三十路の魔法使い

高柳神羅

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閑話 神の口に戸は立てられない

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 神界某所にある、水鏡の間。
 下界の様子を映す覗き窓を、一人の少年が覗き込んでいる。
 肩口で綺麗に切り揃えた黒髪に、天眼石のような白い光輪を宿した黒い瞳。袍と袴共に黒系で統一された衣冠を身に着け、光沢のある浅沓を履き、頭には冠を被っている。ツウェンドゥスではまず見ることのない、日本で言う神主や陰陽師のような格好をした中肉中背の少年である。
 何処か少女らしい可愛らしさを備えたその少年は、水鏡に映っているものを表情ひとつ動かすことなくじっと見つめていた。

「アマテラス殿ではないか」

 その彼に背後から声を掛けたのは、一人の男神。
 癖がある銀髪を背中の中央ほどにまで伸ばした長身の男である。瞳は青く、純白のヒマティオンに包まれた小麦色の体はよく鍛えられており立派な筋肉が備わっている。神は基本的に美男美女が多いが、彼もその例に漏れず切れ長の目に鼻筋が通った顔……と思わず溜め息が漏れるような整った顔立ちをしていた。
 名前を呼ばれたアマテラスは振り返り、その男神の姿を見つけると、姿勢を正して深く一礼をした。
「これは……大主神殿。水鏡の方に気を取られていて気付かなかったとはいえ、御無礼を」
「私のことはアインソフ、で構わない。君と私の仲なのだ……今更、畏まった挨拶は抜きにしようではないか」
 大主神アインソフ。
 この美丈夫こそが、此処ツウェンドゥスの神界に住む全ての神々の頂点に立ち、彼らを統括する神なのである。
 現在神界に住む全ての神は、彼から産まれた……とされている。
 ツウェンドゥスが誕生した時から生きている、原初の神。それが彼なのだ。
 アインソフはゆっくりとアマテラスの隣に並ぶと、自分の胸ほどの身長しかない彼の全身をじっと見下ろして、言った。
「……君は、相変わらずなのだな。君は本当は女性であろうに、そのような男子の格好をして……問題にならないのかね? 君の世界では、君は最高峰の神格を持つ神なのだろう?」
「僕の担当する国では、ね。世界全体で見たら僕なんて神としては若造さ。それに……僕が男神だろうが女神だろうが気にする子なんていないよ。まあ、僕を信仰している子たちが僕のことを男神だと信じている者と女神だと信じている者と両方存在しているからこそ可能な『遊び』でもあるんだけれどね。せっかくだから僕が一番気に入っていて動きやすい姿をさせてもらっている、それだけさ」
 女性の着物は着るのも動くのも大変なんだよ、と冗談めいたように言って、アマテラスは袍の裾を引っ張った。
 アマテラス──天照大神は、本来は女神である。天皇の祖先であり、太陽を神格化した神と言われている存在。だが今彼が言ったように、彼には男神であるという説も存在しており、それこそが天照大神の本当の姿であると信じている人間は少なくない。その信仰心が彼に性別を自在に変えることができる力を与えているのだ。
「僕たち神にとって外見なんて重要なものじゃないよ。神に求められているのは、自分が管轄している世界の秩序を守ること。それは何処の世界だろうが共通さ。アインソフ殿だってそうだろう?」
「……そうだな」
 彼らはふふっと笑って、揃って水鏡へと視線を落とした。
 水鏡には……仲間たちと共に絶賛渓流下り中の春の姿が映っている。
 隣の若者にしがみ付いて絶叫しまくっている彼の様子を何とも微妙な表情で見つめながら、アインソフは尋ねた。
「……彼は? 君の世界から来た者か?」
「うん、そうだよ。彼は最近こちらに渡ってきた人間でね。こちらで不自由にしていないか気になって様子を見に来たのさ」
「そうか……ツウェンドゥスの都合で君の世界から勝手に人間を連れてきてしまっている現状は、何とかせねばと常々考えているのだが……実際に召喚儀式を行っているのは人間たちだから、私たちにはどうすることもできないというのが本音なのだ。それは申し訳ないと思っている」
「貴方が責任を感じることはないよ。こちらの世界に来た子たちは、新しい人生を楽しんでいるようだしね。彼も……貴方の子たちにとても良くしてもらっているようだから、きっと心配はいらない。何だか凄い力まで頂いてしまったみたいで、逆に僕の方が御礼をしなければならないんじゃないかって思っているくらいさ」
「……凄い力?」
 アインソフの眉間に僅かに皺が寄る。
「それは、一体どういう力なのだ」
「彼は色々受け取っていたようだけど……一番凄いと僕が思ったのは、魔法を増やす力かな。魔法の光が二つに増えたんだよ。何と言っていたかな……」
「……魔法が、増える……?」
 アインソフは顎に手を当てて小首を傾げて考え込み始めた。
 ややあって思い当たるものがあったのか、小さくその答えを口にする。
「……デュプリケート……か?」
「ああ、そうそう。そんな名前だったね。あれも魔法の一種なのかい? ツウェンドゥスの魔法というものは、本当に凄いね。魔法まで増やしてしまうなんて。流石屈指の魔法世界と言われているだけあるよ」
「……いや……」
 興味津々と問うてくるアマテラスに、アインソフは小さくかぶりを振った。
 元々彼は喜怒哀楽の表現に乏しい神だが、先程浮かべていた表情がもう消えている。
 彼は鉄仮面のような面をアマテラスへと向けると、毅然とした態度で彼へと小さく頭を下げた。
「……すまない。大切な用事ができてしまった。ろくなもてなしもできずに申し訳ないが、次に君が来てくれた時は私の秘蔵の果実酒を開けて迎えよう。是非ともまた来てくれたまえ」
「お気遣いなく。貴方は大主神だ、多忙なのは重々承知の上さ。こちらこそ何の連絡もなく勝手に押しかけてきてしまって申し訳ない。また、来るよ」
 じゃあね、と気さくに挨拶をして、アマテラスは水鏡の間から去っていった。
 一人残されたアインソフは、今し方アマテラスから聞いた話を頭の中で繰り返していた。
 デュプリケートを使う人間。その人間と懇意にしている自分の子……神がいる。それも、一人ではない。複数。
 デュプリケートとは、数ある神の能力の中でも特異とされてきた能力である。その特性から古来より『倫理を破壊する禁呪』とされ、丁重に扱われ、能力を持つ者を制限してきた。
 現在その能力を持つ神は、始祖の神として全ての能力を宿した大主神たる己と。
 そして、もう一人──
「…………」
 アインソフは足早に水鏡の間を離れ、その神がいるであろう神殿へと向かった。
 自分の中にあるその予想が真か否か、それを確認するために。
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