月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

文字の大きさ
上 下
2 / 214
【序章】

序晶 別れ

しおりを挟む

 パチ、パチ、と焼べられた小枝が火の中で爆ぜる音が微かに届く。
 日が落ちきった後の闇に沈んだ丘の上、焚き火の音を運んで来たのと同じ、吹き上がって来る乾いた風が髪を揺らし、視界の端で白銀色が無造作に跳ねていた。

 岩と砂ばかりで、生命を育む事のない黒灰色の大地を渡ってきた風は荒涼としていて、けれど、澱みの核となっていた魔物等の王が倒された事で、この風が以前のように生き物の命を蝕んでしまう事はなくなっている。

 そう、魔物等の王は倒されたのだ。

 私が意識を取り戻した時には既に、魔物等の王と最終決戦を行った大陸中央部から、上陸に使った南端付近の浜辺近くにまで撤退が終えられていた。
 そうして、無事に魔物等の王が倒された事を聞き、ついでに私が意識を取り戻す迄に丸っと三日程かかっていた事も聞かされた。
 攻め上る時の、形振り構わない特攻行程で丸一日程の道行きだった事を考えると、意識のない私の存在もあり三日程も時間をかけていたのはだいぶ気遣って貰った移動だったように思う。

「アス、いた!そんなところで何やっているんだ!かなり酷い怪我なんだぞ!」

 荒げる声の勢いのままに怒鳴られてしまった。
 足音はしていなかったが、走って来たのだろう。僅かに乱れた呼吸が焦りと心配を伝えて来るようで、振り替える前の自分の表情に苦笑が浮かんでしまうのを止められなかった。

「勇者か」

 けれど、そう告げた声音にも、向ける表情にすらも、私がその感情の余韻を窺わせる事はないのだ。

「・・・絶対に安静だとリコに言われている筈だろ!アスにはリィルの癒しも効果がないんだし、なんでっ!」

 勇者と言った時に、一瞬、ほんの僅かにだが何とも言い難い表情を見せたが、直ぐにそんな事を気にしている場合ではないと思い直したのか、今代の勇者である少年はそう怒りの言葉を続けて来た。

「侍従殿と聖女殿か、動ける程度には治癒出来ているし剣聖殿に一言行ってから歩いて来たのだが、けれど、そうだな、勇者の言う通り、私に聖女殿の御力は効果がない。祈りの恩恵を受けられないからな」
「そう!リコが応急手当だけでもって頑張ってくれたけど、それでもだ!明日の朝には迎えの船も来る。海の荒れも収まっているようだから行きよりはマシな航海になるだろうけど、でも少しでも休んでいた方がいい」
「そう、だな」

 素直にそう頷いて、けれど、私はその場から動こうとはしなかった。
 もう一度海の方を見て、対岸の彼方に小さく見える幾つもの橙色の灯りへと意識を向ける。
 勇者を行かせる為に道を切り開いた各国の兵士達があそこで夜営を行い、勇者とその仲間達の凱旋を待っているのだ。

「・・・すぐに戻らせるからな」

 何かを察してくれたのか、動かない私の様子に小さく呟いたかと思えば、いつの間にか勇者が隣に来て、同じ景色を眺めていた。

「見えていないかもしれないが、一応だな、それ以上進むと、崖下の暗い海へと真っ逆さまだ。お勧めしない」

 一瞬勇者は自分の足もとへと目をやり、嫌そうに顔を顰めると半歩だけ下がって、地面のぎりぎりの場所を見定めでもしようとしているかのように目を細めた。

「この大陸に来る時に見たけど、上陸出来る下の浜辺以外は、荒波に削られたむき出し岩礁地帯だった。今は海も凪いでいるけれど、それでもあの場所以外からの上陸は無理なんだろうな」
「北は、水も風も在り方が荒々しい。大地は頑健だったが、今はかなり見る影もない状態と言ったところだ」
「そうか」

 他愛もない会話を交わす。

 海岸沿いにあるこの場所は、実のところ荒波に深く岸壁を抉られ切り立った崖となっている。そして、その下の海は遠くから見ても分かる程の岩礁地帯が広がっていた。
 この大陸はずっとそんな感じの地形が続いていて、唯一上陸が可能だった下の浜辺にも小船でどうにかと行った状態だったのだ。

「だが、なんだろうな」
「何が?」
「いや、今、想像の中で、クルスをここから飛び降りさせてみたんだが、普通に生還して来た」
「・・・・・・」

 想像の中だけでとは言え、旅の仲間を断崖絶壁から飛び降りさせるとは何を考えているのかと思ったが、私もまたその様子を思い浮かべてしまい、思わず顔を顰めてしまった。
 不謹慎さに気が咎めたのではなく、吹き出しかけ、それを無理矢理に押さえ込んだが為だったのだが。
 勇者が私のそんな様子を見ていて、表情からでは分からないであろう内心まで見透かされているような気がして、だから私は想像出来てしまったものの一端を口に出してみる気になった。

「剣聖殿が何の気負いもなく海に飛び込んで行った」
「そうだな、真下に叩きつけられれば即死ものの岩があっても、あり得ない空中での体捌きをきめて、綺麗に回避して海へ潜って行ったな」
「避けるのが無理な状況でも、何故か拳一つか蹴りの一撃で岩が粉砕されて安全を確保していそう」

 私の発言に勇者は目を見張り、けれど直ぐに同意を示すように頷いていた。
 無駄なく鍛え上げられた身体と、同種の人間かを疑いたくなる程の身体能力。その二つを兼ね揃え、それでも未だ見果てぬ限界の先を突き進み続ける青年の姿を二人ともが思い浮かべてしまっていた。
 
 そして、そんな、意味のない会話をどちらともなく続けていると不意に風向きが変わった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

お爺様の贈り物

豆狸
ファンタジー
お爺様、素晴らしい贈り物を本当にありがとうございました。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

転生幼女のチートな悠々自適生活〜伝統魔法を使い続けていたら気づけば賢者になっていた〜

犬社護
ファンタジー
ユミル(4歳)は気がついたら、崖下にある森の中にいた。 馬車が崖下に落下した影響で、前世の記憶を思い出す。周囲には散乱した荷物だけでなく、さっきまで会話していた家族が横たわっており、自分だけ助かっていることにショックを受ける。 大雨の中を泣き叫んでいる時、1体の小さな精霊カーバンクルが現れる。前世もふもふ好きだったユミルは、もふもふ精霊と会話することで悲しみも和らぎ、互いに打ち解けることに成功する。 精霊カーバンクルと仲良くなったことで、彼女は日本古来の伝統に関わる魔法を習得するのだが、チート魔法のせいで色々やらかしていく。まわりの精霊や街に住む平民や貴族達もそれに振り回されるものの、愛くるしく天真爛漫な彼女を見ることで、皆がほっこり心を癒されていく。 人々や精霊に愛されていくユミルは、伝統魔法で仲間たちと悠々自適な生活を目指します。

処理中です...