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【第一晶 ~新たなる旅立ち~】
1 目覚め
しおりを挟む微かな甘い芳香が鼻腔を刺激する。
夢のない眠りは深く、そこから意識を浮上させるには、それなりの意志の力が必要だった。
有り体に言ってしまえば起きたくない。
それでも十分に眠ったのだと心身は判断するのか、無情にも浅くなりつつある微睡みはなお心地好く、ここで目を閉じたままでいられれば何もしなくて済むのだから、このまま寝かせてくれれば良いのにと思わずにはいられなくなる。
ここは、何も見ず、何も聞かず、何かに心を寄せる事もないのだから何も感じずにいられる場所。
けれど、目を覚まさなければいけないらしい。
いっそ深く眠っている間に世界が終わってしまっていれば良かったのにと、そんな呪い混じりの未練を多分に引き摺りながら、そうして、ようやく私は目を開いた。
「世界が続いている事にすら不服を感じていそうだね、君は」
柔らかな口調と穏やかな声音がからかうように告げ、可笑しそうに笑い声を含ませていた。
「・・・翡翼、の?」
上げる顔に、それから億劫そうに体を起こしながら呟く自分の声が酷く掠れていて、引き攣る喉にそのまま体を折ると小さく咳き込んでしまった。
「二百と二十四年、それだけ経ってる。飲んで」
何時の間に用意されていたものか、目の前へと差し出されたカップから緩やかに立ち上る湯気。その鼻腔を通り抜ける爽やかな香りとは対称的に、カップを包み込むようにして持った手の平には、確かな温もりが感じられていた。
「っ!?」
「どうし、って、ああ、熱いもの駄目なんだっけ?」
「それ以前の問題だ」
傾げる首に、胸もとへと垂れ落ちて来る癖のない深緑色の髪の流れ。
その先を恨めしげに見上げて行けば、中性的な顔立ちの中で切れ長の双眸が不思議そうに瞬く様子と目が合ってしまった。
「香りは爽やかな薄荷系なのに、なんでこんな甘いんだ!」
「甘い?」
「物凄く甘い」
堪らず声をあらげて顰める顔に、それでもそう言うものだと思ってしまえば普通に飲む事が出来た。
何かは分からないが果物の果汁を煮詰め、ジャムにしたものをお湯に溶かし、ほど良く冷ましたもの、そう言った感じだろうか。
もう一口と飲み込むと、喉を通過し胃に溜まる暖かさにほっと息を吐く。
「香りは確かに薄荷を浮かべているんだけど、うーん?」
「何か特別な香草でも使って?」
「まあ、ここの星降りの花を使わせて貰ったからかなり希少ではあるよ」
「・・・・・・」
何気なく伝えられた言葉に色々と納得した。
星降りの花は、花や葉だけでなく、茎や根までが薬の材料となる。
そして、その花弁を浮かべた水を飲んだ時、飲み手の状態によって味に変化が出るのだ。
「それで、貴方は翡翼の後継か?」
「あからさまに話しを逸らしたみたいだけど、君が自分の状態の確認が出来たならそれで良いよ。始めまして、翡翼が片翼、翠翼の魔女です」
二メートル近い長身の腰を折り、優雅に礼をとると、二十歳前後と思われる青年とも女性とも判断のつかない秀麗な面持ちが、上げる顔に飄々とした笑みを浮かべ、こちらを見詰めて来た。
座り込んだまま少しずつお茶を飲み、その様子を眺め見ていた私は、半眼になる眼差しに、首を傾げてしまう。
「フェン?」
「フェイだよ」
翡翼の魔女は呼ばれる為の名前としてフェンと名乗っていた。
そして今、翠翼の魔女を名乗る目の前の人物は、フェンと同じ顔で自分はフェイだと名乗るのだ。
「双子なんだ、私達は。同じ時や場所にはいられないんだけどね」
「ああ、制約の・・・じゃあやっぱり、フェンはあの時に?」
「死んではいない。だから、君の力を借りたくて目覚めてくれるのを待ってた」
翡翼の魔女ことフェンには、かつての勇者達との旅の間に何度か力を借りた事があった。
そして、私個人としても、想定した何時かの為に魔法道具を融通して貰ったりと関わりがあったのだ。
「私達は巡り行く風を司る魔女。本来なら二人で一対の翼となる存在。でもずっと以前にやらかしてしまってね」
「一緒にいられなくなったって聞いた」
「そうなんだ。でも、いるって存在は感じられていたんだけどね」
「・・・二百と二十四年?」
記憶を辿ろうとして、そこでふと、目を覚まして最初に聞いた言葉を思い出した。
「そう、災禍の顕主の討伐から二百二十四年経った」
災禍の顕主。それは魔物等の王の事だった。
一般的には魔物等の王と言う意味で魔王等と呼ばれる事もあるが、私達の間では、アレを災禍の顕主と呼んでいた。
澱みの具現。災いの招き手。顕現せし災禍の宿主。そう言った意味合いを込め、災禍の顕主とアレをそう呼ぶのだ。
だが、可笑しいと思った。そんな筈がないのだと私は無意識の内に目を眇、表情を翳らせて行く。
「勇者が災禍の顕主を倒して、救世に成功すれば、世界は短くとも五百年以上は安寧を得られる。次に澱みが溢れるまでの間の平穏が約束される。だからそれを含めても貴方に聞きたかったんだ」
ー何をしたんだ?貴方達は
“君”ではなく“貴方”と改まった風に、
そうして、そう問いかけられて、空になったカップを地面へとそのまま置くと、私は考えて、考えた事を纏めるように瞬きをし、そしてそのまま体を傾けていった。
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