上 下
15 / 26
-3-

14

しおりを挟む
 降り始めた雨はどんどん強さを増して、傘を持っていなかった怜は土砂降りの中を走っている。
 今日の約束は、梓が手料理を振る舞ってくれる事になっていた。怜の家に招くのはもう何度もあったが、梓の自宅を訪れるのは初めてだというのにこんな日に限って。

 雨を大量に吸い込み重くなった服のせいで、足がもつれそうになってしまう。それでもどうにか走り、アパートが見えてきた。
 一旦戻って、遅くなると梓に連絡を入れてシャワーを浴びてしまおう。
 あと数十メートルだと足を速めようとした時、雨音を搔い潜り大きな声が怜に届く。

「怜さん!」
「え……梓くん!?」

 傘を差した梓が、自身のマンションの方から駆けてきた。立ち止まった怜の元へ到着し、その傘を大きく差し出す。

「雨すごい降ってきたから気になって出てきたんですけど……めっちゃ濡れてるじゃないですか」
「あはは、傘持ってなくて降られちゃった……降水確率低かったはずなんだけどな」
「怜さん……うちに来てください、着替えなら俺のあるんで」
「え、いやいや悪いよ! 一回戻ってシャワー浴びてくるから大丈夫!」
「駄目です、まだ降ってたらまた濡れちゃうし体冷えるんで。早くこっち」
「あっ」

 どこか強引な梓は、怜の手をとって自身のマンションへと怜を連れてゆく。
 風邪をひいたらどうするんですかと怒ってすらみせるのに、雨から怜を守る梓自身の肩は濡れてしまっている。怜と会う約束がなかったら少しも濡れずに済んだのに、ちっとも厭わない様子だ。
 怜のことばかり気に掛ける梓の優しさが、苦しいほどに怜の胸を占める。


「お風呂こっちです。服は脱いだら洗濯機に入れてください、まわしときます。着替え、後で置いとくんでそれ着て下さいね。シャンプーとか適当に使っていいんで、ゆっくりあったまって下さい」
「なにからなにまでごめんね?」
「俺がそうしたかったんだからいいんですよ」
「ん……ありがとう」

 それじゃ、と去り際に、怜の額に貼りついた前髪を微笑みながら払っていった。
 雨で冷えたはずの体は、確かに梓の触れたところだけ火照るような熱を持ってしまう。

「はぁ……」

 梓の部屋がある階までエレベーターで上がり、すぐに風呂場へと誘導してくれた。清潔に保たれた室内には、爽やかな香りが漂う。
 梓の部屋にいるのだという事を、先ほどのノリとの会話もあって妙に意識してしまっている。しかも初めての訪問で、風呂を借りるだなんて。
 お互いに他意はなくとも、緊張してしまうのは無理もなかった。
 邪念も一緒に流して、早く温まって出てしまおう。
 雨をたっぷり吸い込んだ服を脱いで、怜はシャワーのコックを捻った。


「梓くーん? 出ましたー」
「あ、お帰りなさい。ふは、袖余ってますね」

 熱いシャワーを浴びて、リビングだろう扉を開いた。他人の家を勝手に動き回るのは居心地が悪く、小さな声で出た事を報告すると、キッチンから梓が笑顔で顔を出した。

「そりゃそうだよ、梓くん大きいもん」
「ですね。怜さん可愛い」

 梓が用意してくれていた着替えは、黒い上下のスウェットだった。下着は新品のものが用意されていて、申し訳なくもありながらその気遣いが嬉しい。
 ただやはり、サイズが合うわけもなく。指はほぼ出ていないし、足先も出ないので腰の部分を折らせてもらった。
 悔しいけれど、梓はそのくらい長身で手足が長いのだ。

「っ、もう。可愛くありません」
「はは。あれ? 髪乾いてます?」
「あ、うん。ドライヤーお借りしました」
「俺が乾かしたかったのに……」
「へ……」
「今度は俺にやらせて下さいね。じゃあこっち、座ってて下さい」
「う、うん……?」

 今度とは一体どういう事だろう。今日みたいに雨に降られることが、そう何回もあったら困るけれど。
 梓の言葉に首を傾げ、それを軽くあしらわれながらローテーブルの前、ラグの上に腰を下ろした。
 するともう調理は終わっていたようで、梓がキッチンから食事を運んでくる。

「わぁ、ハンバーグだ」

 プレートにはハンバーグ。デミグラスソースの香りが食欲をそそり、添えられたグリーンサラダが目にも鮮やかだ。
 マグに注がれたコーンスープはほかほかと湯気をあげていて、見ているだけでもあたたかな心地がする。

