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第13話 忠実なる魔帝の下僕
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その女は、一見すると王族か貴族の令嬢に見えた。
縦にロールした銀の髪。首や指を飾る見事な細工の貴金属。漆黒のドレスは、よく見ると黒い艶のある糸で薔薇模様の刺繍が施されている。この世界では基本的に柄物の服は高級品らしいから、服装にかなり金をかけていることが伺える。
スタールビーのような色鮮やかな真紅の双眸を大きく見開いて、彼女は俺たちのことをじっと見つめている。
その視線は、俺たちの中にあるものを見透かそうとしているような──奇妙な雰囲気を抱いていた。
「……誰、貴女」
俺の腕に縋り付きながら、フォルテが女に疑心の目を向ける。
女は特に気分を害した様子もなく笑うと、スカートをついと摘まんで持ち上げて軽く会釈をした。
「私はジークリンデ。魔帝ロクシュヴェルド様の忠実な下僕にしてラルガが誇る宮廷魔道士の一人」
「!……」
魔帝、の単語に俺たちの表情は険しくなった。
世界征服を目論み世界各国に戦を仕掛けている存在。その下僕と公言する人物が俺たちに友好的なはずがない。そう思ったからだ。
身構える俺たちを見て、ジークリンデはにこりと笑う。
「そんなに警戒しなくても……私は貴方たちを撃ったりしないわ。今回は、ただの挨拶。礼節に欠けた態度を取ったら我が主に叱られてしまうもの」
彼女はこちらに向かってゆっくりと歩を進めながら、辺りに散らばる虚無の残骸を見回した。
「私は、貴方がこの子と争う様子をずっと見ていたけれど……対価を必要とせずに最高峰の破壊魔法であるアルテマを操るその才能は、非凡だと感じたわ」
俺たちの目の前まで来て立ち止まり、俺の顔をじっと見つめて、うっとりと言う。
「是非とも、欲しい。貴方のその力。ラルガを栄光へと導く標として」
ラルガが一体何なのかは分からなかったが、ジークリンデの言っていることは何となく分かった。
彼女は、俺を魔帝の仲間に引き込もうとしているのだ。俺の持つ無尽蔵に魔法を使える力があれば、世界征服がより円滑に進む、そう思っているのだろう。
言わずもがな、俺には彼女の要求を呑むつもりは全くない。
俺は、勇者になる気はないが、かといって悪事に手を染める気もない。
ただ、この世界を気楽に旅して、色々なことを楽しんで、笑いながら暮らしていきたいだけなのだ。
それを邪魔すると言うのなら、全力で抵抗させてもらう。
俺は一歩身を引いて、厳しい面持ちでジークリンデを睨み付けた。
「……俺は、魔帝の仲間になる気はない。最強の魔法使いの肩書きなんてくそくらえだ」
右の掌を彼女に向けて、きっぱりと言い放つ。
「帰って魔帝に報告するんだな。俺は売られた喧嘩はいつでも買う。目の前に現れたら、その時は容赦なく叩きのめしてやるってな」
「……残念ね」
俺の威嚇にも全く動じず。ジークリンデは肩を竦めて笑うと、左のこめかみの辺りに手を触れた。
そこから取り出した銀色の小さな何かを指で摘まんで、無造作に中指の腹を押し当てる。
ぷつっ、と指の腹が裂けて、血の玉が滲み出てきた。それを俺たちの方に見せながら、彼女は言った。
「……でも、人の心は移ろいやすきもの……もしも貴方が考え抜いた末に我が主の下に来ると決断したその時は、快く迎え入れることを約束しましょう。一時の感情に流されて大切なものを見失うのは愚かだと、ささやかながら助言をさせて頂くわ」
血の玉が、不自然に大きく盛り上がり、広がっていく。
まるで意思を持った生き物のようにするすると伸びていき、ひとつの形を虚空に描き出した。
それは──複雑な形をした人の体ほどの大きさがある魔法陣だった。
「それでは……御機嫌よう」
魔法陣に手を触れるジークリンデ。
魔法陣が緑と黒が混ざり合った暗い色の光を生み出す。その光に彼女の全身は包まれて──
渦に飲み込まれるように、彼女の姿は消えた。光が消滅すると同時に魔法陣も力を失い、ぱしゃんと水飛沫が飛び散るように弾けて形を失った。
