三十路の魔法使い

高柳神羅

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第48話 竜の恩返し

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 竜は俺たちの目の前に物音ひとつ立てずに着地した。
 音も立てずに空を飛んでいたことも驚きだが、着地の時にも一切音を立てないとは……まるでこいつは本物に見える幻か何かなんじゃないかと思いたくなる。
 ファンタジー小説やゲームに登場する魔物の王様。まさにそのイメージをそのまま形にしたかのような王者の風格漂う出で立ち。体の大きさは頭の先から尻尾の先まで二十メートルくらいはあるだろう。頭には立派な二本の角が生えており、手の爪は人間の首など簡単に捻じ切れてしまいそうなほどに鋭い。まさに俺が知っている『竜』そのものだった。
 これが、大人の竜なのか……実際に目の前にするととんでもない迫力だ。
 普通は秘境に棲んでいて自分からは人前に姿を現さないと言われている生き物が何でこんな場所にいるのかは分からないが、何事にも絶対というものはない。時にはそういうことが起きても何ら不思議なことではない。
「あわわわわわわわ」
 とさ、とその場に座り込むユーリル。
 フォルテはいつの間にか俺の後ろに隠れていた。
 ヴァイスは唸りもせず、じっと竜を見つめている。この竜が自分たちになって敵なのかどうかを見定めているのだろう。
 リュウガはにやりとしながら左右の剣を抜いた。
「出やがったか。こいつはなかなか狩り甲斐がありそうだな」
 どうしてあんたはそう戦えることに対して嬉しそうなんだよ。
 日本では喧嘩ばかりしている不良だったから、暴れられるのが楽しいとでも言うつもりなのだろうか。
 学生時代も社畜時代も平穏な生活しか送ってこなかった俺には理解できそうにない。
 とにかく。竜は人間に対して敵対的だという話だ。此処で相対した以上、俺たちが無事でいられる保障はない。
 皆を守るために、戦うしかない。
 そう覚悟を決めて、俺は両手を竜に向けて突き出した。
 すると、それをじっと見つめていた竜が──真っ白な牙が生え揃った口を、開いた。

