月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

12 対価と代償

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「前に旅をしていた時は喧嘩とかしたことがなくて、クルスもリィルも、旅の仲間は求めれば意見を聞かせてくれることはあって、でも最終的にはいつもこちらに任せてくれていたので、なにか新鮮だなって思いました」

 フェイの様子に気付いてもいないのか、ルキフェルは何故か恥ずかし気にそんな事を告げる。

 では、喧嘩等は最後までやらせた方が良い等とルキフェルへ吹き込んだのは侍従殿だろうかとアスは若干の現実逃避気味に考えていた。
 そして、考えていた事とはまた別の内容に口を開いていた。

「一応の諌めるとかは剣聖殿がしていたが、確かに怒るとかはなかったからな」

 それはアスとしては完全な独り言のつもりで発したものだった。
 けれど、この三人しかいない空間で、小さくとも声に出してしまった事で、当然その内容はルキフェルの耳にも入っていた。そして、アスとしては思いがけない答えが返って来る事になる。

「そう、喧嘩とか本当にしたことがなくて、でもあの日、その一度だけクルスに物凄く殴られて、リィルにも泣かれて、リコなんか凍りつくんじゃないかって凄い目で僕を見ていたんだ」

 私ではなく僕と自身を表し、ルキフェルのその目に懐古の感情が宿るのをアスは見ていた。

「剣聖殿が手を上げるとか想像出来ない。何か相当の事をやらかしたんじゃないのか?」

 アスの脳裏に清廉潔白を絵に描いたような、生真面目な青年の姿が浮かぶ。
 どれだけ残酷な現場に行き当たったとしても、理不尽に憤り、自分の無力感に嘆く事があったとしても、剣聖であるクルスは勇者や聖女のフォローへと周り、決して自身の感情を強く露にする事等なかった。
 そして、人心の荒廃からどれ程の不条理を目の当たりにした時でも、己からの攻撃で無闇に手を上げる事を良しとしなかった。
 そんな剣聖が、それまで自分が導いて来た勇者へと手を上げた。そこにどれ程の事があったのかとアスはただ思いを馳せていた。

 ルキフェルもまた、それを理解しているのだろう。アスの言葉に今は深く頷いていたのだから。

「加減なんかない、本気の一発だった。だから僕は、それだけのことをした筈なんだ」

 そう告げたルキフェルへとアスは違和感を覚え、馳せていた意識を現実のこの場所へと固定し直した。
 ルキフェルには事実に基づく理解があった。激昂する事のなかった剣聖に、手を上げさせてしまう程の事を自分がしたのだと言う理解。
 けれど、その大もとを認識していないかのような不確かさにも似た状態をアスは感じ取ったのだ。

「使命の旅を終えて直ぐのことだった筈なんだ。帰還の報告に行かないといけなくて、でも私は、私たちは・・・」

 急速に尻すぼみになって行く言葉に、そうしてルキフェルは遂には沈黙してしまった。
 完全に閉ざしてしまった口に、ルキフェルの表情には困惑があり、そして、それ以上にその双方に暗く苛立ちにも似た何かが渦巻く様子をアスは見ていた。

「それが対価として支払ったなのでしょうね」

 おもむろに口を開いたフェイは、先程までのルキフェルと同じように気配を適度に薄くし、そこにはいるが気にされないままに、こちらを窺っていたのかもしれなかった。

「対価・・・」
「言い方としては代償の方が適切かもしれませんが、でも、“ない”と分かるようにしてある分、だいぶ優しいですね」
「優しい?」
「記憶を対価として求められれば、支払った後、まず失ったことにすら気付けなくなるものなんですよ」

 胡乱げなルキフェルへと、フェイは言葉を続ける。
 ある特定の記憶を対価として支払ったとすると、その記憶へと付随している関係性すらも失ってしまう事になるのだとそう伝えていた。

「どんな契約を、誰と、どんな対価を以て成したのかだな」

 誰ととは、勿論どの魔女とと言う意味合いだった。
 対価に関しては、魔女によって求めるものの内容は異なる。
 それぞれが司るものによって、その望みを叶える為のアプローチも異なって来る為に、魔女により望まれる対価と量に違いが出て来るのだ。

「存外、軽いものなのかもしれませんがね、貴方の想いも」
「軽い気持ちなんかじゃない!」

 否定にルキフェルが声を荒げるが。フェイが言いたいのはそう言う事ではないのだと、アスはどう言うべきかと言葉を探していた。
 だが、そもそもアスが補足をするまでもなくフェイはフェイでその事に気づいていたのか、会話を続ける為に口を開いた。

「軽いのは魔女にとっての価値であって、魔法への触媒としての重み。ですから関係がないんですよ、貴方の気持ちの重い軽いなんて本当は・・・そうですね、貴方、聖女を襲おうとしましたね?」
「は?」
「・・・・・・」

 呆気に取られ、唖然とした声を上げるルキフェルと、何を言い出したのかとフェイを凝視するアス。
 そんな二人の反応にはお構いなしか、フェイはその考えを伝えて行く。

「だって、聖女様が泣いていて、聖女様の夫となられた剣聖様が仕えていたに等しい貴方への大激怒。ついでに、聖女様のお付きであった侍従の方の冷たい眼差しですよ?」

 確かに、改めてそう聞くと、先程のフェイのとんでも発言にも一定の理解が生まれてしまう。アスは思わずの納得に頷きかけ、すぐにいやいやいやと、内心での否定に、頷きかけた動作のまま不自然に硬直しルキフェルとフェイを向ける眼差しだけで交互に見ていた。
 突飛もない言い分に、感情が振りきれたか、フェイへと唖然とした表情を晒すルキフェルの顔色が悪くなり、何故かアスの方へと音がしそうな程の勢いで顔を向けて来た。

「ないからな!そんなこと!絶対っ!!」

 ルキフェルは一言一言をはっきりと告げ、特に最後の絶対と言う言葉には特段の思いが込められているかのような絶叫に近い響きがあった。

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