三十路の魔法使い

高柳神羅

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第75話 絶望と怨嗟が導く邂逅

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 ユーリルが両手の一振りで生み出した赤い礫が、舞台上の選手たちの頭上に容赦なく降り注ぐ。
 金平糖のような形をした礫は選手たちの体に直撃し、ぐしゃっと嫌な音を立てた。見た目以上に硬度がある物体が高速で体にぶつかったことによって、肉を潰して骨を砕いたのだ。
 全身を血に染めて痛みにのた打ち回る選手たち。骨が砕けた手は、もう武器を握ることはできそうにない。
 舞台上に立っているのは、俺とユーリルの二人だけとなった。
「ようやく、静かになりましたね」
 静かに腕を下ろして、ユーリルが言う。その顔は相変わらず柔らかな微笑みを貼り付けている。
 彼が此処に選手として立っているということは、俺のことも邪魔者のはず。それを敢えて今の一撃で狙うようなことをしなかったのは、俺たちが仲間同士だからか?
 ……いや。今はそんな詮索をしている場合ではない。
 魔帝の転移魔法に巻き込まれて連れ去られてしまった彼が、何故こんな場所でこんな大会に出場しているんだ?
「……無事、だったんだな」
「ええ、おかげさまで」
 話しかけると、彼は普通に答えてくれた。
「この通り、元気ですよ。心配されるようなことは何ひとつとしてありません。……まあ、貴方からしたら役立たずが一人傍からいなくなった、程度のことにしか考えていなかったかもしれませんが」
「馬鹿、心配だったに決まってるだろ。ひょっとしたら魔帝に殺されてるんじゃないかって気が気じゃなかったんだからな」
 妙にトゲのある言い方に、俺は眉間に皺を寄せた。
 何か……以前と違う。漠然としてはいたが、そんな風に俺は思った。
 まあ、彼とて感情がある人だ。何かしらの経験によって振る舞い方が変わるといったことがあっても、それは別段特別なことではない。
 今は、純粋に嬉しかった。彼が無事に生きていてくれたのだから。
「とにかく……何もなかったなら良かった。ユーリル、あんたが戻ってきてくれて嬉しいよ」
「……そうして、貴方はいつも私を大切に扱って下さる。それは、無力な私を傍に置いて優越感に浸るためですか? 白々しい」
「……なん」
 いきなり言い放たれたその一言に、俺は絶句した。
 ユーリルの両目がすっと細まった。
「ハルさん。貴方は本物の魔法の天才です。ありとあらゆる魔法を使いこなすその才能で、貴方はいつも、私の前にいた。その背中を、私はいつも見せられていた。……その時の私の気持ちが、貴方にはお分かりですか?」
 彼の顔から、すっと表情が抜け落ちる。
 彼は目を見開くと、奥歯を噛み締めて、声を張り上げた。
「百年修行を重ねても力を手にできなかった私とは対照的に、ちょっと知識を得ただけで簡単にそれを力に変えてしまう貴方が! その才能が! 私には妬ましかったんですよ! 羨ましくて、妬ましくて、憎い! ええ、殺したいほどに、輝かしかった! どうしてその十分の一でも、その才能が私にはなかったのか! 悔しかったんですよ!」
「……!?」
 何を、言っているのだろう。彼は。
 あまりのショックに思考が停止した俺の頭は、彼の叫びを理解することを拒否していた。
「貴方の後ろを付いて歩くしかできなかった私に、居場所なんてなかった。私は厄介者だった……貴方も、心の何処かでは私のことをそのように思っていたのでしょう? 私には……力が、なかったから」
 つっと彼の頬を光るものが伝う。
 彼は、泣いていた。
「でも……あの御方は違いました。私の嘆きを心の底から理解して、私を必要として下さった。それだけじゃない、私に私だけの魔法の力を、居場所を与えて下さった。私は大切な家族の一員だと、そう仰って下さったんですよ」
 手にした大鎌を水平に構えるユーリル。
 大鎌は水がうねるように変形して、巨大なハンマーに変化した。
「私は、決意したのです……私に存在意義と生きる意味を与えて下さったあの御方のお傍にいると。この生涯を賭けてあの御方をお支えすると。それを壊そうとする存在があるのなら、例えそれが神であろうと私は戦います。あの御方から授かったこの力で。それが、今の私が背負う使命──」
 真紅のハンマーを片手に、ユーリルは俺との距離を詰めてくる。
 俺は、言葉を失ったまま、その場に立ち尽くしていた。
「──改めて、名乗っておきましょう。私の名はユーリル・アロングランデ」
 目の前に来たユーリルの右腕が、ハンマーを高々と振り上げる。

「魔帝ロクシュヴェルド様に永遠の忠誠を誓った下僕、魔血使いのユーリルです。以後、お見知りおきを」

 振り下ろされたハンマーが、俺の側頭部を殴りつける。
 脳を激しく揺さぶるその衝撃に、俺は為す術もなく崩れ落ち、舞台の上に仰向けに倒れた。
 起き上がらなければ……しかし俺の意思に反して、体には全く力が入らない。
 ひくひくと痙攣する俺の左腕に、容赦なくハンマーが叩き付けられる。
 めきっ、と破砕の音を立てて左腕がひしゃげた。唐突に脳を突き刺した激痛のショックに、俺は絶叫した。
「あがあああああッ!!」
「安心して下さい、ハルさん。貴方は此処では殺しません。……これで終わらせて気が済むほど、私の中にある怨嗟の炎は簡単に消えるようなものではない」
 再び緩慢に持ち上げられたハンマーが、再度勢い良く振り下ろされ、俺の右足を叩き潰す。膝の骨が粉々になったのが、痛みと共に伝わってきた感覚で分かった。
「私が今までに味わってきた絶望を、貴方にも味わわせてあげましょう。どんなに足掻いても這い上がることすら叶わなかった底の深い闇……それを知り、自分が如何に無力で非力な人間であるかを悟って下さい。その果てに壊れ、生ける屍となった時の貴方の顔を、私は見てみたい」
 ユーリルが左手を伸ばして俺の髪を掴む。
 俺は彼に髪を引っ張られたままずるずると舞台の上を引き摺られ、舞台の端へと連れて来られた。
 ユーリルは俺の顔を見下ろしてにこりと笑うと、言った。
「命があれば、またお会いすることもあるでしょう。その時まで……さようなら、ハルさん。狂おしいほどに憎らしい、私の憧れの人」
 全身に浮遊感が生まれる。
 舞台の端から投げ落とされた俺は、抵抗することもなく、水路に落ちた。
 冷たい水が体を包み込む。絶えず揺れるヴェールの向こう側で、様々な人の声が飛び交っているのが微かに聞こえる。
 それをとても遠くにあるもののように感じながら──俺は、意識を失った。
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