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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
24 カイの異変
しおりを挟む「カイ!」
最初にアスの視界に入ったのは、地面に落ちたツァールⅢ型定置型結界装置ことあさぎの姿だった。
翼を畳んで停まっている姿ではなく、広げられた翼のまま地面へと追突している、そんな姿に展開されていた筈の結界が、正しい手順ではなく無理矢理破られたのだと分かる。
けれど、アスは自分で上げた声に、そんな異常事態すらも、直ぐに気にしていられなくなっていた。
常盤の魔女のコテージに寄り添う様にしてそこに在る大樹。あさぎが留まっていたその木の根もとに、白い優美な体躯を赤く染めた銀鹿が一頭蹲っていた。
アスは眉を潜め、表情を険しくする。
気付いた瞬間に足を止め、それ以上近付く事なく、カイであるその存在から二メートル程の距離を取ったまま、状態を確認していた。
傷の深さまでは分からない。だが、負っているであろう傷は一ヶ所だけではなく、全身に及んでいるのであろう事は確かだった。切り傷だけでなく、抉れ、噛み千切られたかのような傷まであり、小刻みに震え続ける左の後ろ足は恐らく折れている。
そしてなにより、勇壮さを誇り、枝葉を広げた大樹のようだった左右一対の角の左側が半ばで折れてしまっていて、確実に起きたのであろう戦いの激しさを物語っていたのだ。
「ここで戦った訳ではない。相手は、倒したか逃げ切ったか・・・一応の安全圏か?」
呟き、現状の危険度をアスは推し量る。
カイはかなり高位の存在だった。戦う事に特化した生態ではないが、通常の銀鹿ですら、人間の実力あるパーティーの一つや二つ纏めて凪払う事が出来るし、中位の竜種程度でも軽く翻弄出来る。
加えて、カイは常盤の魔女の繋がりなのだ。常盤の魔女が司とする、“樹”の特質を宿し、その身の加護としている。
直接的な攻撃には向かないままだが、その性質は厄介であり、カイならば上位の竜種だろうと寄せ付けない。そんな戦いをする筈なのだ。
「考えるのは後ですよ」
「何か手伝える事ことはあるか?」
フェイが動かないアスを嗜め、ルキフェルも分からないながらに察して申し出てきた。
「冷静じゃないのは分かっている。考えないといけない、なのに、空回る」
落ち着いた声音でアスは自身を冷静でないと申告する。
端から見れば十分に冷静で、普段と変わらない平静な状態に見えるだろう。だが、アスが自分で自分の状態を正しく把握すると、その申告こそが正確の様に思われたのだ。
アスの落ち着いた声音は、落ち着かなければと言う真っ先に浮かんだ思考の結果と言うのがそうで、その後の表情を取り繕う余裕もなければ、自身の感情を正しく表に出す事が出来なかった為でもあるのだから。
それを何処までフェイは把握しているのか、アスとは違い正しく落ち着いているのであろうフェイは、アスへと指示をくれる。
「では、まず何を考えているか口にして行って下さい」
そう告げるフェイに、けれどここにいるのはカイ自身を除いて一番事態把握出来ているであろうアスと、そんなアスをこの一ヶ月程度の間に理解しつつあったフェイだけではなかった。
フェイと同じように声をかけて来た事もあり、アスはその存在をその時ばかりは認識し、けれどそれだけで意識へと留めてはいなかった。
そして、その事こそが、アスが自身を冷静でないと判断していた事の証明となるかの様に、結果としてそれは起きてしまったのだ。
特に何の指示もなかった事で、ルキフェルは自分に出来る事をしようと動き出していた。
アスの様子から、今目の前にいる血だらけの鹿に似た生き物はアスの知り合いであり、アスが助けたいと大切に思っている事は分かったのだ。
自分に傷を癒す術はなく、治療も最低限の応急措置が精々だと理解していて、それでもルキフェルはまずは出血を抑えようと考えた。
傷の状態を確認するべきだと、カイへと近付こうとルキフェルの踏み出した一歩分の歩み。
それは、アスが足を止めていた、カイから二メートル程度と言う位置取りよりも前へとルキフェルが踏み入った瞬間だった。
「止まりなさい!」
気付いたフェイが珍しく声を張り上げ制止を伝える。
それはルキフェルかカイか、それとももしかしたらアスに向けた言葉だったのかもしれなくて、けれど、アスはフェイが声を上げた時には既に動いていた。
だからフェイが発した言葉は結局のところ、フェイ以外の三者全員が聞くべきものだったのだろうと、アスは完全な意識の外側でそんな事を思い、曖昧な笑みが自分の口もとに浮かんで来るのを自覚していた。
アス自身の無意識な行動と、乖離しているかの様な他人事の思考。その時には全てが結果に集約していた。
カイがもたげた首を振るう。気だる気なそれだけの仕種に、ルキフェルはフェイの発した言葉の鋭さから、反射的にもそれ以上の動きを止めていた。
そんなルキフェルへ、カイが首を振るった事で、カイに残された右側だけの角の先端が迫る。
微かな青みを光の反射に帯びた乳白色の角は、間近に見ると、尖端がなかなかに鋭利だった。
自身へと迫る角の尖端をルキフェルが認識していたかどうか、けれどその角が通過するその軌道上へと、差し入れられたしなやかな手の存在には目を見開いていた。
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