月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

48 氷銷の祭祀(2021.10.26修正:内容変更なし)

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 アスが、掬い上げる様にして虚空へと放られたのだと気がついたのは、眼下に霧の揺蕩い渦巻く広大な水面の一端を見た時だった。

 時が止まったかの様な、一瞬の浮遊感の中で彼方に見る西方の山々の頂き。
 その山々から来る湧き水は、長大な流れを築き大地を削る。
 カエルレウスの集落は、それらの流れの幾つもの纏まが作り出す、中洲の様になったその中程にあるのだった。

『標高の高い山々から来た水の流れは、水浴びに適さないぐらい冷たくて、なのに、ここ、山の東側は比較的温暖な気候の土地柄なんです』
『成る程、それで川の水は暖められて霧が発生しているんですね。リィルは博識です』

 何時かの会話は聖女様と侍従殿のもので、感心しきりと言った侍従殿の様子に、照れてはにかむ聖女様の笑顔はとても愛らしいものだった。

『川の流れに沿うようにして、霧は流れの滞留と共に、この場所へと集まり停滞しているようです』
カエルレウスの集落は、そもそも誰かが何かをしてるんじゃなくても、一年の大半が深い霧の中か』
『故に隠れ里として成立している所があるのでしょう』

 聖女様の隣で剣聖殿と勇者が交わす会話は、視界が利かない地形について考える真面目な表情の剣聖殿と、見知らぬ場所への好奇心に落ち着かない様子が隠せていない勇者の様子が対称的で面白かった。

 そんな事を思い、そして僅かばかりの中空散策を強制的に満喫させられきったアスは、今度は内臓が引き攣れんばかりの、重力の歓迎を受ける事になる。
 三、四メートル程とは言え、急激な上昇と落下の高度変化があり、アスは苦しさに顔を顰め、そんな中でも目を凝らし、視界を広く取る様にして各所を眺め見ていた。

 湖さながらの、広大な水面の所々繁った芦原に点在する中洲の存在を見遣り、そして明らかに異質であるその場所へとアスは意識を向けて行く。

(・・・かくれの庵)

 声に出さずに呟くアスは、ただ眺め見るままに。

 幾重にも重なり、引き伸ばされる様にして広がって流れ行く霧。弛緩した空気が揺蕩わせるままの、白いけぶりのその向こうへと、アスは佇むようにして在る草ぶきの小屋を見ていた。
 不思議な光景で、水面よりも少しばかり高い位置に、まるで空中へと浮かんでいるかの様にして、その庵は存在している。

 そして、その庵の前に立つのは、群青色の髪を後ろで弛く束ねた一人の少年だった。
 僅かに仰ぐ様にして、アスへと向けられている濃い青色の瞳に、アスは吸い寄せられる様にして、何事かを告げて動く口もとを見ていた。



※ ※ ※

 アスがかくれの庵と呼んだその場所へと招かれる、その前に、少しだけ時を遡らせる。


 水面へと着く、ステップを踏む足が調子リズムを刻む。
 流れる霧と共に跳ねる飛沫を追い、纏い付かせた飛沫と共に霧の中を行く。
 射し込む日射しが白金色の髪を跳ねて、極上の月長石ムーンストーンの如き美しい青白い色のシラーを煌めかせ、羽衣の様に纏われた羽織の色合いが、青色の濃淡でグラデーションの彩りを翻す事で、より幻想的で神秘的なまでの雰囲気を醸し出す。

 アスの舞う水辺が見渡せる岸部で、フェイとカイヤは並んで立ち、数少ない観客としてその洗練された舞台さながらの光景を見ていた。

 気負いなく水面の上を歩き、どの岸部からも等間隔に距離をとったあの場所で足を止めたアスの立ち姿。
 そこが、この辺りで一番水深がある場所なのだとカイヤは把握していた。
 深く、何処までも澄んだ水の中でも、水底を見通す事が出来ない程の水深なのだ。

「山々から来る流れにより、自然に出来た深みであって、つまりは“おり”の溜まりやすい場所なんですよ」

 だからこそ、あそこはであり、その為に、季節の祭事における巫覡ふげき等による奉納の舞は、あの、アスのいる場所で行われて来たのだと、傍らにいるフェイへと聞かせて、密やかな声音で告げ来た。

「この辺りの澱みを集めている場所で、手順に則った祭祀の一貫として巫女舞は捧げられ、澱みは散らされます」
「あの足場?あの子が魔法で何かをしているのかと思ったのですが、違いますね」
「良く分かりましたね」

 アスが水面へと軽く着ける足先が生じさせる波紋を、細めた双眸で見詰めるフェイがカイヤの方を見ないまま問えば、同じくフェイの方へと目を向ける事のないカイヤは、褒める様にも酷くあっさりと肯定を答えて来る。
 
「水面ぎりぎりに透明な足場・・・ポイントに打ち込まれた魔晶石のくびきですか?」
「舞う所作と共に、決められた順序で足場となっている場所へと魔力を通すのですよ。貴方なら聞こえていますね?音なき音、空気中の水精等がうたう響きが」

ートィンー

と、弦を爪弾く様に、空気は不思議な反響と共に震え、フェイの耳朶ではなく、肌が直接音色を感じ取る。
 その表現し難い感覚は、硝子等が、人の耳が捉えられる音の外の音域の響きへと共振し、砕け散ってしまう寸前の様な、そんな危うさを感じさせていた。

 フェイが気付いた様に、アスは実態のない水の上を跳ね回っているのではなく、透明で、まともに見えないだけで、あの辺り一帯に設置された杭の上を準々に移動しているのだった。

「足場は確かにありますが、もともとが色なく透明で、水面とほぼ同じ高さにされています。あの霧の濃さから視認はまず無理ですし・・・足場の位置が分かったとしても、ただ、闇雲に・・・・・・」

 言葉を途切れさせ、カイヤは瞬かせる双眸から、アスを見る目を徐々に大きくして行った。

「澱みが、還って行く?ちゃんとした楽器による演奏はありませんし、正式な装束でもないのでしょうに・・・よくやります」

 呆れを含むフェイの言葉だったが、その声音には感嘆しかなかった。

 フェイはカエルレウスの集落へと訪れてから、この地を満たす霧へと滲む“澱み”の存在に気付いていた。だからこそ、昔からこの場所の水底に溜まるかすの状態にも注意と警戒を向けてはいたのだ。
 
 
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