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第85話 領境の街アバンディラ
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俺が一生懸命に手を施した甲斐があったのか、無理矢理飲まされていた薬の効果が体から抜けたフォルテはようやく元の落ち着きを取り戻した。
冷静になった途端、彼女は顔が真っ赤になっていた。俺の顔もまともに見れない始末で、始終あわあわと何かを言いたそうな表情をしながら固まっていた。
俺はそれを、全部薬のせいで見ていた悪い夢だから気にするなと言い聞かせて落ち着かせた。
実際、普通ではなかったと思う。彼女も、……俺も。
ひょっとして俺のことが嫌いになったかと、そのようなことを懸念したりもしたが──幸いなのかどうかは分からないが、彼女は俺に「助けてくれてありがとう」と言っただけで、俺を避けるような素振りは一切見せなかった。
……これで一応は事が解決したことになるのだろうが、果たして俺が取った行動は正しかったのだろうか。
間違ってはいないはずだと、思いたい。
俺は身なりを整えたフォルテを連れて、建物を脱出した。
建物から少し離れた場所に停車している馬車。その脇で、リュウガたちは俺たちが建物から出てくるのを待ってくれていた。
リュウガが持ち出した箱。その中から取り出した宝の数々を地面の上に広げて、即席の鑑賞会のようなノリでそれらを弄り回していた。
「ほっ、こいつは五月雨剣テンペストじゃねぇか。随分と値打ちもんが出てきたもんだなぁ、おい。こいつだけで一千万ルノは下らねぇぜ。豪遊しなけりゃ一生遊んで暮らせるな」
「人間ってほんと金銀財宝が好きだよね。あんな丸い金貨なんかの一体何処がいいのさ。ボクには理解し難いよ」
「馬鹿か、人間がこの世界で生きていくためには金が必要不可欠なんだよ。金を欲しがるのは当たり前だろうが」
「……すまん。待たせたな」
「……おう、今頃戻ってきたのかよおっさん。二時間近くも待たせやがって」
俺が声を掛けると、リュウガは顔を上げてぐっと両腕を伸ばして伸びをした。
地面の上に広げていた宝を無造作に箱に突っ込んで片付けて、それを馬車の座席の後ろに備え付けられている小さな足場のようなところに積んでロープで頑丈に結わえ付ける。
「んじゃ、出発すっか。全員馬車に乗れ。近くの街まで飛ばすからよ」
馬車に……って、こいつ、馬車の運転ができるのか?
馬車は馬に言うことを聞かせるのが難しいから素人が運転するのはまず無理だって何かの本で読んだことがあるのだが。
アヴネラがさも当たり前のように馬車に乗り込む。それにやや遅れて、フォルテも乗車する。ヴァイスは二人が乗った後に、子犬らしくぴょこんと空いている座席に飛び乗った。
リュウガは俺の目の前を横切りながら、肩を軽く叩いて小声でぼそっと囁いた。
「……で? 二時間の間にしっかりお楽しみになれたのかよ? おっさんは」
「っ!?」
思わず吹き出しそうになる俺。
リュウガは調子の外れた鼻歌を歌いながら、御者台へと移動する。
俺は小走りでその後を追い、彼の隣に腰を下ろした。
「あんっ……ちょっ、いきなり何を言って……」
「何だよ、照れるなって。どうせ違わねぇんだろ? しっかりと堪能してきたんだろ、顔にそう書いてあるぜ」
にやにやと下品な笑いを浮かべながら、リュウガは手綱を振るう。
彼の命令を受けた馬たちが、ゆっくりと走り出す。
人は見かけにはよらないものだ。彼に、こんな技能があったとは。
「おっさん、やった以上はきちんと男として責任取れよ? 来年には親父になってるかもしれねぇんだからよ」
「そっ……そんな考えなしじゃないぞ俺は! 出す時はちゃんと外に……」
「馬鹿、声がでけぇっての。後ろに聞こえるだろうが」
どきりとして思わず背後の窓を覗く俺。
フォルテたちは、のんびりと窓の外に目を向けて寛いでいる。俺たちの会話は、馬車の走る音に紛れて聞こえてはいないようだ。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
「ま、今のは軽い冗談だよ。あんたがあの女のことを大事に思ってるのは分かりきってることだしな。幾ら相手が薬のせいで変になっちまってるっつっても、だからって勢いに任せてぞんざいに扱うなんてことはしねぇだろうし。……だから二時間もかかったんだろ? あんたたちがあそこから出てくるまで」
「…………」
──いざ、その時が来た時。フォルテは初めてだからと言って泣いていた。
ならやめるかと訊いたら、彼女はやめないでほしいと懸命に訴えた。
