三十路の魔法使い

高柳神羅

文字の大きさ
上 下
62 / 164

第59話 雨の中の来訪者

しおりを挟む
 俺たちがファルティノン王国を発って四日が過ぎた。
 目的地であるエルフ領は、人間領の南東に広がっている森の中に隠されるように存在しているらしい。一国のみで構成されたとても小さな領地で、人間領のように幾つもの街や村なんかはないのだそうだ。
 昔は現在よりもずっと広い領地を治めており、集落もそれなりの数があったというが──人間が数を増やして領地を拡大したことが原因で、彼らが住む森の面積が減ってしまい、それに伴い種としての数が減ってしまったのだという。
 エルフは、森と共に生きる自然の民。森なくして生きることはできない。
 今や彼らは減少の一途を辿る、滅びゆく種族なのだ。
 当然、彼らエルフたちが自分たちの領地を侵蝕してきた人間に良い感情を持っているはずもなく。
 国に住むエルフたちの大半は、人間に対して排他的に接してくるという。
 ……それで、どうして情報が得られると思ったのだろう。ゼファルトは。
 まあ、俺たちには他に縋る指標がないのも事実だ。
 行ってみるしかない。一抹の望みを賭けて。

「……ちょっと早いけど、今日は此処までね」

 切り立った崖の傍。周囲を緑に囲まれて見通しが悪くなっている中偶然発見したのは、熊が寝床にしているような雰囲気の何もない洞穴だった。
 洞穴といっても、奥は浅く何処とも繋がっていない正真正銘の横穴である。天井はそれなりに高いが、横幅は狭い。広さにして十メートル四方くらいだろうか。壁などの様子からして、偶然できた天然の穴倉のようだ。
 それを見つけるなり、フォルテは歩くのをやめてそう言ったのだった。
「まだ明るいぞ? もう少し先に進めるんじゃないか?」
 木々の間から見える空を見上げて、俺は訝った。
 空には雲が掛かっており、白い。しかしまだまだ明るい。俺は正確な体内時計を持っているわけではないが、それでも今がまだ午後であることくらいは分かる。
 そんな俺の言葉にフォルテはううんと首を振って、言った。
「雨の匂いがするの。多分じきに雨が降ってくるわ。流石に雨が降ってる中外で寝たくはないもの」
「……そうなのか?」
 俺は辺りの匂いを嗅いでみるが、感じるのは土と草の匂いばかりだ。雨の匂いと言われても正直ぴんと来ない。
 でも、フォルテがそう言うのだから、多分そうなのだろう。こういう場合は日本人の俺の感覚よりも、この世界での暮らし方を知っている彼女の意見を信じた方がいい。
 俺も、雨の中に身を晒して寝たいとは思わない。偶然こういう雨宿りできる場所を発見できたのはラッキーだったのかもしれない。
「……それじゃあ、今日は此処で野宿するか。リュウガもそれでいいよな?」
「オレはあんたらに付いてくって決めてるし。別に構わねぇぜ」
 俺の言葉に、リュウガも特に異論はないようだった。
 早速俺たちは焚き火を熾すための薪になるものを周辺から大量に掻き集めてきて、洞穴の中に落ちている小石なんかを掃除して地面を綺麗にして、野宿の準備を整えた。
 フォルテの宣言通りに雨が降ってきたのは、それから幾分もせずしてのことだった。

 洞穴の中一杯に、甘い匂いが漂っている。
 焼き上がったホットケーキに蜂蜜を掛けて、フォルテへと出してやる。
「こんな場所で足止めだなんてついてないわね。雨さえ降ってこなかったら、もう少し先に行けたと思うんだけど」
 ホットケーキの載った皿を受け取りながら、フォルテは洞穴の外に目を向けた。
 外は、激しい雨が降っていた。落ちてくる雨粒がヴェールを作り出しており、洞穴の外の様子が全く見えない。まだ昼間なので辛うじて周辺の木々のシルエットが見えるが、日が沈めばすぐにそれらは見えなくなるだろう。
「ま、焦ってもしょうがねぇだろ。天気ばかりは人間の力じゃどうにもできねぇんだからよ。大人しく晴れるのを待とうぜ」
 ホットケーキを一杯に頬張った口をもごもごさせながらリュウガが言う。
 そうね、とフォルテは頷いた。
「まあ……焦って無理に動こうとして何かあっても逆に困るもんね」
「そういうこった」
 二人の会話を横で聞きながら、俺は次のホットケーキを焼き始める。
 横で大人しく寝そべっていたヴァイスが、くんくんと鼻をひくつかせて伏せていた顔を持ち上げた。
 その視線は、洞穴の外へと向けられている。
「……どうした、ヴァイス」
「……ウウウ」
 ヴァイスが立ち上がって唸り声を発し始めた。
 どうやら、洞穴の外に何かがあるのを察したようである。
 フォルテたちもヴァイスのただならぬ様子に気付いたようで、喋るのをやめて、揃ってヴァイスの方を見た。
「何?」

