三十路の魔法使い

高柳神羅

文字の大きさ
上 下
41 / 164

第39話 ツウェンドゥス流のけじめ

しおりを挟む
 ぎぃ、と軋んだ音を立てて粗末な造りの扉が開く。
 小さな部屋の中で身を小さくして座っていたその少女は、その音に反応して扉の方を向き、部屋の中に入ってきた外套姿の人物を出迎えた。
「お帰り、セイルお兄ちゃん」
「帰ったよ、ルゥ」
 セイルは頭から被っていた汚れた外套をばさりと脱いだ。
 ぼろぼろの麻の服に身を包んだ痩せた体が露わになる。長年の仕事で付いた傷だろうか、荒れた肌をした両腕の中には、一冊の黒くて分厚い書物がある。
 見るからに高そうなその品物の存在に、ルゥと呼ばれた少女は空色の瞳を瞬かせた。
「それ、なぁに?」
「これか? これは──」
 セイルは書物のページをぱらぱらと捲った。
「魔法書さ。旅の魔道士が大事そうに持ってたんだ、きっと貴重な魔法書に決まってる」
 ぱたん、と書物の表紙を閉じて、そこに描かれている魔法陣を掌でぽんと叩いて。
 力の篭もった眼差しをして、言った。
「俺はこれを使って一流の魔道士になる。強力な魔法をたくさん覚えて、それを使って魔帝を倒すんだ。世の中の大人が誰一人としてできなかったことをやり遂げて、みんなが金に困らないで暮らしていけるような平和な世の中を作る」
「お兄ちゃん……旅の人から盗んだの? 盗むのは悪いことだよ……その旅人さん、今頃お兄ちゃんのこと必死になって探してるんじゃないかなぁ……見つかったら、怒られちゃうよ」
 ルゥの言葉に、セイルはふんと鼻を鳴らした。
「盗まれる方が悪いんだよ。この世は弱肉強食、強い奴が弱い奴を食い物にして生きている、そういう世界なんだ。だったら奪ったものをどうしようが奪った奴の自由ってやつだ、違うか?」
「へぇ、そいつはまた結構な御高説で」
「!」
 唐突に割り込んできた声に、はっとして振り向くセイル。
 彼が目を向けた先には──扉の前に立ち塞がるようにして佇んでいる俺たちの姿があった。
 リュウガは腕を組んでセイルをじっと見つめながら、まるで威圧するように言った。
「まぁ、お前が言ってることはあながち間違ってもいねぇ。この世は弱肉強食、強い奴が弱い奴を踏み台にして生きてる、それが成り立ってる世界だからな」
「あんたたち……どうして、盗んだのが俺だって分かったんだよ」
「さあてね? 冒険者は探し物のプロだからな、色々な手段を持ってんだよ。どうやって探し当てたかはてめぇで勝手に想像するんだな」
 にやり、と口の端を上げながら、セイルに一歩近付く。
 セイルは咄嗟にルゥの前に立ち、俺たちの視界からその姿を隠した。彼なりに、妹を庇おうとしているようだ。
「さて、お前が持ってるその本、返してもらおうか。大人しく返せば憲兵に突き出すのは勘弁してやる」
「お兄ちゃん……」
 ルゥが兄を説得しようと呼びかけている。
 しかしセイルは大事そうに両腕で魔道大全集を抱き締めて、かぶりを振った。
「嫌だ、これは絶対に返さない。俺はこれを使って魔帝を倒す魔道士になるって決めたんだ。俺の決意を折ろうったってそうはいくか!」
「……そうかよ」
 リュウガの両目がすっと細まる。
 彼は左の腰に差している剣をすらりと抜き放った。
 俺はぎょっとして、リュウガを見つめた。
「お、おい。何をする気だ」
「決まってんだろ。言って分からねぇんなら直接体に分からせるまでだ。聞き訳の悪いガキにゃこうすんのが一番なんだよ」
「相手はただの子供なんだぞ! それを斬るつもりか!」
「うっせえな、甘い説教で何でも解決するって思ってる甘っちょろいおっさんは引っ込んでな! これがこの世界でのけじめの付け方なんだよ!」
 ぎろり、とリュウガの目が俺を睨みつける。
 その目は、普段の気さくな若者のものではない──これまでに何人もの敵対者たちを沈黙させてきた、不良としてのものであった。
 俺は思わず息を飲んだ。まるで蛇に睨まれた蛙になったような気分だった。
 言葉が、出なかった。
 リュウガはゆっくりとセイルとの距離を詰めていく。
「オレたちから物を盗んだ責任、きっちりと取ってもらうぜ。この世界は弱肉強食だって言うんなら……強者のオレが弱者のお前をどうしようがオレの自由、お前がオレに此処で殺されても、お前は納得してそれを受け入れるってことだよなぁ?」
「く……来るな! 来たらこの本を破くぞ!」
「ああ、やれるもんならやってみやがれ。その前に……オレがその手を切り落としてやるよ!」
 魔道大全集の表紙を引っ掴むセイルの右腕に、白銀の煌めきが走る。
 ばっ、と血がしぶいて床に散った。
 リュウガが振るった剣が、セイルの右腕を切り裂いたのだ。
「ああああああああッ!」
 斬られた右腕を押さえて悲鳴を上げるセイル。
 彼の手から魔道大全集が零れて、ごどんと音を立てて床の上に落ちた。
 ルゥが泣きそうな顔をしてセイルの左腕に縋り付いた。
「お兄ちゃん! 今すぐ謝って盗んだ本をこの人たちに返してあげて! 殺されちゃうよ!」
 次に彼女は俺たちの方に顔を向けて、必死に訴えた。
「旅人さん、ごめんなさい! 盗んだ本は返すから! お兄ちゃんを殺さないで! お願い!」
「離れてろっ……ルゥ」
 痛みに息を荒げながら、それでも懸命にルゥを後方に隠してセイルが言う。
 彼はリュウガの顔を見つめて、言った。
「これは、俺が一人でやったことだ。妹は何の関係もない……俺は殺されてもいい、その代わりルゥには……妹には絶対に手を出すな! 分かったか!」
「……よく言った」
 リュウガは笑って、剣を突きの形に構えた。
「動くんじゃねぇぞ」
「……!」
 ぐっと息を飲んで瞼をきつく閉ざすセイル。
「お兄ちゃん!」
 辺りに響き渡るルゥの叫び。
 その声に引き寄せられるかのように、閉ざされていた扉が開け放たれる。
 外で待っていたフォルテとユーリルが室内に駆け込んでくるのと、リュウガがセイルの額の中心を狙って剣を繰り出したのは同時だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生したら捨てられたが、拾われて楽しく生きています。