だから、俺は、可能な限り時間をかけてゆっくりと彼女に触れた。
怖くないように、辛くないように、精一杯優しく彼女を抱き締めたのだ。
どんな理由があれど、きっかけが何であれど、俺が彼女にとっての初めての男になるという事実には変わりがないのだから……
男として、彼女を泣かせるようなことだけはすまいと、俺は思ったのだ。
「あんたは、それでいいと思うぜ。おっさん。せいぜいてめぇらしい方法で、あいつを笑顔にしてやりな。それが本当の男ってもんさ」
頑張れよ、と言って、リュウガは笑いながら前を向く。
俺らしく、か……
俺は深く頷いて、まっすぐに前を見つめたのだった。
「ああ、努力するよ」
馬車というものは、徒歩よりもずっと早く移動できる乗り物らしい。
馬車にはあまり早く走る印象というものがなかったから、意外だ。
途中途中馬を休ませながら、ひたすら南東に進むこと丸二日。
遂に俺たちは、巨大な森の傍にある街へと到着した。
アバンディラの街。
領境付近にある、言わば俺たちにとっては人間領最後の街となる人の集落。その姿は、何処か南国のリゾート地を彷彿とさせる自然に溢れた形をしていた。
建物に使われている素材は全て木材。屋根は藁とも何かの葉っぱともつかない不思議な植物を束ねて作られている。日本家屋でお馴染みの茅葺屋根にちょっとだけ雰囲気が似ているな。
通りに屋根のない出店のようなものが並んでおり、そこではこの街の名産品なのだろうか、如何にも南国ものっぽい果物が色々と売られていた。近くを通るとほんのりと甘い香りが馬車の中に漂ってきて、つい腹の虫が鳴ってしまった。
「自然豊かな雰囲気の街ね」
外の様子を窓から眺めながら、フォルテが気持ち良さそうに外から吹き込んでくる風を浴びている。
その一方で、アヴネラが険しい表情をしながら通りに並ぶ家々を睨み付けていた。
「……酷い……」
「?」
その呟きの意味が分からず、俺は小首を傾げた。
「酷い? 何が……」
「樹人だ! また奴らが出たぁ!」
通りの向こうから、切羽詰った男の叫び声が聞こえてきた。
トレント……って、確か人間みたいに動いたり喋ったりする樹木のことだよな。ファンタジー小説なんかで時々名前を見かけることがある。
小説では魔物として扱われていることが多い存在だが、この世界には魔物は基本的に存在しない。魔物ではないとすると、そいつの扱いは一体……?
「……何か、ただ事じゃなさげな雰囲気だな」
リュウガがそう呟き、おもむろに手綱を大きく振るった。
彼の命令を受けて馬たちが走り出す。街中であるにも拘らず派手に速度を上げた馬車は、騒ぎの出所を目指して一直線に進んでいった。
冷静になった途端、彼女は顔が真っ赤になっていた。俺の顔もまともに見れない始末で、始終あわあわと何かを言いたそうな表情をしながら固まっていた。
俺はそれを、全部薬のせいで見ていた悪い夢だから気にするなと言い聞かせて落ち着かせた。
実際、普通ではなかったと思う。彼女も、……俺も。
ひょっとして俺のことが嫌いになったかと、そのようなことを懸念したりもしたが──幸いなのかどうかは分からないが、彼女は俺に「助けてくれてありがとう」と言っただけで、俺を避けるような素振りは一切見せなかった。
……これで一応は事が解決したことになるのだろうが、果たして俺が取った行動は正しかったのだろうか。
間違ってはいないはずだと、思いたい。
俺は身なりを整えたフォルテを連れて、建物を脱出した。
建物から少し離れた場所に停車している馬車。その脇で、リュウガたちは俺たちが建物から出てくるのを待ってくれていた。
リュウガが持ち出した箱。その中から取り出した宝の数々を地面の上に広げて、即席の鑑賞会のようなノリでそれらを弄り回していた。
「ほっ、こいつは五月雨剣テンペストじゃねぇか。随分と値打ちもんが出てきたもんだなぁ、おい。こいつだけで一千万ルノは下らねぇぜ。豪遊しなけりゃ一生遊んで暮らせるな」
「人間ってほんと金銀財宝が好きだよね。あんな丸い金貨なんかの一体何処がいいのさ。ボクには理解し難いよ」
「馬鹿か、人間がこの世界で生きていくためには金が必要不可欠なんだよ。金を欲しがるのは当たり前だろうが」
「……すまん。待たせたな」
「……おう、今頃戻ってきたのかよおっさん。二時間近くも待たせやがって」
俺が声を掛けると、リュウガは顔を上げてぐっと両腕を伸ばして伸びをした。
地面の上に広げていた宝を無造作に箱に突っ込んで片付けて、それを馬車の座席の後ろに備え付けられている小さな足場のようなところに積んでロープで頑丈に結わえ付ける。
「んじゃ、出発すっか。全員馬車に乗れ。近くの街まで飛ばすからよ」
馬車に……って、こいつ、馬車の運転ができるのか?
