月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

39 藍晶の護り

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 アスはただ見ていた。
 視界へと映るままを眺める、そんな視線の先、そこには自らへと迫り、霧の流れと共に視界を切り裂く蒼銀が閃いていた。

「ラズリテ!」
「アス!」

 焦ったようなカイヤとフェイが、それぞれの名前を呼ぶ響きはどう言う意図があったのだろうか。

 迷いがないな、と、そう感心しながらも、アスにはそんな感心が出来る程の余裕があり、尚且つ自らへと迫るそれが刃物であると認識する事も、その軌道から真っ直ぐに自分の喉を狙って来ていると言う、急所一択狙いであるとの躊躇いのなさを判断する事も出来ていた。
 刃の向こう、浮かべた軽妙な笑みはそのままに、瞳から感情の色合いだけを消した青紫色の双方を見遣る。
 見詰めて、けれど、アスは動かなかった。
 一連の行動に目がついていっていても、回避の為に身体が動く事が出来なかった訳ではなく、それはまるでその必要がないと知っているかのように、瞬きすらする事なく、アスはその刃を迎え入れようとしていた。

ーキンッ

 不純物を含まない薄くも硬い氷が砕け散る、その響きは、場違いな程に澄んでいて、硬質的な金属製の鈴の音にも似ていた。
 まるで、不可侵を宣言するかの様に、その壁は突如としてアスの目の前、迫っていた刃の切っ先の進路上に出現し、そして、刃の侵入を阻むと同時に、刃を道連れにして砕け散る。

「エルミス、止めないで」

 浮かべた軽妙な笑みはやはりそのままに、ラズリテはアスへと、正確にはアスの背後から正面のラズリテへと手を差し伸べる様にしていたアズリテへと告げていた。

「っ、」

 歯を食い縛り、息を呑む。
 そんなアズリテの様子を背後の空気に感じ取りながら、アスは煌々と光を反射しながら砕け散り落ちていた氷の欠片が、意思を持った様にその鋭利な尖端を自身へと向け、一斉に動いたのを眺めていた。

「あまり無理をするな、フェイにも言われたし怪我はさせない」

 そう言い、アスは背後の少し高い位置にあるアズリテの頭を右手で軽く撫でると、同時に左手で羽織っていた羽織を軽く一線させた。
 その動きは何気無い仕種そのままに然り気無く、けれど、今、必要としていた効果としては十分な意味があった。

 洗った服の皺を干す前に伸ばす様な、或いは服に着いた汚れを払うかの様な、そんな日常に紐付いた動きに近く、そして、重くも鋭いばさりと言う音が一度だけ、その場にいる者の耳朶を打ち、終わりとなる。
 氷は今度こそ、原型を失う程に砕かれ散り、個体から液体へ、飛沫の様な水滴は飛び散り、霧へと紛れて分からなくなってしまった。

「カイヤ、手打にしろ」
「ラズリテ、カエルレウスの長として命じます退きなさい」
「・・・はーい」

 アスの申し出へと、すかさず応じたカイヤの里長としての調停の言葉だった。
 そして、納得出来ないが故の短い沈黙。けれど、長としてと言われてしまえば退かない訳にはいかない筈なのだ。案の定と言うべきか、間延びした返事に不服と言う思いを露としながらも、ラズリテは一歩分の距離を退きもとの先頭を行く位置取りへと戻って行った。
 その際、一瞥するアスへと、とびきりの笑顔、そして、何処か愉しげでありながらも凍てついた眼差しを向けてだが。

「カイヤ?」

 ポツリと呟かれた言葉に、アスは後ろを振り返る。
 そこには、たった今、命を奪われ兼ねない程の襲撃を受けたと言う緊張感等、欠片もなく、無防備にしか見えない背中を向けられたラズリテこそが、驚きと困惑に目を瞬かせる光景があった。
 その後、さ迷わせた視線にラズリテがフェイへと説明を求めるやり取りがあったらしいが、アスには既に気にも止められてはいなかった。 

「カイヤナイトは藍晶石の事、だからお前の騎士だろう?藍晶らんしょうの魔女」
「あ・・・」

 アスを見詰める一度だけの瞬きに、溢される吐息のような声。
 揺れる、深い青色の瞳の色合いは、水底から仰ぎ見る凪いだ水面の色合いの様にアスには見えていた。

 何事かを告げようとか藍晶らんしょうの魔女とアスに呼ばれたアズリテは口を開き、けれど、そこから何等かの言葉も紡がれる事はなかった。

 はくり、と言葉の変わりにその呼気は吐き出され、アスを見詰めたままにアズリテの身体が傾いで行く。
 見詰められるままを、アスは眺め返し、けれど、合わさるのに視線が交わる事はなかった。
 青い目の中で結ばれる事のない焦点。支えを失い倒れ行くまま、アスはそんな光景をただ見ていた。
 受け止めるか支えるべく手を貸す事も出来たが、アスは動かなかった。自分がそれをする必要がないと分かっていたからだ。

 何時の間にかそこにいて、傍らから寄り添う様にしてカイヤが、力の抜けきったアズリテの身体を受け止める。
 そんなカイヤの手を拒むように、アズリテの指先だけが僅かに空を掻く動きをアスは見ていて、そしてカイヤもまた気付いていた。
 
「エルミス、すべては貴女の望むままに。ですが、今は」

 言い聞かせる様に、アズリテの耳もとで囁く柔らかな声音で、カイヤはただ首を横へと降って否を伝えていた。

「望むなら、会いにいこう」

 アスが告げれば、アズリテの焦点を結ぶ事のない双方がそれでもアスを捉えて動いた。

「お前の騎士と、影と、侍従殿をちゃんと説得出来たらだがな」

 苦笑しながらもアスはそう念を押し、それで誰の、何処までの納得を得られたのか、それぞれが様々な心内を抱きながらもそこまでとなった。
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