月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

32 魔力欠乏症

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 遠く、近く、水の流れる音がしていた。
 熱くも冷たくもない、川や泉かも分からない何処か、むしろ寄せては返す、そんな波打ち際にいるかのような緩やかな流れの中、けれど“彼女”は今、身を切る程の凍てつきに震えていた。

ー出血多量もそうですが。典型的な魔力不足の症状、・・・いえ、一過性のものではないのかもしれません。慢性的な魔力欠乏症の症状ですー

 水中で音の振動を拾うかのように伝わって来る声に、“彼女”は震え続けながらも現状の一端を理解した。

 重すぎて上げる気にもならない瞼に、ひたすらに眠くて沈み込んで行く意識には抗おうと言う気すらも起きない。
 なのに、実際に意識を失う事はなく、かと言ってどれだけ意識を向けようと、自身の身体がその意思に従って動いてくれる事もなかった。
 手足の末端に感覚はなく、四肢だけでなく全身へと痙攣するかのような震えが止めようもなく走り続けていた。
 寒いと言う感覚どころか、“彼女”自身が氷像にでもなってしまったかのような感覚に、恐らくはその感覚も間違いではないのだろうと今は思っている。

 体温の低下と指先の震え。それは、限界近くまで魔法を行使する等して、体内を巡る魔力を急激に消費する事で起きる症状であり、典型的な魔力欠乏症の初期症状だった。

ー活動の機能維持に必要な魔力が足りていない、どころか、生命そのものの有り様に支障をきたしていてもおかしくないのでしょうねー

 いや、そこまでではない、筈だ。と“彼女”は寒いと言う感覚にほぼ塗り潰されてしまった意識の片隅で苦笑する。もっとも、表情筋が仕事をするような余裕すらもなかったのだが。

 魔力欠乏症が重度になって行くと、意識を失い、そして生命の維持にすら影響が出始める。
 声は“彼女”の状態をそうだと考えているらしく、けれど、こうして考える事が出来ているのだからそこまでではないとそう思いながらも、“彼女”もまた概ねその見立てに同意出来てしまっていた。

 急激な魔力の欠乏から意識を失う事は、限界以上の魔法行使から、行使者の命を守る為の防衛本能の結果なのだが、その本能すらも捩じ伏せ、無理をした場合、命を削る、或いは、魂そのものに傷が付く事すら有り得た。
 後、自分が何をしたのかは知らないが、それ程までの事だったのだろうと“彼女”はただ思う。
 納得していたと言うよりも、“彼女”は受け入れているのだ、願う事に対する結果代償を。

 “彼女”はただ、自分自身の願いとして常盤ときわの魔女の繋がりチェインたる存在の救助を願い、現状に由来する諸々の代償を享受した。それだけだった。

 寒いとその感覚だけに支配されつつある時間の経過は曖昧で、そんな中でも思い出したように聞こえて来ていた声。
 誰が誰に喋っているのか、その話し声の一部から、“彼女”は自身の状態を朦朧としている意識にも把握し続けていた。

ー回復が遅いのかと思い、食生活を調整していたのですが・・・ー

 確認した事はなかったが、やはりか、と思う。
 “彼女”は眠りから覚めた後の不調に魔力不足の自覚があった。それが、教会での生活の中で、完全ではないものの改善をみせている事に気付いていたのだ。
 そして、現状で踏み留まる事が出来ている要因もそこだろうと思えば感謝しかなかった。
 そうでなければ、今頃は、思考する余裕すらなく昏睡している、或いは生死の境に在るような状態だっただろうと把握出来てしまっていたのだ。

ー生成不良か吸収障害から来る回復不全を今は疑っていますが、今更ですねー

 伝わって来る口調からは読めない感情にも“彼女”は悪かったなと自然にそう思い、それから今までとは異なる意味合いでの身震いをする。

ーいえ?怒ってはいませんよ・・・ええ、苛立ってはいますね、はいー

 怒ってはいないの言葉に楽観しかけ、なのに、苛立ってはいるのだと聞いてしまった事で瞠目する。
 閉じたままである瞼に、やはり瞠目するもないのだが、意識的にはあちゃーと言った感じだろう。

 こうしている場合ではないと、混濁する意識にも重い瞼を、“彼女”は意志の力を総動員させて開こうと試みる。
 そうして、気が付けば、色味のない水面越しの光景には白黒の、明度の差だけで成る世界があった。
 視界の動きのない酷く限られた情景。その世界には誰の姿もなく、何かが明確な形を成している様でもない。
 濃淡に揺れる不鮮明な輪郭だけが在り続けていた。そもそもが、しっかりと結ばれる事のない焦点から、視界がちゃんとした仕事をこなせていないのだと意識の片隅では理解していた。
 “彼女”は誰かの姿を求めでもしていたかのように定まる事のない視線を不安定にさ迷わせ、けれどその“彼女”の視界が不意に赤く染まった。
 ごぼりと、口の端から吐き出された空気の塊に、だが、それは空気等ではなかったのかもしれない。

ーご自分の、かなり危険な状態を理解出来ていますか?ー

 問われているらしい言葉にああ、と口の形だけで“彼女”は答える。

ー眠っていて下さい。危ういどころか九分九厘死にかけですー

 瀕死と言う事だろう。そこに気遣う響きは一切なく、ただ事実のみを宣告する。そんな様子を“彼女”は思い、やはり動く事のない表情筋で苦笑していた。

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