馬車は馬に言うことを聞かせるのが難しいから素人が運転するのはまず無理だって何かの本で読んだことがあるのだが。
アヴネラがさも当たり前のように馬車に乗り込む。それにやや遅れて、フォルテも乗車する。ヴァイスは二人が乗った後に、子犬らしくぴょこんと空いている座席に飛び乗った。
リュウガは俺の目の前を横切りながら、肩を軽く叩いて小声でぼそっと囁いた。
「……で? 二時間の間にしっかりお楽しみになれたのかよ? おっさんは」
「っ!?」
思わず吹き出しそうになる俺。
リュウガは調子の外れた鼻歌を歌いながら、御者台へと移動する。
俺は小走りでその後を追い、彼の隣に腰を下ろした。
「あんっ……ちょっ、いきなり何を言って……」
「何だよ、照れるなって。どうせ違わねぇんだろ? しっかりと堪能してきたんだろ、顔にそう書いてあるぜ」
にやにやと下品な笑いを浮かべながら、リュウガは手綱を振るう。
彼の命令を受けた馬たちが、ゆっくりと走り出す。
人は見かけにはよらないものだ。彼に、こんな技能があったとは。
「おっさん、やった以上はきちんと男として責任取れよ? 来年には親父になってるかもしれねぇんだからよ」
「そっ……そんな考えなしじゃないぞ俺は! 出す時はちゃんと外に……」
「馬鹿、声がでけぇっての。後ろに聞こえるだろうが」
どきりとして思わず背後の窓を覗く俺。
フォルテたちは、のんびりと窓の外に目を向けて寛いでいる。俺たちの会話は、馬車の走る音に紛れて聞こえてはいないようだ。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
「ま、今のは軽い冗談だよ。あんたがあの女のことを大事に思ってるのは分かりきってることだしな。幾ら相手が薬のせいで変になっちまってるっつっても、だからって勢いに任せてぞんざいに扱うなんてことはしねぇだろうし。……だから二時間もかかったんだろ? あんたたちがあそこから出てくるまで」
「…………」
──いざ、その時が来た時。フォルテは初めてだからと言って泣いていた。
ならやめるかと訊いたら、彼女はやめないでほしいと懸命に訴えた。
だから、俺は、可能な限り時間をかけてゆっくりと彼女に触れた。
怖くないように、辛くないように、精一杯優しく彼女を抱き締めたのだ。
どんな理由があれど、きっかけが何であれど、俺が彼女にとっての初めての男になるという事実には変わりがないのだから……
男として、彼女を泣かせるようなことだけはすまいと、俺は思ったのだ。
「あんたは、それでいいと思うぜ。おっさん。せいぜいてめぇらしい方法で、あいつを笑顔にしてやりな。それが本当の男ってもんさ」
頑張れよ、と言って、リュウガは笑いながら前を向く。
俺らしく、か……
俺は深く頷いて、まっすぐに前を見つめたのだった。
「ああ、努力するよ」
馬車というものは、徒歩よりもずっと早く移動できる乗り物らしい。
馬車にはあまり早く走る印象というものがなかったから、意外だ。
途中途中馬を休ませながら、ひたすら南東に進むこと丸二日。
遂に俺たちは、巨大な森の傍にある街へと到着した。
アバンディラの街。
領境付近にある、言わば俺たちにとっては人間領最後の街となる人の集落。その姿は、何処か南国のリゾート地を彷彿とさせる自然に溢れた形をしていた。
建物に使われている素材は全て木材。屋根は藁とも何かの葉っぱともつかない不思議な植物を束ねて作られている。日本家屋でお馴染みの茅葺屋根にちょっとだけ雰囲気が似ているな。
通りに屋根のない出店のようなものが並んでおり、そこではこの街の名産品なのだろうか、如何にも南国ものっぽい果物が色々と売られていた。近くを通るとほんのりと甘い香りが馬車の中に漂ってきて、つい腹の虫が鳴ってしまった。
「自然豊かな雰囲気の街ね」
外の様子を窓から眺めながら、フォルテが気持ち良さそうに外から吹き込んでくる風を浴びている。
その一方で、アヴネラが険しい表情をしながら通りに並ぶ家々を睨み付けていた。
「……酷い……」
「?」
その呟きの意味が分からず、俺は小首を傾げた。
「酷い? 何が……」
「樹人だ! また奴らが出たぁ!」
通りの向こうから、切羽詰った男の叫び声が聞こえてきた。
トレント……って、確か人間みたいに動いたり喋ったりする樹木のことだよな。ファンタジー小説なんかで時々名前を見かけることがある。
小説では魔物として扱われていることが多い存在だが、この世界には魔物は基本的に存在しない。魔物ではないとすると、そいつの扱いは一体……?
「……何か、ただ事じゃなさげな雰囲気だな」
リュウガがそう呟き、おもむろに手綱を大きく振るった。
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