『待て……私はお前たちに危害を加えるつもりはない』

 それは、紛れもない人間の言葉だった。
 落ち着いた物腰の大人の女性を連想させる、控え目な声だ。某テレビ局のアナウンサーの声にちょっと似ている気がする。
 この竜、雌なのか……いや、いくら女の声をしているといってもこいつの性別がそうだと決まったわけじゃないよな。
 竜が突然人の言葉を発したからだろうか、皆一様に目を丸くしてぽかんと竜に視線を注いでいる。
 戦う気満々だったリュウガも、この展開は予想外だったらしく口をぱかっと開いていた。結構間の抜けた構図だ。
 とりあえず、向こうが俺たちをどうこうする気がないと言っているのなら、それを信用して対話してみようと思う。何でも話し合いをするのは重要だからな。
「……竜って、人間の言葉喋れるんだな……」
『私は八百年、この地で生きている。それだけの時を過ごしていれば、戯れに他の種の言語を覚えようという気になることもある』
 それって、要は片手間の暇潰しに覚えたってことなのか?
 竜って頭いいんだな……ひょっとしたら人間以上の知能を持ってるんじゃないか?
 そんな生き物と昔地上の覇権を巡って争っていたという人間も、なかなか凄い。
「竜って、普通は人前に出て来ないものだって聞いたぞ。何で俺たちの前に出てきたんだ? 争う気がないって、何でだ?」
『息子から話を聞いた。お前たちが、息子の命を救ってくれた恩人であると。……お前たちが竜だ人だと種族の括りで相手を見る愚か者でないのなら、言葉を交わす価値もあるだろう、そう思ったまでのこと』
 俺の問いに、竜は淡々と答えた。
 息子……この竜はあの子竜の母親か。
 あいつ、ちゃんと帰ることができたんだな。まさか俺たちのことを喋ってるとは思いもしなかったけど。
『お前たちは、何が目的でこの地に来た? まさか、私たちがこの森に隠れ住んでいることを知って、その平穏を脅かすために来たのではあるまいな』
「まさか。あんたみたいな竜が此処にいるなんてこれっぽっちも知らなかったよ。あんたの子供を見つけたのも偶然だ」
 竜が瞳孔をすっと細めて俺に注目する。
 俺は肩を竦めて微苦笑を零した。
「俺たちは東にある隣の国を目指して旅をしてる最中なんだ。此処を通ったのはたまたま此処が通り道になってたからで、それ以上の意味はない。平和に暮らしてるあんたたちを騒がせたのは悪かったと思ってるよ」
『……その言葉、偽りはなさそうだな』
 竜は呟いて何やら考え込むように両目を閉ざし、沈黙する。
 そして、再び目を開き、言った。
『……分かった。息子を救ってくれた礼に、私がお前たちをそこまで運んで行ってやろう』
「……へ?」
『此処からその場所へ行くには、人の足では途方もない日数を要することになる。だが私の翼を使えば、二日足らずで行くことができるだろう。無論強制はしないが、命短き人にとっては、時というものは場合によって命よりも重要視されるものだと聞く。決して悪い話ではないと思うが?』
 此処からファルティノン王国まで後どれくらいの距離があるのかは分からないが、何日かそこらで行けるような場所でないことくらいは地理に疎い俺でも流石に想像が付く。
 旅の最中に何かしら危険な目に遭う可能性だって十分にある。まあ多少のことが起きたところで何とでもなるだろうが、そんな目には最初から遭わないに越したことはない。
 地上で起こりうる危険を回避できて、なおかつ旅にかかる時間を短縮できるというのなら──この申し出は、俺たちにとっては悪いものではない。
「本当に、いいのか?」
『ただし、街の近くまでだ。あまり街に近付きすぎると私の身が危うくなるのでな。幾らお前たちに私と争う気がないといっても、他の人間はそうではないからな……』
 確かに、他の人間がこの竜を見たら騒ぎになるだろう。血気盛んな奴は俺がそいつを狩ってやるとか言い出すかもしれない。
 そうなってしまったら騒ぎを鎮めるのは俺たちではまず無理そうだし……それだったら、最初からこっそりと表沙汰にならないように事を運んだ方がいい。
 俺は頷いた。
「分かったよ、それで十分だ。ありがとな。あんた……えっと」
 言いかけて、俺はふと気付いた。俺がこの竜に肝心なことを訊き忘れていたということに。
「そういえば、あんたって名前とかあるのか? 何て呼べばいいんだ?」
『名など、どうでも良いだろう……私はお前たちの道連れになったわけではないのだ。必要以上に馴れ合う必要はない』
 ふいっと横を向く竜。しかしそれでも、俺の問いにはちゃんと答えてくれた。
『……アルマヴェイラだ。人の言葉で発音すると、そうなる』
「分かった。それじゃあ、これから二日間、宜しくな。アルマヴェイラ」

 俺たちを背中に乗せたアルマヴェイラは、ゆっくりと羽ばたいて地上を離れ始めた。
 生まれて初めて竜の背中に乗ったけど、馬とは全然違う乗り心地だ。固いと思っていた鱗で覆われている皮膚には適度な弾力があって、大きい分安定感もある。よほど下手に動き回らない限りは転げ落ちるといったこともないだろう。
 竜は人間を敵視しているというのが一般的なイメージだから、俺が竜に乗ったなんて話を人にしても信じてはもらえないだろうな。
 これぞ、ファンタジー世界の旅って感じがするよ。俺は日本で色々な現実を味わってちょっと枯れた大人になったつもりだったけど、こういう体験をしている時は何だか夢を見る少年時代に戻った気分になる。
 何て、素晴らしいんだろう。この人生は。
 俺は眼下に流れる景色を眺めながら、一人にやにやと笑いを浮かべて今自分が感じているささやかな幸福感を噛み締めたのだった。
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