三十路の魔法使い

高柳神羅

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第129話 希望を託された勇者の決意

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「大切にお預かり致します」
 俺から受け取った壺を大切に両手で持った侍女が、俺の傍から去っていく。
 俺は全身に圧し掛かる疲労感にぐったりとした様子で、壁に背を預けて通路の一角に両足を投げ出して座っていた。
 そのままぼーっとしていると、シキが後頭部を掻きながら笑顔で俺のところへとやって来た。
「いやー、参ったなぁ。流石に疲れちゃった。おっさんも、休憩?」
「……まあな」
「俺も、向こうでがっつり搾られたよ! まあ、魚人のお姉さんが手伝ってくれたから、ノルマを果たすのはそれほど苦労しなかったけどね! ははっ」
「……何を手伝わせたんだ、何を」
「えー、だってさぁ。何もなくてただ出せって言われたってそんなの無理じゃん。まずは自分がその気になんなきゃさ、出るものも出ないでしょ? お姉さんも喜んで協力してくれたよ? 俺の……」
「ああ、言わなくていいから。というか聞かせるな、そんなしょうもない話」
 しっしっと手を振る俺。
 シキは微妙に残念そうな顔をしながらも、肩を竦めて俺の隣に胡坐をかいて座った。
「っていうかさ、本当にあれで赤ちゃんできるの? 魚人族と人間って種族別じゃん。こういうの何て言ったっけ、異種姦……」
「……違うだろ、それは」
「そう? ま、言い方なんて何でもいいけど。とにかく、魚人族の卵が魚人族じゃない俺たちのやつでちゃんと赤ちゃんになるのか、って話だよ。俺たちから搾ったやつが無駄になるのは別にいいんだけどさ、卵はあれ一個しかないわけで……結果的に赤ちゃんに育たなくて卵が腐っちゃった、なんてことになったら、お姫様たちがっかりするんじゃないかなぁってね」
「まあ、ナナルリたちにとっても賭けみたいなもんらしいけどな。でも、何もしないよりはって覚悟を決めてるみたいだし、それを最初から無駄だって突っぱねる権利は俺たちにはないと思うぞ」
 結論から言うと、魚人族の卵が魚人族以外の種族の精子で無事に受精卵になったという前例はないらしい。
 アヴネラは、かつてはエルフと別種族の間に産まれたハーフもいたらしいから、多分魚人族と人間との間にも子供はできるんじゃないかとは言っていたが……
 しかし、エルフも魚人族も同じ亜人種に区分される種族ではあるが、人間に限りなく近いエルフと違って、魚人族は根本的に生殖の方法自体が人間とは異なるのである。
 それに。仮に無事に卵が受精して赤ん坊が産まれたとして……その子供は果たして『魚人族』と呼べるのかという問題が出てくる。
 卵から誕生はしたが、魚人族と違って鱗もひれもない、えらがなくて水中生活ができない、そんな子供になる可能性があるのだ。
 もしも、人間の遺伝子の方が強すぎて、人間に近い特性を持った子供が生まれてしまったら。その子供に魚人族として生きていけと言うのは余りにも酷なのではないだろうかと、思うのだ。
「……何にせよ、純粋な『魚人族』って呼べる種族はこれ以上は増やせない。他の種族との混血という形で生き残ろうとすることを悪いとは言わんが、魔帝に国ごと種族を滅ぼされた時点で、魚人族の絶滅は決まっていたことだったんだよ。悔やまれる結果なんだろうとは、思うけどな」
「そうだなぁ」
 はぁ、と息を吐いて。シキはこつんと背後の壁に背中を預けて頭上を仰いだ。
「……助けてって救いを求めてる人が目の前にいるのに、それを助けることができないなんて……何だか、悔しいな」
「せめて、生き残った彼女たちが生き残って良かったって思えるように、俺たちの手で魔帝を倒してやろう。絶滅が避けられなかったことだったんだとしても、そういう形で助けてやれたなら、それでいいじゃないか」
「……君たち、そこにいたのか」
 部屋の方からゼファルトが来た。
 彼も、俺たち同様に別の場所で搾られていたはずだが……随分と元気だ。全然体力が落ちている様子には見えない。
「海溝迷宮攻略についての話をしたい。部屋の方に集まってもらいたいのだが」
「りょーかい。いよいよダンジョン突入かー。俺、ダンジョン入るのって初めてだから何だかわくわくするよ」
「……海溝迷宮を甘くみてはいけない。あれは本来人間が足を踏み入れるような場所ではないのだ……観光気分でいると、死ぬぞ」
 ふんふんと鼻歌を歌いながら部屋の方へ歩いていくシキの背中を、ゼファルトは複雑そうな面持ちで見つめながら小さくそう呟いたのだった。

