月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

15 因果の獣

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 広がりゆく皹。欠け落ちる世界の一欠片、そんな光景に。
 その向こう側へと垣間見たのは、無数の染料を煮詰め、かき混ぜる過程であるかのような粘性のある闇だった。
 そして、今、その闇からは一本の指先が突き出していた。
 粘性があるように思われたが、闇は突き出された指先に添い、こちら側へと来ると、けぶるような気体となり、あるいはさらさらと流砂状となり溢れ拡散して行く。
 そんな空気へと解けて行く粒子をまとわりつかせ、不気味な指先はそこに在り続けていた。

 それは、あまりにも理解し難い光景だったが、何を思っているのか、アスは目を眇めるようにして、その突き出された指先を表情なく見ている。

 太い骨に青黒い皮が張り、浮き出た青紫色の血管が根を張り巡らすように脈動する。そしてその先端には、鈍色の鈎状の爪が突き出ていた。
 震え、その指先は今ある隙間ではもどかしいと言うように、その場でさ迷い動く。
 そして、節の様な関節を 撓める一瞬の仕種を見たアスは刹那のうちに、バックステップで距離を取っていた。

ーガシャンッー

 と、音がした訳ではなかったが、アスの視界で光景が砕け散り、衝撃で闇が撹拌され動く。
 舞い散る破片の中、爪が、指の第一関節が、第二関節が、中指、薬指、親指と小指、手の甲が、そうして五指の指を持つ手首までが露になった時、アスの身体ぐらいなら容易く握り込んでしまえるであろうその全容が露とされた。

因果の獣カウセリトゥス、だいぶ小型なのは、それだけ、“抵触”してしても警告で収まる範囲だったと言ったところか」

 ほんの気持ちばかりの安堵にアスはうっすらと笑む。
 因果の獣カウセリトゥス、等と呼んでいるが、その呼称すらもアスが勝手に呼んでいるだけに過ぎず、あれが何であるのか、それはアスにも分かっていなかった。
 けれど、呼び名を付けている事から分かるかもしれないが、遭遇自体は初めてではなく、幾多もの遭遇と経験から、アスはあれについて一つの解釈を得ていた。

 あれは魔女と言う存在に対する抑止力、或いは制裁、そして執行者なのだろうと。

「相変わらず可笑しな姿をしているな」

 アスのそんな呟きに、それはアスを見て小首を傾げると言う仕種を取り、そんな挙動だけは可愛らしいのになとアスは苦笑した。

 二メートル程の距離を置き対峙する、そこにいるのは一匹の、一抱え程のサイズ感の跳び鼠だった。
 ・・・いや、正確には跳び鼠に見えるかもしれない“何か”だろうか。
 跳び鼠に見えるかもしれなくて、でも絶対にそうではないその存在。
 は暗い靄を纏いつかせてそこにいた。
 視力の限界へと挑戦し、離れた場所から見たなら、恐らくは問題なく跳び鼠の魔獣とでも思う事が出来ただろう。だが、そう思い、近付けば近付く程に、の異常さを知る事になるのだ。

 バサリと鳥の羽ばたきのような音をアスは聞いた。跳び鼠の顔面の左半分を毛並みから羽へと変化した翼のようなものが覆っていた。
 そして二足立ちしている事から、身体の正面にちょこんと付いた手は、ちょこんと等と言う表現が似合う筈のない、凶悪な鎌を備えていた。
 右足は水掻きを持ち、左足は蹄だろうか、それらは部分部分を見れば何処かで見た事のある、既存の生物のそれであり、だが、たった一匹の生き物がそれら全てを持つ事等有り得ないだろう。
 その筈なのに、その生き物は今、アスの目の前に存在しているのだ。

「随分と、混ざっているな」

 アスはやや顔を顰め、観察を続けていた。
 構えはそのままだが、完全に顕現を終えるまで、が仕掛けて来る事はないし、逆にこちらの攻撃も意味がないと知っているからの対応だった。
 跳び鼠の背後で細く長い尾が、闇へと揺蕩う様に揺れている。
 その尾の先端に、本体の五倍はあろうかと言う大きさの凶悪な“手”が付いていた。
 鈎のような爪を持つ節くれだった醜悪な手、それこそが、アスが最初に見た突き出した指の大もとだったのだ。
 ギチチチチと鳴き声ではなく、錆びた歯車を無理矢理に動かそうとしたかの様な軋む音がし始めた。
 跳び鼠の身体と、無理矢理に融合しているの部位その所々で身体から突如として付き出した大小の歯車が周り始めていた。
 生物の身体から生えた金属のパーツ、そに光景
にアスは吐き気を覚える程の嫌悪感と忌避感を抱くが、それを露にする事なく眺め見る。
 ガシャンと、重力を無視して幾もの鎖が、欠けた空間から湧き出し、その瞬間にアスは一気に駆け出していた。
 鎖は一息の内に勢いへと乗り、アスへ迫りアスを捕らえんと蠢いている。這いずり、撓り、緩急を付けながらも、確実に追い詰める為の動きで迫るそれを、アスは体勢を低くして駆けながら回避を続けた。

ーチゥー

 微か過ぎる鳴き声。
 何時移動したのか、意識から外した訳ではなかったのに何故か“それ”はそこにいた。
 アスが敢えて意識しないようにしていた、目玉のない、空っぽの眼窩が木炭で塗り潰したかのような目でアスを見ていた。
 ギチ、ギチ、と錆び付いた歯車が回る。
 ガシャン、ガシャンとぶつかり合いながらも迫る鎖の音が酷く耳障りだった。
 そうして、アスの眼前には小さな体躯の背後で振りかぶられ、五指の指をこれでもかと広げた“手”が迫っていた。

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