トロ猫
ファンタジー
2024.7月下旬5巻刊行予定 2024.6月下旬コミックス1巻刊行 2024.1月下旬4巻刊行 2023.12.19 コミカライズ連載スタート 2023.9月下旬三巻刊行 2023.3月30日二巻刊行 2022.11月30日一巻刊行 寺崎美里亜は転生するが、5ヶ月で教会の前に捨てられる。 しかも誰も通らないところに。 あー詰んだ と思っていたら後に宿屋を営む夫婦に拾われ大好きなお菓子や食べ物のために奮闘する話。 コメント欄を解放しました。 誤字脱字のコメントも受け付けておりますが、必要箇所の修正後コメントは非表示とさせていただきます。また、ストーリーや今後の展開に迫る質問等は返信を控えさせていただきます。 書籍の誤字脱字につきましては近況ボードの『書籍の誤字脱字はここに』にてお願いいたします。 出版社との規約に触れる質問等も基本お答えできない内容が多いですので、ノーコメントまたは非表示にさせていただきます。 よろしくお願いいたします。

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

間違い転生!!〜神様の加護をたくさん貰っても それでものんびり自由に生きたい〜

舞桜
ファンタジー
 初めまして!私の名前は 沙樹崎 咲子 35歳 自営業 独身です‼︎よろしくお願いします‼︎  って、何故こんなにハイテンションかと言うとただ今絶賛大パニック中だからです!  何故こうなった…  突然 神様の手違いにより死亡扱いになってしまったオタクアラサー女子、 手違いのお詫びにと色々な加護とチートスキルを貰って異世界に転生することに、 だが転生した先でまたもや神様の手違いが‼︎  転生したオタクアラサー女子は意外と物知りで有能?  そして死亡する原因には不可解な点が…  様々な思惑と神様達のやらかしで異世界ライフを楽しく過ごす主人公、 目指すは“のんびり自由な冒険者ライフ‼︎“  そんな主人公は無自覚に色々やらかすお茶目さん♪ *神様達は間違いをちょいちょいやらかします。これから咲子はどうなるのかのんびりできるといいね!(希望的観測っw) *投稿周期は基本的には不定期です、3日に1度を目安にやりたいと思いますので生暖かく見守って下さい *この作品は“小説家になろう“にも掲載しています

レベル1の最強転生者 ~勇者パーティーを追放された錬金鍛冶師は、スキルで武器が作り放題なので、盾使いの竜姫と最強の無双神器を作ることにした~

サイダーボウイ
ファンタジー
「魔物もろくに倒せない生産職のゴミ屑が! 無様にこのダンジョンで野垂れ死ねや! ヒャッハハ!」 勇者にそう吐き捨てられたエルハルトはダンジョンの最下層で置き去りにされてしまう。 エルハルトは錬金鍛冶師だ。 この世界での生産職は一切レベルが上がらないため、エルハルトはパーティーのメンバーから長い間不遇な扱いを受けてきた。 だが、彼らは知らなかった。 エルハルトが前世では魔王を最速で倒した最強の転生者であるということを。 女神のたっての願いによりエルハルトはこの世界に転生してやって来たのだ。 その目的は一つ。 現地の勇者が魔王を倒せるように手助けをすること。 もちろん勇者はこのことに気付いていない。 エルハルトはこれまであえて実力を隠し、影で彼らに恩恵を与えていたのである。 そんなことも知らない勇者一行は、エルハルトを追放したことにより、これまで当たり前にできていたことができなくなってしまう。 やがてパーティーは分裂し、勇者は徐々に落ちぶれていくことに。 一方のエルハルトはというと、さくっとダンジョンを脱出した後で盾使いの竜姫と出会う。 「マスター。ようやくお逢いすることができました」  800年間自分を待ち続けていたという竜姫と主従契約を結んだエルハルトは、勇者がちゃんと魔王を倒せるようにと最強の神器作りを目指すことになる。 これは、自分を追放した勇者のために善意で行動を続けていくうちに、先々で出会うヒロインたちから好かれまくり、いつの間にか評価と名声を得てしまう最強転生者の物語である。

番を辞めますさようなら

京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら… 愛されなかった番 すれ違いエンド ざまぁ ゆるゆる設定

【完結】誕生日に花束を抱えた貴方が私にプレゼントしてくれたのは婚約解消届でした。

山葵
恋愛
誕生日パーティーの会場に現れた婚約者のレオナルド様は、大きな花束を抱えていた。 会場に居る人達は、レオナルド様が皆の前で婚約者であるカトリーヌにプレゼントするのだと思っていた。

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

私があなたを好きだったころ

豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」 ※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。

処理中です...