「件の迷宮に施した封印は、これで解くことができます」
 そう言ってナナルリが取り出したのは、一本の剣だった。
 魚のように見える細かな彫刻がびっしりと施された白い柄に、小さな鍔。刃の部分は虹色の光沢を放つ素材でできている。金属ではなさそうだ……真珠だろうか? 武器と言うよりも儀式用って感じの品だ。
 刃の部分は、半ばから真っ二つに折れてしまっている。そのため元々の刃の長さは分からないが、柄の大きさからして多分元は短剣だったのだろうということは何となく分かる。
「刃の部分にわたしの血を塗って、その状態で迷宮の扉に差し込めば迷宮全体に掛けられた封印が解かれます。封印が解ければ内部の水も引きますので、水中で呼吸する手段をお持ちでなくても探索することは可能です。……ですが」
「それ、折れてるみたいだけど大丈夫なの?」
 シキの質問に、ナナルリは暗い顔をして、答えた。
「……はい、そこが問題なのです。御覧になられてお分かりになる通り、この品は刃の部分が折れてしまっているので、封印を解く鍵としては不完全な力しか持っていません。おそらくですが、迷宮の封印を完璧に解くことはできないと思います。何とか入口の扉を開くことはできるでしょうが、それ以上のこととなると……」
「いつ折れたんだ? それ」
「国が滅ぼされ、島が沈められた時の混乱に巻き込まれて折れてしまったものなので……かれこれ、十年以上は経っていると思います。正確には覚えておりませんが」
 壊れて十年以上過ぎているとなると……流石にリバースの魔法を掛けても元には戻らないか。十年ともなると、巻き戻せる時間の範囲を超えてしまっている。
「完璧に封印が解かれないということは、水没したままの箇所が残るということか?」
 ゼファルトが懸念を口にする。
 彼がそれを心配するのは無理もない。
 ダンジョンとはすなわち妖異の巣窟なのである。幾ら普段は水没していて封印されていた場所だといっても、ダンジョンの根本的な仕組みが変わるわけではない。
 もしも水没した通路があって、そこを抜ける最中に妖異に襲われたら、水中にいる限り俺たちは逃げる以外に打てる手がなくなるのだ。
 妖異に無防備に背を向けることほど危険なことはない。例え仕留め切れないと判断して逃げを打つことになったとしても、決して隙を見せてはならないのだ。妖異は猛獣とは違う……どんな隠し玉を持っているかが分からない存在なのだから。
「水没したままの区画も、もちろん残ると思います。しかし、本当に問題なのはそこではないのです。この品が迷宮の封印を解除していられる時間、そちらの方が大きな問題なのです」
 ナナルリは溜め息をついた。
「刃が折れてしまっているせいで、封印を解いた状態を長時間維持できるだけの力が残されていないのです……わたしの見立てですが、おそらく、持ったとして最長で六時間。それが限界だと思います。それを越えると再び迷宮は水で満たされ、ニクロウルズ側の入口を通ることはできなくなります。もう一方の出口の方はどうなっているかは分かりませんが……一度迷宮に足を踏み入れたら、二度と此処に戻って来ることはできないと考えて下さい」
「六時間か……迷宮全体の規模を考えたら、寄り道をしている暇はないな。最短距離で進んでもぎりぎりといったところだ」
 それだけかかるってことは、相当大きなダンジョンなんだな。
 万が一タイムオーバーでダンジョンが水没してしまっても、魔法を使えばとりあえず溺れることだけは回避できる。後は魔族領側の出口が閉じられていないことを祈って、何とかそこまで辿り着くしかない。
「……此処は我々にとってただの通過点にしかすぎない。必ず、生きて魔族領へと到達しよう。我々が背負っているものは、彼女たちの願いだけではない……我々を送り出してくれた仲間たちや、世界中の人々の未来が、託されているのだから」
 ゼファルトの言葉に、俺たちは互いの顔を見合いながら深く頷く。
 ようやく、魔帝の後ろ姿が見えてきた。
 絶対に、あの余裕すかしている背中に一撃かましてやる。そう決意を胸にした俺は、深呼吸をして気合を入れたのだった。
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