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【序章】
序晶 終わりに
しおりを挟むここは何処だっただろうか。
うっすらと霞がかったような視界に、霧でも出ているのかと思ったが、未だ来ない夜明けに詳しく確認して行く事は難しいだろうと思われた。
ここではない場所を願い。望み通りの場所へと辿り着いた筈で、そう思い、けれど、直ぐにどうでも良いかと思考を放棄した。
何も考えたくなかった。そして、それ以上に考えている余裕がなくなったと言うべきだろうか。
周囲に人の気配どころか、他のどんな生き物の気配すらも感じられない場所で、代わりに感じるのは圧倒的な緑の気配と、濃密な大地の芳香だろうか。
先程までいた北の大陸ではあり得ないそれらの感覚に、ただ成功したのだと、それだけを安堵する。
私が使用したのは、たった一度だけだが、望む場所へと瞬時に移動させてくれる魔法の道具だった。
点と点を移動するかのように、私は一人この場所へと辿り着く事が出来たのだ。
透き通った夜空に瞬く銀礫。澄んだ空気が齎す静謐の場に、私は一人佇んでいた。
誰もいない場所で、星空が見渡せる場所が良い。そんな事を願ったのかもしれなくて・・・
ぱたぱたと雨粒が草木の葉を叩くような音を静寂の中に聞いた気がした。
見上げた夜空と、歪み回る霞がかった視界。気が付いた時には私の身体は傾いでいた。
踏み留まる事は出来ず、支えてくれるものもない。
痛みはなく、衝撃もまたあったのかどうか。
視界が一瞬だけ闇に閉ざされ、気が付いた時には目の前で白い小さな花が揺れていた。
地面から十センチ程度の高さにまで伸びた細い茎に、鈴生りに咲く五枚花弁の花。そんな花達を見ながら私は、自分が倒れたのだと思い至った。
「星降りの花・・.」
やっぱりかと、そう思ってしまう傍らで、自分が声にして呟いたのは、目の前で揺れる花の名前だった。
日暮れと共に花をつけ、星降る夜にのみその花を開く。そして、その花は微かだが甘い芳香を放ち、葉や茎に根まで、全てが貴重な薬の材料になるのだ。
そんな星降りの花が、今、私の視界で揺れている。それも一輪ではなく群生しているらしい。
可憐な花が、まるで地上にある星々であるかのように、ひっそりとその存在を主張していた。
けれど、私の視界は今、星降りの花が持つ、白や緑ではない色彩を映していた。
鮮烈な赤い色が花の一部と葉を汚し、垂れて落ちて、地面へと小さな染みを作っている様。
そうして、私は花の甘い香りの中に、微かではない鉄錆の匂いを感じ取ってしまっていた。
「・・・侍従殿の手当てのおかげで動けていたが、ここが限界か」
腕の良い治療師だと感謝しながら閉じる目蓋に、頭の鈍い痛みを意識する。
億劫に思いながらも仰向けになり、どうにか目を開けば、先程よりも霧の深まった茫漠たる空の光景が広がっていた。
そこで違うか、と私は苦く笑みを口もとに刻んだ。
霧が出ているのではなく、既に景色を鮮明に映す事が出来なくなっているのだと、そう気付いたのだ。
随分前から限界だった。
あの戦いで使用した魔法は私の手に余るものだった。魔物等の王には致命的な効果を与える事が出来なかったが、本来なら、小さな国程度だったら、跡形もなくなる威力を有している。所謂禁忌の魔法とでもされるべきもの。
そんなものを行使したのだから、ただで済む筈がないのだ。
「聖女殿の祈り以前に、私自身の治癒力が働いていない。それに、壊れて行く方がずっと早い」
溜め息の中で呟き、左手を持ち上げれば、鮮血の帯がローブから出た腕の肌から指先まで纏わりついている様子が確認できた。
先程の雨音は、この指先から地面へと落ちた血の雫が、星降りの花の硬い葉っぱに当たった音だったのだ。
暗い色の生地と、夜である今。良く分からないが、纏ったローブのいたるところが重たく湿っているようだった。
「痛みはよく分からない。身体は熱く熱を持っている。だいぶ強い薬を使われているのか」
治療師であり、薬師。聖女のような特殊な力はないが、聖女の侍従である彼はやはり、かなり優秀だったのだろうと、紅い目をした女性のたおやかな無表情が思い浮かび、私は苦笑ではない笑みを浮かべていた。
「この状態で動くことを許可してくれた剣聖殿には感謝だな。かなりの仏頂面だったが」
剣聖は所謂義の人だった。弱きを助け、人の道を知り、自分の理念に確固たるものを持つ勇者の導き手。
おそらくではなく、まず間違いなく私の身体に状態に気付いていて、それでもあの場所に行く事を許してくれた。
私のしなければならないと言う意思を尊重しようとする、あの美しくも精悍な顔が重々しい表情で頷いた時は、少しだけ申し訳なくも思ったのだ。
「聖女殿は、毅然としていたが・・・いや、大丈夫だな。あの子もまた“・・・”だから」
勇者と同じ年齢の十五歳。そんな少女が過酷な旅路に良く耐えたものだと思う。
淑やかさと闊達さを使い分け、あらゆる場面を楽しむ無邪気さがあった。
そんな聖女の笑顔を思い私もまた微笑む。そして、彼女が何時か自身に課せられているものを知る時が来るのだろうかと、少しだけ愁いに瞳を翳らせた。
使命に縛られた旅は過酷だったがそれだけではなくて、そう言う旅が出来たのだから良いパーティだったのだと思う。
でも、だからこそ、私は彼の、彼等の裏切りに、もう駄目だと思ったのだ。
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