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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
35 青の洞から
しおりを挟むパン、パン、パン
そう手を叩く音が、アスとフェイの駆け引きを終わらせる合図となった。
「そこまででお願いします。ここは藍晶の魔女が領域。揉め事は困ります」
カイヤから告げられた時には既に、フェイの表情には苦笑に近くも何時もの笑みがあり、何事もなかったかの様なアスの視線もフェイから、立ち上がったカイヤへと移っていた。
もとよりアスもフェイも、第三者がいるこの場所でそれ以上をやり取りする気もなかった為に、水を注されたその瞬間からの切り替えは、周囲からすれば呆気ない程のものになるのだ。
それに気付いていたのかどうか、カイヤは目を緩やかに瞬かせながらも、結局は何かを言う事もなかった。
「ヴィリロス、癒しの入り江の使用を感謝する」
そう言って、何事もなかったかの様にアスは未だ足首が浸かったままだった水辺から上がって行った。
靴は履いておらず、素足に滑らかな岩場のひんやりとした感触を捉え、けれど、直ぐに移っていくアス自身の体温に、足裏には仄かな温もりすらも感じられていた。
カイヤをヴィリロスと青の長として呼ぶアスは、伝える感謝に、振り返ると先程まで自身がいた水面へと視線を落として行く。
アスが目を向けた場所にある、深く、底を窺わせる事のない水面の下に満ちた紺碧の揺蕩い。
洞窟の深奥を思わせるこの場所に満ちたそれは、光の射していないこの場所で、けれど確かな青色を湛え続けていた。
「水にしか見えませんのに、いつ見ても不思議ですね」
「高濃度の魔粒子の集合体。確かに水に見えるが、触っても濡れないし、そもそも普通は触れられるものでもないからな」
地底湖のような場所から上がってきた筈のアスは、不思議な事に全く濡れてはいなかった。
それは、フェイとの会話で告げた様に、この湛えられた水の様なものが水ではなく、そもそも液体ですらない為だった。
「魔粒子、或いは魔素、世界の循環の基幹であって、もっと言えば魔法の根幹」
「気体に近く、視認出来るようなものでもないのですけどね。どれほど凝縮されればこの状態になるのでしょうか?」
「まだいるからな」
アスは膝を付くようにしてしゃがみ込むと、魔素の水面へと差し入れる指先に目を細めるようにして、その存在へと意識を馳せた。
「初代の“水”の繋がりが眠っている影響だと伝わっています」
カイヤは静かな声音でそう告げ、地底湖の中程であろうか、この場所唯一の光源である、仄かな光を湛えた水面へと目を向けていた。
青く、淡く輝く遥か彼方の水底。そこに何かがいるとカイヤの尊崇の眼差しは告げ、伏せる眼差しで目礼をするかの様に、この場所への畏敬の念を示していた。
「この辺りの守りの要。青の民は、そもそもが、アレの為に在った。アレを守り、アレに守られる。外界へと、アレの加護を正しく巡らせる、そう言った約定のもとに初代へと寄り添っていた」
「アス?」
「ん?聞いた話しだぞ?」
怪訝そうな、けれど、何処か緊張した面持ちのフェイへと、アスは可笑しそうに笑っていた。
「そうですよね、さすがに初代の方々の時から生きている等」
安堵したような、残念そうなフェイだったが、フェイはアスをどう思っているのだろうかと、そう思わずにはいられなくなる瞬間だった。
「非時の魔女くらいか?最初を知っているのは」
アスは自分の情報源を明かすが、それにより絶句する様相のフェイがやはり可笑しくて、声を立てず笑ってしまっていた。
「出られそうですか?幾ら魔女様方でもここに長居するものではありませんので」
「ああ、さすがに酔いはしないが、ここの空気に慣れ過ぎると、外に出た時に辛いな」
「手遅れだと思いますけどね」
カイヤに促され、アスは立ち上がると、手遅れだと言うフェイの言葉に顔を顰めた。
高過ぎる魔素の濃度は、耐性のない人を酔わせて、生き物を魔獣へと変えもするが、耐性を持つどころか、魔素に馴染み、親和性の高い魔女と言う存在に取っては心地好くすらあるのだ。
「まあ、何しろ死にかけってぐらいだったのを、ここまで持ち直したのなら、そうだな」
甘んじて受けるべきかと、アスは諦める事を覚悟していた。
「青の洞とは比べ物になりませんが、集落もそこまで酷くありませんよ」
先導する様に歩いていたカイヤは、少しだけ振り返るとそう笑んだ。
その笑みに、成る程と、アスは先程覚えた既視感の理由に、何となくだが思い至れるものを感じ始めていた。
背中の中程で、暗い青色の長い髪を緩く纏めた銀糸と光沢ある水色を寄り合わせた髪紐が、カイヤの前を向き直す動きと、その歩調に合わせて小さく跳ねている。
その背中へと、アスは聞いておくべき事を訪ねる事にした。
「集落に滞在させて貰えるのか?」
「かまいません。久しぶりに姪とも話しておきたいですし」
「青ではないな。緑の出だったか、フェイは」
横目にカイヤが見るフェイの存在に、既視感の正体を完全に理解したアスは、カイヤとフェイの二人を並べて視界へと収めながら一つ頷いていた。
長身で癖のない髪質。その髪や瞳の色合いこそ違うが、顔立ちや声質、何より浮かべるその笑みが良く似ているのだ。
「成人前にあの集落からは出てしまったので、所属している訳ではありませんよ」
何でもない事のようにフェイは告げる。
そんなフェイの様子を窺いながら、カイヤはフェイとの関係性を教えてくれた。
「緑の今の長は私の姉と妹で、妹の娘がこの子ですね」
「そうか」
アスはそれだけを答えていた。
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