミハエルの言葉は、形の、在り方の断定だったのだから。

「怖い、ですね」

 思わずと言う様に呟かれた声は、発した本人ですらも聞き取れているか分からない程に小さく、そして、その最中に四人の人物に動きがあった為に誰かにその意味を問われる事もなかった。
 けれど、一番近くにいたアスだけは、そんなフェイの囁きを聞いていた。そして、同種を持つが為に、自分と同じ理解をしたであろう事を、呟かれた内容から察した事で、アスもまたその発言について触れる事はなかった。

ーキンッー

 高く澄んだ音が、アスの意識を引っ張る。事が起きたその一瞬の場面へと捲き込みながらも時を止めてしまったかの様に。
 そんな錯覚に内心で苦笑しながらも、アスは開いたままの目に、引き起こされるその全てを見ていて、そして今、再び時の流れを促すかの様に、速くも遅くもない速度で瞬きを一回した。

 この瞬間に、恐らくは真っ先に動いた一人、それはアスの見ていたミハエルではなく、その右後方に控えていたリオだった。

 感情に薄く、けれどその殺意は誰よりも明確に、凍てついた瞳が暗くも鋭い光を燻らせていた。
 その挙動に、リオは外套ローブの中で握り込んでいた右手の親指と薬指、小指。そして、伸ばされている残りの人差し指と中指をぴんと立て、切り上げる仕種のままに腕を鋭く振り抜く。

ーフュー

 と、そんな隙間風にも、風どうしの摩擦にも似た音をアスの耳は聞いている。
 リオが動くその瞬間に寸分違わず、それは、僅かに窄められたカイヤの唇が放つ口笛の秘めやかな響きだった。
 一集落の長たる存在が何の準備もしていない訳がなく、寧ろ予定調和の如く、備えていたのだろうと思わせる程の行動タイミングが素晴らしかった。

 ぞわりと、気付き見てしまった者の肌を本能的に粟立たせる黒い残像もまた、ほぼほぼ同じ時に生じていた。
 その場での、静止からの急な動きでカッツェが、エレーナの前に立ち、腕に装着していた小手で小さな銀の閃きを叩き落とす。
 サシュっと軽すぎる擦過音とともに、揃えた指の二本分もない細身のナイフが地面へと突き刺さる。
 間違いなく狙ったのだろうその場所は、襲撃を仕掛けた者の足もと、確実に行動への牽制を果たす位置だった。

 襲撃者ことシャゲは、今はカイヤの右斜め前に何事もなく、そもそもが何時の間にかそこにいた。
 本当に何時からいたのかと、アスは内心でだが首を傾げていた。

「皆様、殺意が高いですね」

 感心した様な声が宣うが、そのには当然言った本人も入っている筈で、何故そんなに他人事なのかと、アスは今度こそ表情に出して苦笑しつつも、カイヤの何事もなかったかの様に涼しげに佇む様を見ていた。

 アスの目の前には、繊細な光を瞬かせ六花を形作る、驚く程に澄んだ青色の結晶が、まるでアスを守ろうとするかの様に何枚も並んでいた。
 それは不純物の一切を排除した、純粋であるからこその、より強固さを追及された氷の結晶だった。
 間違いなくアスを守った楯。この楯を構築したのがカイヤの口笛であり、そこにぶつかった、アスを害する意志の込められた、見るからに禍々しい濃い紫色のニードルはリオの魔術。
 アスの聞いた澄んだ音の出所がまさしくここだったのだ。

「苦笑で済ましている段階で同類です。私は少しばかり引きました」
「自分は違うと他人事にして逃げようとしても無駄だと思うが?」
「それでも、貴方を差し出せば、行ける気がしてきましたね」

 引くと言う言葉程には動揺もしていないであろう平静そのものフェイと、無駄を告げつつも、逃げるのは賛成だから寧ろ連れて行けと視線で訴えるアスの、戯れ言の様な言葉上のやり取り。

 一瞬の間に起こされた一連の攻防の中心地に限りなく近くも、ここだけ空気が違っていて、実のところそれは、アスとフェイの無関係を装いたいと言う全力の抵抗の結果でもあった。
 そして、自らが引き金を引きながらも、その結果等関係がないとばかりに、やはりと言うべきか、どうにも許してくれない熱視線の向く先にもアスは気付いていた。

「僕は勇者ミハエル。選ばれし救世の徒、混迷なる時代に人々を導き、輝く未来への道を切り開くもの」

 目の前へと差し出される手の平をアスはただただ眺め見る。
 この手を取ってと言う様に、その手が取られる事に疑いの一切を抱いていないと言う様に、自然と消えた表情と僅かに上げた視線で視界へと入れる、自信と慈愛すらも感じさせる笑顔がアス一人へと向けられているのを、アスはやはり、感情の色合いに欠けた眼差しで眺めていた。

 アスとミハエルの存在を中心に、カイヤとリオ、そしてシャゲとカッツェの初動がぶつかり合い、けれど、それは明確な敵対行動とは違っていたのだろう。
 アスが魔女と告げた瞬間の動きであっても、ここは魔女を擁する青の集落カエルレウスであり、勇者は魔女の存在を望んでいるのだから。

 決断を求めて時が進み続ける。
 見合ったまま、次動作へと誰かが動く事もなく、その場から離れ、何処かへと行くこともないが、睨み合うでもなく、同じ空間のただそこにいると言った感じだろうか。

「ん・・・」

 力を抜いて細めた双眸に、アスは吐息とも溜め息ともつかない息を溢した。
 そして、勇者からの名乗りへと答える為に、薄く開いた唇を動かして行く。



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