 ぱちゃん。

 水が跳ねる音が、雨の音に混じって聞こえてきた。
 一定のリズムを刻みながら、それは徐々に近付いてくる。
 それも──ひとつ二つではない。
 例えるならば、それは軍隊の行進のように大勢の人間が地面を踏み締めている足音だ。
 俺たちが注目している中、それは水のヴェールを掻き分けて目の前に姿を現した。
 端が擦り切れたぼろぼろの黒い外套を纏った、痩せ細った白い体。そこに肉はなく、昔学校の理科室で見た人体の骨格標本にマントを羽織らせたら丁度こんな感じになるだろうなと思える姿をしていた。外套の下に服は着ておらず、その代わりなのか首と右の足首にサイズが合っていないぶかぶかの鉄の輪っかを填めている。装飾品というよりは、囚人に付ける枷といった感じの代物だ。
 そいつは全身からぽたぽたと雨水を滴らせながら、かたかたと頭蓋骨を揺らした。並びの悪い歯がぶつかり合ってかちかちと音を立て、その音は何だか奴の笑いを表しているように感じられた。
「……し、死霊!? 嘘、何で!?」
 慌てて皿を置いて立ち上がるフォルテ。
「……アンデッド……死霊って、昼間でも出るものなのか?」
 俺の疑問に彼女は杖を構えながら、答える。
「ありえないわ! 死霊は太陽を嫌ってるから、昼間は出て来ないはずなのよ!」
「ま、今は雨が降ってるからな……ちょいと根性出せば活動できるんでねぇの? よく分かんねぇけど」
 頬張っていたホットケーキを飲み下し、空の皿を置いて立ち上がりながら背負っている剣の柄に手を掛けるリュウガ。
 その口元には、僅かながらに笑みが浮かんでいる。
「ま、何だっていいさ。せっかくおいでなすったんだから歓迎してやらねぇとな」
 確かに、リュウガの言う通りだ。何故昼間である今この骨が活動できているのかは分からないが、それを暢気に眺めている場合ではない。
 死霊には、高火力の火魔法か浄化魔法でなければ通用しないとフォルテが言っていた。おそらくリュウガやフォルテではこいつを完全に仕留めることはできない。
 この状況を何とかできるのは、俺だけなのだ。
 外からぞろぞろと姿を見せる、同じ格好をした骨たち──それらを見据えながら、俺は持っていたフライパンを静かに竈の火から下ろしたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

キャンピングカーで往く異世界徒然紀行

タジリユウ
ファンタジー
《第4回次世代ファンタジーカップ 面白スキル賞》 【書籍化!】 コツコツとお金を貯めて念願のキャンピングカーを手に入れた主人公。 早速キャンピングカーで初めてのキャンプをしたのだが、次の日目が覚めるとそこは異世界であった。 そしていつの間にかキャンピングカーにはナビゲーション機能、自動修復機能、燃料補給機能など様々な機能を拡張できるようになっていた。 道中で出会ったもふもふの魔物やちょっと残念なエルフを仲間に加えて、キャンピングカーで異世界をのんびりと旅したいのだが… ※旧題)チートなキャンピングカーで旅する異世界徒然紀行〜もふもふと愉快な仲間を添えて〜 ※カクヨム様でも投稿をしております

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生

野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。 普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。 そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。 そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。 そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。 うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。 いずれは王となるのも夢ではないかも!? ◇世界観的に命の価値は軽いです◇ カクヨムでも同タイトルで掲載しています。

魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます

ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう どんどん更新していきます。 ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

(完結)私の夫は死にました(全3話)

青空一夏
恋愛
夫が新しく始める事業の資金を借りに出かけた直後に行方不明となり、市井の治安が悪い裏通りで夫が乗っていた馬車が発見される。おびただしい血痕があり、盗賊に襲われたのだろうと判断された。1年後に失踪宣告がなされ死んだものと見なされたが、多数の債権者が押し寄せる。 私は莫大な借金を背負い、給料が高いガラス工房の仕事についた。それでも返し切れず夜中は定食屋で調理補助の仕事まで始める。半年後過労で倒れた私に従兄弟が手を差し伸べてくれた。 ところがある日、夫とそっくりな男を見かけてしまい・・・・・・ R15ざまぁ。因果応報。ゆるふわ設定ご都合主義です。全3話。お話しの長さに偏りがあるかもしれません。

【完結】真実の愛とやらに目覚めてしまった王太子のその後

綾森れん
恋愛
レオノーラ・ドゥランテ侯爵令嬢は夜会にて婚約者の王太子から、 「真実の愛に目覚めた」 と衝撃の告白をされる。 王太子の愛のお相手は男爵令嬢パミーナ。 婚約は破棄され、レオノーラは王太子の弟である公爵との婚約が決まる。 一方、今まで男爵令嬢としての教育しか受けていなかったパミーナには急遽、王妃教育がほどこされるが全く進まない。 文句ばかり言うわがままなパミーナに、王宮の人々は愛想を尽かす。 そんな中「真実の愛」で結ばれた王太子だけが愛する妃パミーナの面倒を見るが、それは不幸の始まりだった。 周囲の忠告を聞かず「真実の愛」とやらを貫いた王太子の末路とは?

処理中です...