月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

53 襲来

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「・・・っ」

 堪える様に噛み締めた歯に、それでも堪えきれなかったか、呻く声が漏れ聞こえて来たが、アスの意識は既にその声の持ち主からは離れてしまっていた。

 割れた硝子の様な、確かな形を持つ水片が無数に降り注ぐ。
 そこに射し込む光が乱反射を繰り返す、そんな幻想的とも言える光景に、歪んで散乱した光が歪なスペクトルを撒き散らし、佇むアスの存在を淡く照らしていた。

 降り注ぐものから顔を守ろうと、僅かに俯いた事で、周りの明るさとは対照的に陰影の中へと沈んでしまった表情をアス自身も自覚する事なく、そうしてアスは誰にでもなく呟くのだった。

「・・・勇者」
「余波で、こんなっ!」

 アスの声を聞いてか、そんな余裕もないのか、苦し気にも発せられた言葉は、そもそもそれどころではないと言う様にその先へと続けられる事なく、どうにかと言う様にアズリテは繰り返す浅い呼吸にも息を整える事に集中している様だった。

「勇者が勇者たる所以が、このあらゆる思惑を捻伏す力業だろうな」
「思惑・・・長?」

 見張る目のまま呟くアズリテの様子から、現状がアズリテの予定外、或いはそもそも預かり知らぬ状態なのだろうとアスは思った。
 そうしてアスの脳裏へと浮かんで来るのはカエルレウスの長である存在の柔らかな微笑みであり、今もきっと変わらぬ笑顔がそこにあるのだろうと、想像出来てしまうだけに、アスはひたすらげんなりとしてしまうのだった。

「今代の勇者様も、魔女と言う存在を、お望みのようです」
「・・・・・・」

 アズリテが何かを言っている。そう思うが、アスには上手く意味が把握出来なかった。
 ただ、意味は分からないが、ここに来てようやく意図を捉える事は出来たのだった。

「怒りの、向け先を用意してくれたってところか。それに、“借り”の精算を求められている?・・・一石三鳥か四鳥ぐらいの」

 呟き、一度目を閉じると、再び開くと同時にアスは揺らめく上方彼方を仰ぎ、そして、ここにはいない存在へと告げる。

「フェイ、必要ならべ」

 アスが許す。
 この場所にいない相手へと向けた、聞こえる筈のない声量に、届く筈のない声音。それでも、その許容は確かに届くべきへと届いていた。

銀礫ぎんれきの瞬きより嘯く者 呼び声に 風鳴りの如く疾くここへー

 歌う様な節をつけた響きを、硝子片を象っていた揺れる水面が奏でる。

「適当な詠唱とは裏腹で、結構切羽詰まった感じか」
 『行かせません』

 アスは仰ぐ虚空へと話し掛けると、眇める双眸に彼方を見据える。
 そして“聲”は耳朶を透過し脳髄を直接刺激するかの様に、意思を響かせてそんなアスへと届いた。
 けれど、アスは一瞥するアズリテと、その背景に、淡く笑みを浮かべて見せるそれだけの反応を返していた。

「はは」

 苦笑ではないが、友好的とも言い難い、それでも間違いなく笑みである表情に空気が停滞するその瞬間。
 アズリテとそこにいる“もう一人”はその表情に間違いなく魅了されていた。
 年齢も性別も問う事なく、アスの笑みとはそれ程の威力があるのだった。

「時が許すなら、後で、だがな」
『まって』
「この時を無為に過ごす事を選んだのはそちらだ、呼ばれているから私はもう行く」

 何でもない様に邂逅の終わりを告げるアス。
 機会はあり、十分だったかは分からないが時間もあった。その機会をここまで使い潰したのだからもう良いだろうとアスは思ったのだ。

『だめ』
「聞かない」

 引き留める意思をアスは感じ取っていたが、拒否を伝える。

「フェイ」
「無理、です。ここは藍晶らんしょうの魔女の・・・」
「関係がないよ」

 仰ぐアスの呼び声に、強張ったアズリテの声が不可能を告げようとして、けれど、アスはその言葉を最後まで聞く事なく、端的に切り捨てた。

「翼は一対で飛び立つものだから」

 告げるその声は囁きの様に、そしてアスは密やかに綴り始める。

ー導きの風、飛び立つ翼・・・ー

 唇の動きだけで、節をつけて、それは音無き奏でを大気へと刻み解き放つ様に。
 共鳴するままに、或いは怯えるように、シャラシャラと周囲を舞う、氷と水の飛沫が光と音色を重ね、アスの足もとから翡翠色の粒子か立ち上る。 

 下からのなぶる様な突風へとそっとアスは目を閉じ、開く。
 そして、切り替わった視界に、アスの目の前にあった長身が振り返った。
 柔らかな翠色の瞳を宿した切れ長の双眸で捉えたアスの姿にか、僅かに目を見張る様にして瞬いているそんな様子に、アスはふと首を傾げてしまう。

「フェイ、大丈夫じゃなさそうだぞ?」
「なんですか、大丈夫じゃなそうとは。確かに、全然、全く、大丈夫ではありません。疲れましたけど?物凄く」

 乱れた長い髪の幾筋と、頭から被ったのであろう、纏ったポンチョの上にまで振り積る砂埃のくすみ。
 切迫しながらも軽口の様で、その実、やや早口気味の口調までもが余裕を欠いている。
 野営の朝でも隙のないと言って良い身支度をしていたフェイの姿を知っているだけに、アスはまじまじとそんなフェイの姿を眺め見てしまっていた 。


 

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