月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

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 余りに鋭利な刃物に切りつけられた時、人の身体は切られた言う事実を認識出来ない事がある。
 今がその事例に該当していた筈だった。

 常人ならば、決して何があったのか分からないであろう一瞬刹那の出来事。けれど幸か不幸かアスは常人の枠からは逸脱してしまっていて、その瞬間を認識していた。
 感触何てものはないに等しく、だからこそ、自身の認識との差異にアスには混乱よりも不快感があった。
 切られたと、アスは寄せる眉根に一瞬だけ顔を顰め、けれど身体の反応が追い付いていない為に、そこでは何も起きていないかのように見える。
 そもそも、カイの角が直接的に触れたわけではないので、端から見ている者達からすれは、何事も起きていないかのようにしか認識出来ない。
 
 けれど、やはりアスが認識していたままに、切られたと言う事実がなくなる筈はなく、カイが首を動かしきったそのほんの僅かな時間差を以て、アスの身体へと事象が追い付いた。
 
 差し入れた右手の手の甲から肘の辺りまで、結構な範囲に渡って赤い筋が一直線に入る。着込んでいたローブコートやその下のチュニックの生地なども言わずもがなだ。
 繕えるだろうかと、そんな事を切断された生地が翻る様子に思い、そして、引かれた線が滲んだと思った瞬間に吹き出す鮮血。そのどうしようもない程の赤い色合いに血の染み抜きもしないといけないと、アスはそんな事を思っていた。
 けれど、そんな思考をしている場合でもなかった。



 張り上げた訳でもない、いっそ普通過ぎる声音だった。
 アスはただ一言、平淡な声音でそう制止を告げる。
 アスが傷を負ったその瞬間に、二つの殺気と言うべきものが一気に膨れ上がったのだ。
 肌が粟立ち、触れれば切れると思わせる程の、その一瞬触発となった空気が飽和を迎える前にアスは一言だけ釘を刺した。
 そして、それだけで、張り詰めた空気が弛緩する。

「怪我をしたのは私なのに、何故お前達の方がダメージを受けたみたいになっているんだ?」

 緊張の糸は弛緩こそしたが、途切れた訳ではなかった。
 呆れたようにアスが告げてやれば、一応は放つ殺意を収めながらも警戒を解かないルキフェルと、眇めた双眸の鋭さをそのまま、その視線をルキフェルへと向けているカイがいる。

「愛されているんじゃないですか?」
「・・・ぃ?」

 怪訝そうな表情そのままに、胡乱げな声の欠片だけが零れ出る。口の形だけでアスは愛と反駁し、けれど、意味が分からずちゃんとした声にはなっていなかった。

「貴方を傷つけた相手と、傷付けさせた相手ですからね、お互いがお互いを敵とするには十分なんでしょう」
「これくらい、割り込んで回避し損ねたのは私自身だし、そもそもかなり綺麗な切り口だから直ぐにふさがる。痕も残らないだろう」
「治るのは当然ですけど、そう言う問題ではないんですよ。彼等にとっては」

 カイかルキフェルか、アスか、それとも三人ともにか、それは誰に対する感情か、フェイは告げる言葉に、その表情へと苦笑を浮かべ、肩を竦めて見せていた。

「傷の回復なら、時間と、この場所での恩恵を最大限に生かせば私でも完治まで持って行けると思いますが?」
「治せないんじゃない、治さないんだろうな」
「いえ、あちらではなく、貴方の・・・・・・」

 カイの怪我に対してではなく、アスがたった今負った傷についてだとフェイは言いかけたようだったが、アスのカイを見る眼差しに、諦めてその口を閉ざした。
 フェイの話しを聞いていない訳ではなかったが、自分でどうにか出来る範囲はしているし、後回しで良いとアスは考えていたのだ。
 自然治癒に任せてしまえば、既にアス自身の意識に自分の事等、些末時で良かった。

「一応治癒力を高めて出血を抑えているようですが、範囲がそれなりですし、その体格ですと、動けなくなりますよ?」

 一応と忠告を告げながらも、自分の亜空間収納のポーチから取り出した布を断りなくフェイは当てて来る。
 されるがままに任せ、アスは睨みあいながらもそれ以上動こうとしないカイを見ていた。

「何故?カイは何処に行っていた?は関係があるのかどうか、今はわりと意識がはっきりしている感じだが、さっきまでは、保てていなかったのか、いや、明け渡しかけていた?」

 思い付いていたものを呟き、思い付いたままを続けて並べて行く。
 ごたつきながらも関係のないやり取りを挟む事でアスは少しだけ冷静さを取り戻し、フェイの何でも良いから考えている事を口に出せと言う提案を実行しているのだ。
 言葉にしてみる事で現状を段階的に捉え直し、発して並べた事で、客観性を得る。そうして、聞いているフェイが共有してくれた事で、他所からの視点と、フェイが持っている情報との照らし合わせが成されていた。

えないのですか?」
「ん」
「使っていますよね?解析系の魔法」

 何気なくも断定に近くフェイは告げる。

「隠していないし、隠せるとも思っていないから普通に聞いてくれ」
「性分ですから、これが普通だと思って下さい」

 飄々とフェイが笑っていた。
 会話の緩急と、唐突なもの言いで、相手の反応を引き出す。分かっていても、探られているなと微妙な気持ちになるのは確かだった。

「因みに、魔法じゃなくてな」
「魔術ですか?」
「併用って形で組んでいるが、主軸は術式の方だ。魔法だと、警戒しているカイの防護を破れないから、術式の方で侵食をかけている」
「魔術、魔女である貴方がわざわざ・・・いえ、目に影響が出ていないのなら、かなりの熟練具合ですね」
「魔術師だからな、私は」
「は?」
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