俺はそれを見つめながらふーっと深く息を吐き。
ぎぎぎっとぎこちない動作で俺の腕に縋り付いたままのフォルテの方に向いて、呟いた。
「……大丈夫かな……思いっきり喧嘩売っちゃったけど」
「え……魔帝をやっつける自信があるから言ったんじゃなかったの?」
「いや……まあ……その」
ぽかんとするフォルテに曖昧な返事を返す俺。
俺は……いつかは魔帝と戦うつもりではいるが、今はまだ矢面に立つ気はない。
虚無を退治したり魔帝と対立している人々に協力を求められたら裏方に回って支えるくらいのことはするつもりではいるが、俺自身が魔帝と戦うような真似はしないつもりだ。
一度戦い始めたら、そこからずるずると事が長引いて他のことが全然できなくなっちゃうからな。
俺はまだ、ただの魔法使いとしてこの世界での暮らしを満喫していたい。
薄情だ、臆病者、と言うなかれ。俺は大それた名声を得るよりも、何でもない平穏な日常を過ごすことの方が何倍も大事なのである。
「……まあ、魔帝も目の前の世界征服で忙しいだろうからな。俺みたいな小物の言うことなんて気に掛けないだろ。うん」
俺は自分に言い聞かせるように大きな声でそう言って、頷いた。
……そう思わなきゃ、やってられないよ。
無意味に胸を張る俺を、フォルテは相変わらずぽかんとした顔のまま見つめていた。
何はともあれ。無事に虚無を討伐して討伐の証もちゃんと手に入れたので、俺たちは街に引き返した。
冒険者ギルドに討伐の証である赤い石を提出し、仕事達成の報酬として二千ルノを手に入れた。
あんなに馬鹿でかい虚無を倒したことを考えたら微妙に安いような気がしないでもないが、それでも俺にとっては結構な大金だ。これで当分の間は生活するのに困らないだろう。
冒険者ギルドで仕事を請け負う時の要領も何となく分かったし、これからもこの世界で暮らす旅人として普通にやっていけそうだ。
──さあ、旅を続けよう。此処はただの通過点であり、俺たちが目指す場所はまだまだ先にあるのだから。
俺は貰った報酬を鞄の中にしまって、その日のうちにリッカの街を旅立った。
あの山道を越えた先にどんな景色が広がっているのか……興味の種は、まだまだ尽きない。
幾つになっても、わくわくする心というものはなくならないものである。
縦にロールした銀の髪。首や指を飾る見事な細工の貴金属。漆黒のドレスは、よく見ると黒い艶のある糸で薔薇模様の刺繍が施されている。この世界では基本的に柄物の服は高級品らしいから、服装にかなり金をかけていることが伺える。
スタールビーのような色鮮やかな真紅の双眸を大きく見開いて、彼女は俺たちのことをじっと見つめている。
その視線は、俺たちの中にあるものを見透かそうとしているような──奇妙な雰囲気を抱いていた。
「……誰、貴女」
俺の腕に縋り付きながら、フォルテが女に疑心の目を向ける。
女は特に気分を害した様子もなく笑うと、スカートをついと摘まんで持ち上げて軽く会釈をした。
「私はジークリンデ。魔帝ロクシュヴェルド様の忠実な下僕にしてラルガが誇る宮廷魔道士の一人」
「!……」
魔帝、の単語に俺たちの表情は険しくなった。
世界征服を目論み世界各国に戦を仕掛けている存在。その下僕と公言する人物が俺たちに友好的なはずがない。そう思ったからだ。
身構える俺たちを見て、ジークリンデはにこりと笑う。
「そんなに警戒しなくても……私は貴方たちを撃ったりしないわ。今回は、ただの挨拶。礼節に欠けた態度を取ったら我が主に叱られてしまうもの」
彼女はこちらに向かってゆっくりと歩を進めながら、辺りに散らばる虚無の残骸を見回した。
「私は、貴方がこの子と争う様子をずっと見ていたけれど……対価を必要とせずに最高峰の破壊魔法であるアルテマを操るその才能は、非凡だと感じたわ」
俺たちの目の前まで来て立ち止まり、俺の顔をじっと見つめて、うっとりと言う。
「是非とも、欲しい。貴方のその力。ラルガを栄光へと導く標として」
ラルガが一体何なのかは分からなかったが、ジークリンデの言っていることは何となく分かった。
彼女は、俺を魔帝の仲間に引き込もうとしているのだ。俺の持つ無尽蔵に魔法を使える力があれば、世界征服がより円滑に進む、そう思っているのだろう。
