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30 帝国の侵略

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 教会へと続く通りには、やせ細った物乞いが大勢寝ていた。私の国は相変わらず貧しくて、国民は飢えて死んでいく。

「この国の信仰心は、ずいぶん薄っぺらいのだな」

 馬車から降りる私に手を貸してから、ジンは教会を見上げた。
 前に来た時と同じ、焼け残った礼拝堂がそびえ立っている。

「精霊の加護がなくなったとはいえ、この国には凶悪な魔物は入ってこない。精霊に結界を維持してもらっているのに、そのことに感謝する者はいない」

 ジンは私の手を取って、精霊教会の中に入る。

「母が寝物語に話をしてくれた。精霊はとても美しくて高貴な存在だったと。いつか俺も、母の故郷の精霊に守られた国に行きたいと思っていた」

 ジンは教会の中央に立っている白い石像を見上げた。

「それで、この国に来た感想は?」

「最悪だな」

 私の問いかけに、ジンは顔をしかめた。

「怠惰な国民と驕り高ぶる貴族そして、無力な王族」

「ずいぶん辛辣なのね。この国の発展を邪魔しているのは帝国じゃないの?」

 苦労して農業を発展させようとしても、帝国産の作物の方が簡単に安く手に入る。農民の労働意欲が失われるのも仕方ないだろう。そして、貴族たちは、帝国に言われるままに安値で領地の鉱物を売り払った。100年の間に鉱山は全て枯れてしまった。そして、王族はもう、血が途絶えてしまった。国王は病で子ができなくなり、そのたった一人の娘は紫の瞳を持たない。私とアスラン様が守ろうとしたこの国は、終わりかけている。

「世界に、ここほど恵まれた土地は他にはない。川や湖にはきれいな水が豊富にあり、森には木が生い茂り、作物を育てる土壌も豊かだ。そして何よりも、危険な大型魔物が出ないから、瘴気で土地が穢されることもない」

 そうね。そう。精霊の加護を失っていても、建国女王の炎が燃えている限り、この国は豊かであり続ける。

「皇帝は、この国を手に入れようとしている。愚鈍な王国人にはもったいないからだ」

「だから、帝国人は私の国民を奴隷にして連れて行こうとしているの? この国から国民を追いだして、代わりに自分たちが住むために?」

 精霊王の像の前に立って、私はジンに問うた。
 商人と偽って国に入り込んでいる、魔物のような目をした帝国の男に。
 彼は黒い瞳を光らせて、私をじっと見つめる。

「俺と一緒に帝国に行こう。こんな場所にいる必要はない。先王の私生児だからと差別を受けているのに、王族としての義務など果たす必要はないのだから」

「どうして?」

 なぜ彼は、こんなに私を連れて行きたがるの?

「俺は……、ずっと聖女にあこがれていたんだ。母が語る聖女の話を寝物語に聞いて育った。小説に出てくる賢者との恋物語ではなく、虐げられていた王女が聖女になって、国のために犠牲になる話を」

 ジンは私の手を取って話し続ける。私の冷たい手に彼の熱が伝わってくる。

「聖女フェリシティも私生児だったそうだ。母の祖母は、教会で一緒に育った。聖女は、不義の子だと罵られて、しなくてもいい労働を押し付けられていたらしい。それでも健気に耐えていた聖女は、膨大な神聖力が発現した後は、王宮に連れて行かれて、そこで王妃や兄弟にいじめられたと」

 教会で一緒に育った聖女候補が彼の先祖だったの? あそこには、私のことを助けてくれる人は誰もいなかった。でも、意地悪をしなかった人はいたわ。彼女が彼の曾祖母なの?

「聖女フェリシティは、キラキラした金の髪に、大きな紫の瞳をした小さな女の子だった。虐げられていながらも、国民のことを愛する崇高な王女だと伝えられた。……まるでおまえのようだ」

「聖女フェリシティの肖像画は、私じゃなくてカレンにそっくりよ」

「あれは、どう考えてもレドリオン家が描かせた偽物だろう? そうではなくて、聖女フェリシティの治癒石を見つけることができるおまえの方が、ずっと、彼女の後継者にふさわしい」

 ……ああ、そうか。治癒石を渡したからなのね。彼が私にこだわるのは。
 そうよね。今更ながら、あれの価値を理解できたわ。今の時代は、精霊の加護がなくなったから、重い病気や怪我を治すことができなくなったものね。ポーションや医術では、失った体は戻らないのよね。

 迂闊だった。そんなに貴重な品なら、簡単に作って渡すべきじゃなかった。

「治癒石で、あなたのお母様の病気は治ったの?」

「ああ、母は奴隷にされた時に、逃げ出して、足の腱を切られた。その時の古傷が痛むから治してやりたいと思っていた。だが、あの石の力はすさまじいな。傷どころか、足が治って、再び歩けるようになった」

 そうね。そんな魔法はこの世界には他にはない。

「だからなの? 治癒石が欲しいから、私を帝国に連れて行きたいの? でも、残念ね。もう聖女の遺産は残ってないわよ」

 これ以上そんなものを作るつもりはない。私は、神聖力を誰かのために使うつもりもない。もう誰の役にも立ちたくない。

「違う。治癒石が欲しいんじゃない。俺は、おまえを……」

 熱を帯びた視線が私の顔に注がれる。
 ジンの手が私の頬に触れた。
 上を向かされて、そこに彼の美貌がゆっくり近づいてきて……。

「私には婚約者がいるのよ」

 一歩後ろに下がって、彼の手を振り払う。

「あなたと一緒には行けないわ」

 彼の黒い瞳が大きく見開かれる。
 困惑したように、彼は私を見つめる。
 きっと、彼は、女性に断られたことがないのだろう。

「なぜだ? まさかあんな愚かな男を愛しているとでも? 今だって、おまえじゃなくてあの男好きの王女といっしょにいるんだぞ。なんであんなやつに義理立てするんだ? 国王の命令だからか? あんな国王に、こんな国に何の価値がある? 恩知らずな怠惰な民の国に!」

 私の婚約者はアーサーじゃないわ。
 私の本当の婚約者は、アスラン様よ。だって、私達は婚約を解消しなかったもの。100年以上経って、アスラン様はもうこの世にはいなくても、それでも、私はずっとアスラン様の婚約者でいたいの。

 ……それに私は、王女だからこの国を守らないといけない。国を出ることはできない。

 そう洗脳されて育ってきた。教会に、お父様に、それから、炎の中で出会った建国女王に。

 国のために生きて、国のために死ね。
 そう言われてきた。

 でも、もうそれを守るつもりはないけれど。

「この教会に来たって何の意味もないのよ。ここには精霊はいないの。精霊はこの国から出て行ったの」

 今の国王には、この国を守る力はない。国民を愛することもない。
 炎の中の建国女王に会ってないのだから。
 この国はもう守りの力を失う。

「ここにあるのは、人が作ったただの石の像だけよ。祈ったところで意味はないの。皆、それを知っているの。信仰心なんて必要ないの!」

 呆然と立ちすくむジンを後に残して、私は踵を返して教会を出た。

 もうここには来ない。私はもう彼らの犠牲になるつもりはないんだから。
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