三十路の魔法使い

高柳神羅

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第153話 神の定義

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『アルテマ!』
 俺とゼファルトの声が共鳴する。
 同時に放たれた青白い光は、それぞれ別の方向からユーリルめがけて一直線に宙を貫いた。
 ユーリルは──動かない。その場に留まったまま、左右から自分に迫り来るアルテマの光をちらりと一瞥して。
 ぶわっ、とその背から人の身よりも大きな真紅の膜のようなものが生まれる。それは一瞬で蝙蝠の翼を形作り、ユーリルの体を包み込むように覆い隠した!
 ぎゃぢぃっ!
 ガラス同士が擦れ合って軋むような耳障りな音を立て、魔法を食らった翼が数多の欠片となって散る。
 煌めくヴェールの向こうから、依然として悠然と佇むユーリルの姿が現れる。
 彼は虚ろな微笑を顔に宿したまま、口を開いた。
「……相変わらず、見事な魔法の腕前ですね。出会った時から全く衰えていない」
 砕けた両翼を優雅に広げる。するとまるで欠け落ちた部分から生えてきたかのように、翼はぱきぱきと固い音を立てながら元の形へと再生した。
「……全く、羨ましいものです。私も……その力が欲しかった。自由に、望むままに、あらゆる魔法を操ることができる才能。それさえあれば……今頃は、私も、魔道士として名を馳せて人々の前に立っていられたでしょうに」
「魔帝に魂を売って異端の力を手に入れた奴が、今更何を言うのさ! 君にはもうそれだけの力があるんだから、今更魔法の力なんていらないでしょ!」
 声を張り上げながらアヴネラが光の矢を射る。
 胸の中心を狙って射られた矢は、ユーリルが振るった大鎌の刃に阻まれて砕け散り、消滅した。
 破砕するとはいえ、アルテマを受け止められるほどの強度を持った物質だ。木の矢とそれほど変わらない貫通力しかないという矢では、あれを砕くことはできないか。
 そもそも、砕いたところですぐに再生するような代物である。そんなものを幾ら砕こうが無意味な気がする。
「分かってないですね、貴女は。どれだけ齢を重ねようと、どのような力を得ようと、幼い頃から抱いていた夢というものは、叶えられぬ限り生涯忘れることはないものなのですよ」
 振り抜いた大鎌を静かに下ろし、ユーリルは双眸を閉ざす。
 何かを思い返しているかのように、顔を上向かせて、ゆっくりと息を吐いて。
「百年……純粋に魔道士になることのみを願って、日々鍛錬を続けて勉強も欠かすことはありませんでした……結果として魔法の『知識』は手に入りましたが、私が最も欲しかった魔法を『操る力』は手に入らなかった。努力だけならば、誰にも劣っていないという自負はあったのですが。結局天の神は、私の努力を認めては下さらなかった──」
 それまで浮かべていた微笑が、一瞬で消える。
 一転して憤怒に醜く歪んだ顔を俺へと向けて、彼はヒステリックに叫んだ。
「私はこんなにも努力してそれでも報われなかったというのに! 何故貴方は召喚勇者だというだけでそんなにあっさりと力を手に入れられるのですか!? ろくな知識も持っ

ていない上に何の努力もしていないのに! 理不尽ですよ、不公平ですよこんなのは! この世界の人間がどんなに努力しても神は全く興味を示さないというのに、ただ召喚勇者だからというだけで、あっさりと才能を授ける! 何故私たちでは駄目なのですか! 異世界人と現世界人の一体何が違うというのですか! 同じ人間なのではないのですか!? 理解できませんよ!」
 神、の単語が出たので俺は思わずアルカディアに視線を送る。
 アルカディアはフォルテの腕の中で耳をぴくぴくと動かしながら、小声で呟いた。
「そんニャこと言われたって……神は掟で下界に干渉したらいけニャイって定められてるし、そもそも私たち神にとって下界の人間に能力を授ける理由がニャいもの。利点もニャいし。ニャんでそんニャことをしニャいとニャらニャいのよ、って感じだし。そもそもあニャたたち下界人だって、普段は私たちのことニャんてニャんとも思ってニャいじゃニャい。自分が困った時だけ頼ろうとするニャんて都合が良すぎるのよ」
 ニャーニャー言っててかなり聞き取りづらいが、一応アルカディアの言っていることは分かる。
 そうなんだよな。基本的にこの世界の神たちは自分の欲望に忠実で、自分にとってメリットがない限りは人の話を聞こうともしない存在だ。神の掟とやらを破った時の罰が厳しいみたいだからわざわざそれを無視してまで下界に干渉するような奴もいないみたいだし、そもそも召喚勇者の俺だって、アルカディアたちに優遇されていたのはフォルテが召喚するビールが目当てだったからだし……
 女神の呟きがまさかこんな情もへったくれもないような内容だったことが意外だったのか、フォルテが困惑した様子で腕の中のアルカディアを見下ろしている。
 すまんな、フォルテ。この世界の神はそういう存在なんだよ。特にそいつの場合はな。俺が謝るようなことじゃないんだろうが。
「人を絶望の淵から救済して下さるのが『神』ならば……私にとって、もはやこの世界の神なんてものは神ではありません。私にとっての神は、私に力と愛を下さったあの御方のみ。私は真なる神に選ばれた者として、偽りの神を崇拝し真なる神に楯突く愚かな貴方たちを断罪します! 特にハルさん……この世界の者ですらない貴方には、存在する権利もない! 消え去りなさい、髪の一本すら残さずに!」
 ぶつん。
 何かが弾け飛ぶ音がした。
 べしゃ、と生々しい音を立てて、ユーリルの足下に大量の液体が散った。
 床が黒いため、一見するとそれは普通の水のように見えるが──ユーリルの体を見て、俺はその液体の正体を察する。
 彼が纏う白いローブが、背中から真っ赤に染まっている。先程までは何ともなかったはずなのに、まるでそこだけ、大量の血を浴びたようになっていた。
 あれは……

「魔法も使えない私が何故、貴方たち全員を同時に相手にすると言えるのか……御覧なさい、その理由を。私があの御方より授かった魔血の力を!」

 床に飛び散ったユーリルの血が、自ら意思を持った生き物のように蠢きながら宙へと上っていく。
 彼の体を包み込み、広がり、成長して。
 八方に伸びた先端が形になっていく。鼻先が尖ったトカゲのような顔、六枚の翼、棘を備えた長い尻尾、鋭い爪が伸びた手足。
 全身が硬質化して、宝石のような艶と輝きを帯びる。
 大きさは三メートルほどと、それほど大きくはない。しかし目の前のこの赤いものは、まさに。
「……竜……!?」
 ゼファルトが驚愕に見開いた目で、それを見上げている。
 ユーリルは──真紅の竜へと姿を変えて、俺たちの前に佇んでいた。
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