言わずもがな、俺には彼女の要求を呑むつもりは全くない。
俺は、勇者になる気はないが、かといって悪事に手を染める気もない。
ただ、この世界を気楽に旅して、色々なことを楽しんで、笑いながら暮らしていきたいだけなのだ。
それを邪魔すると言うのなら、全力で抵抗させてもらう。
俺は一歩身を引いて、厳しい面持ちでジークリンデを睨み付けた。
「……俺は、魔帝の仲間になる気はない。最強の魔法使いの肩書きなんてくそくらえだ」
右の掌を彼女に向けて、きっぱりと言い放つ。
「帰って魔帝に報告するんだな。俺は売られた喧嘩はいつでも買う。目の前に現れたら、その時は容赦なく叩きのめしてやるってな」
「……残念ね」
俺の威嚇にも全く動じず。ジークリンデは肩を竦めて笑うと、左のこめかみの辺りに手を触れた。
そこから取り出した銀色の小さな何かを指で摘まんで、無造作に中指の腹を押し当てる。
ぷつっ、と指の腹が裂けて、血の玉が滲み出てきた。それを俺たちの方に見せながら、彼女は言った。
「……でも、人の心は移ろいやすきもの……もしも貴方が考え抜いた末に我が主の下に来ると決断したその時は、快く迎え入れることを約束しましょう。一時の感情に流されて大切なものを見失うのは愚かだと、ささやかながら助言をさせて頂くわ」
血の玉が、不自然に大きく盛り上がり、広がっていく。
まるで意思を持った生き物のようにするすると伸びていき、ひとつの形を虚空に描き出した。
それは──複雑な形をした人の体ほどの大きさがある魔法陣だった。
「それでは……御機嫌よう」
魔法陣に手を触れるジークリンデ。
魔法陣が緑と黒が混ざり合った暗い色の光を生み出す。その光に彼女の全身は包まれて──
渦に飲み込まれるように、彼女の姿は消えた。光が消滅すると同時に魔法陣も力を失い、ぱしゃんと水飛沫が飛び散るように弾けて形を失った。
俺はそれを見つめながらふーっと深く息を吐き。
ぎぎぎっとぎこちない動作で俺の腕に縋り付いたままのフォルテの方に向いて、呟いた。
「……大丈夫かな……思いっきり喧嘩売っちゃったけど」
「え……魔帝をやっつける自信があるから言ったんじゃなかったの?」
「いや……まあ……その」
ぽかんとするフォルテに曖昧な返事を返す俺。
俺は……いつかは魔帝と戦うつもりではいるが、今はまだ矢面に立つ気はない。
虚無を退治したり魔帝と対立している人々に協力を求められたら裏方に回って支えるくらいのことはするつもりではいるが、俺自身が魔帝と戦うような真似はしないつもりだ。
一度戦い始めたら、そこからずるずると事が長引いて他のことが全然できなくなっちゃうからな。
俺はまだ、ただの魔法使いとしてこの世界での暮らしを満喫していたい。
薄情だ、臆病者、と言うなかれ。俺は大それた名声を得るよりも、何でもない平穏な日常を過ごすことの方が何倍も大事なのである。
「……まあ、魔帝も目の前の世界征服で忙しいだろうからな。俺みたいな小物の言うことなんて気に掛けないだろ。うん」
俺は自分に言い聞かせるように大きな声でそう言って、頷いた。
……そう思わなきゃ、やってられないよ。
無意味に胸を張る俺を、フォルテは相変わらずぽかんとした顔のまま見つめていた。
何はともあれ。無事に虚無を討伐して討伐の証もちゃんと手に入れたので、俺たちは街に引き返した。
冒険者ギルドに討伐の証である赤い石を提出し、仕事達成の報酬として二千ルノを手に入れた。
あんなに馬鹿でかい虚無を倒したことを考えたら微妙に安いような気がしないでもないが、それでも俺にとっては結構な大金だ。これで当分の間は生活するのに困らないだろう。
冒険者ギルドで仕事を請け負う時の要領も何となく分かったし、これからもこの世界で暮らす旅人として普通にやっていけそうだ。
──さあ、旅を続けよう。此処はただの通過点であり、俺たちが目指す場所はまだまだ先にあるのだから。
俺は貰った報酬を鞄の中にしまって、その日のうちにリッカの街を旅立った。
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