「初めて作ったんで、美味しいか自信はないんですけど」
「え、初めて? ほんとに?」
「ほんとですよ、料理自体ほぼしたことなくて」

 まさか初心者が作っただなんて、誰が想像するだろう。早く食べたいと訴えて腹が鳴ってしまいそうなくらいに、見事なものだ。

「そうなんだ。梓くん本当に凄い……器用なんだね」
「……そうなんですかね」
「…………? 梓くん?」
「いえ、何でもないです。じゃあ食べましょうか」

 梓の表情に一瞬なにか浮かんだ気がしたが正体は掴めず、促されるままに怜は頷く。
 いただきますと手を合わせ、隣に座った梓を見るともう微笑んでいたので、気のせいだったのかもしれない。

 梓は怜の反応が気になるらしく、まだ手を付けずに頬杖をついて怜を眺めている。
 フォークを手に取り、もう一度手を合わせてから怜はハンバーグにそっと切れ目を入れてみた。すると中からとろりとチーズが溶け出し、怜は勢いよく梓を見上げた。

「あ、梓くん! チーズ入ってる!」
「はは、はい。怜さんチーズ好きでしょ? なので入れてみました」
「うわぁ、凄く嬉しい……」
「食べてみて下さい」
「うん、じゃあ食べるね」

 ハンバーグをフォークに刺し、とろけるチーズと濃厚なデミグラスソースを絡める。肉汁と一緒に口いっぱいに美味しさが広がり、怜は思わず顔を上げた。

「んん、んんん!」
「ふは、怜さんリスみたいですよ。美味しいですか?」
「ん……はぁ。すっごく美味しいよ梓くん!」

 咀嚼し終えごくりと飲み込んでから、怜はやっと感想を伝える事が出来た。
 梓くんも食べてみて、なんて梓が作ったものなのだから可笑しな話だけれど、早く梓自身にも味わって欲しくて次は怜が眺める番だ。
 梓はそれじゃあ、と言って、ひとくちハンバーグを口に入れた。こくこくと頷き、上手く作れていてよかったと綻ぶ顔が、何だか自分のことのように嬉しい。

「今まで食べたハンバーグの中でいちばん美味しいよ」
「えー、それは大袈裟じゃないですか?」
「ううん、ほんとのほんとに。レストランでちょっとお高いのだって食べたことあるよ? それでも梓くんのが一番美味しい、一番好きだよ」
「マジすか……じゃあきっと、怜さんのために作ったからですね」

 思っていない事を口に出来るほど、怜は世渡り上手ではない。本当にそう思うのだ。
 どんな風に言ったなら伝わるだろう。懸命に言葉を並べると、梓は瞳を細めてそんな事を怜に言う。

「梓くんが作ってくれたから、だよ」
「はい、怜さんを想って作りました」
「っ、えっと、冷める前に食べよっか?」
「ふふ、はい」

 梓の選ぶ言葉や仕草は、いつも怜の胸の奥をくすぐる。頬まで染まって梓に気付かれてしまうのを恐れ、怜は誤魔化すように食事へと戻る。
 今度はサラダやスープを口にすると、こちらも怜の好みの味つけで。まるで、梓と怜が共に過ごしてきた時間が詰まっているみたいだ。
 つい零れるように怜はこれも好きと呟き、梓が隣で嬉しそうにする。気持ちまでいっぱいに満ちる時間に、結局何度も顔を見合わせて笑った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

年上が敷かれるタイプの短編集

あかさたな!
BL
年下が責める系のお話が多めです。 予告なくr18な内容に入ってしまうので、取扱注意です! 全話独立したお話です! 【開放的なところでされるがままな先輩】【弟の寝込みを襲うが返り討ちにあう兄】【浮気を疑われ恋人にタジタジにされる先輩】【幼い主人に狩られるピュアな執事】【サービスが良すぎるエステティシャン】【部室で思い出づくり】【No.1の女王様を屈服させる】【吸血鬼を拾ったら】【人間とヴァンパイアの逆転主従関係】【幼馴染の力関係って決まっている】【拗ねている弟を甘やかす兄】【ドSな執着系執事】【やはり天才には勝てない秀才】 ------------------ 新しい短編集を出しました。 詳しくはプロフィールをご覧いただけると幸いです。

ゆるふわメスお兄さんを寝ている間に俺のチンポに完全屈服させる話

さくた
BL
攻め:浩介(こうすけ) 奏音とは大学の先輩後輩関係 受け:奏音(かなと) 同性と付き合うのは浩介が初めて いつも以上に孕むだのなんだの言いまくってるし攻めのセリフにも♡がつく

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

逢瀬はシャワールームで

イセヤ レキ
BL
高飛び込み選手の湊(みなと)がシャワーを浴びていると、見たことのない男(駿琉・かける)がその個室に押し入ってくる。 シャワールームでエロい事をされ、主人公がその男にあっさり快楽堕ちさせられるお話。 高校生のBLです。 イケメン競泳選手×女顔高飛込選手(ノンケ) 攻めによるフェラ描写あり、注意。

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

少年ペット契約

眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。 ↑上記作品を知らなくても読めます。  小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。  趣味は布団でゴロゴロする事。  ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。  文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。  文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。  文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。  三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。  文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。 ※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。 ※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。

処理中です...