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Chapter2〈4 クラスの王様〉
ep56 黒い渦①
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高木からの嫌がらせは日に日に酷くなり、今までは陰口や嘲笑のみだったのが、実害も伴うようになった。
学校に行けば毎日必ず嫌がらせを受けた。先日は、上履きの中に画鋲が入っていたし、その次の日には、自分の持ち物が水溜まりに捨てられた。嫌がらせは、授業中も構わず行われた。教室で授業を受けていると、虫の死骸が頭から落ちてきたこともあった。
しかし、安藤智子は誰にも相談しなかった。増田への信頼はあの一件で失っていたし、親に相談する勇気はなかった。とにかく大ごとにはしたくなくて、卒業までの辛抱だと、ただ何も言わずひたすら耐え続けていた。
「すみません。冥叶さん、ですよね」
学校の帰り道、突然、背後から人に話しかけられた。マスク越しのくぐもった耳慣れない男性の声だった。
一瞬にして全身の血の気が下がり、恐怖で頭が真っ白になった。後ろを振り返るのも怖くて、その時はただがむしゃらに走って帰った。幸運なことに、男は追いかけてはこなかった。
飛び込むように家の中に入り玄関に鍵をかけると、ハァハァと荒い息をしてそこで一気に力が抜けた。薄暗い玄関に座り込み、心臓が落ち着くまでじっとしている。未だに全身が震えている。冷や汗が止まらず、鳥肌が立っていた。
家の中は一人だった。両親は働いているし、3つ上の兄も大学生になってから遠くで一人暮らししている。
今あったことを話せる人が、誰もいない。この恐怖や不安を、共有できる人が……。
壁伝いに立ち上がり、ふらふらと自分の部屋へ向かう。ベッドに腰を下ろすとスマホを取り出し、いつも使っているSNSを開いた。
アカウント名は、“冥叶”。趣味のイラストを投稿しているアカウントで、登録者数は10人程度。ペンタブは持って無かったから、紙に描いたイラストをちまちま上げるだけのアカウントだった。
『今、知らない人に声をかけられた。すごく怖い……だれか助けて……。』
震える手で、送信ボタンを押す。普段、返信もいいねもつかない、壁打ちと化したアカウントだ。誰かに反応してもらえるなんて思っていなかった。それでも、どこかに吐き出さないと、恐怖に押しつぶされそうだった。
ピコン♪ スマホが鳴った。智子は、驚いて通知欄を押す。驚いたことに、フォロワーから返信が来ていた。
『あんなアカウント作っといて、自業自得じゃね?』
普段交流のないアカウントからの返信に、智子は戸惑う。そもそも、“あんなアカウント”とはどういう意味なのか。
智子は困惑しつつ、“冥叶”の名前でエゴサした。同名のアカウントが並ぶ。どれも名前が被っているだけで、普通のアカウントだ。タイムラインをスクロールしていくと、一件のアカウントの投稿に目が留まった。
いわゆる出会い系。男性を誘うようような文面と共に、同い年くらいの少女の下着姿が写された画像が載せられている。
ハッシュタグの『#ブスでもいいよって人と繋がりたい #ブス専 #処女 #オジサン好き #JC #隠し撮り #ぼっち』の文字が、なんだか生々しかった。
そのツイートに目を止めた瞬間――智子は戦慄した。目のところはスタンプで隠されているが、顔の輪郭や体格、雰囲気ですぐに分かる。
自分だ。
上げた覚えのない自分の画像。よく観ると、隠し撮りのような不自然な角度で取られている。場所も教室、更衣室やトイレなど、学校での日常を切り取ったものばかりだった。
アカウント名を見る。“冥叶♡裏垢”。アイコンは、自分が使っているものと同じ。
震える手で、“冥叶♡裏垢”のプロフィールへ飛ぶ。そこには、智子の自宅の住所が記載されていた。
こんなことするのは、あの女しかいない。学校で撮られている時点で、すぐにわかった。
画像はおろか自宅の住所までも晒されて、そのせいでこんなに怖い思いをした。たまたま今回は運良く逃げられただけで、もしかすると事件に巻き込まれていたかもしれない。それに、このアカウントがある以上、安全に外には出られない。
もう、限界だった。我慢の限界だ。あの女のせいで怖い目にあった。あの女のせいで、身の危険にさらされた。
高木のせいで――。
どうせ、“冥叶♡裏垢”の方にDMを送ったところで返信などこない。クラスのLINEグループにも入っていないため、高木の連絡先だって知らない。
だから、学校に来た。外へ出るのは怖かったが、それでも。
教室はいつも通り賑やかで、高木の耳障りな笑い声が、周囲の迷惑も顧みずに響いている。
「高木さん」
淡々とした智子の声に、高木達の笑い声は止まった。シラけた顔をして、高木は智子を睨んだ。
「なに」
高木を見下ろす智子は、マスクと深い帽子をかぶっていて表情が見えなかった。周囲の女子たちも、その異様な格好をした智子を見上げて嗤いを堪えている。
智子が掲げたものを見て、高木は息が止まった。大きく出されたカッターの刃。認識すると同時に振り下ろされる。
女子たちの悲鳴が響いた。
*
安藤智子の件で、教室にいた生徒は全員一人ずつ個別に呼び出され、担任との面談が行われた。
高木は振り下ろされたカッターの刃を避けた際に手首を捻ったくらいで、運よく無事だった。それでも酷く取り乱し、増田が視聴覚室で事情を聴いている間も泣き続けていた。
「安藤さんが怖い」「次は本当に殺されるかもしれない」「先生、安藤さんを退学させてください」。
涙ながらに訴える高木をなだめ、増田が「中学生は義務教育の関係上、退学処分にすることは出来ない」こと伝えると、高木は泣き顔を赤くさせ「あたしが死んだらどうするんですか!?」と激怒していた。
次に安藤との面談になると、安藤は血の気の引いた真っ白な顔をして、黙ったまま椅子に座った。
「……安藤、大丈夫か?」
「……」
増田は気をつかって穏やかに話しかけたが、安藤からは何も返事が返ってこなかった。
「どうしてあんなことをしたんだ? 怒らないから、先生に話してくれないか?」
「……」
「あれはただの悪ふざけだったんだろ? 高木を傷つけるつもりはなかったんだよな?」
「……」
安藤は始終無言で、感情のない目をして増田の後ろにある窓の外を見つめ続けていた。怒鳴っても諭しても、安藤の心に響いている様子はなかった。一時間近く粘ったが、安藤は黙ったまま結局何も話さず、迎えに来た母親と共に帰って行った。
他の生徒たちは、恐怖が過ぎると興奮して饒舌になり、あらゆる憶測を並べたてて安藤のことを怖がった。「安藤さんは大人しい子だったから、あんなことをするとは思わなかった」という生徒もいれば、「前々から安藤はおかしいと思っていた」という生徒もいる。「ニュースに載ったりするのか」と好奇心丸出しで聞いてくる生徒もいた。
特に高木と親しい女子たちは、「高木さんが変な因縁をつけられて可愛そうです。安藤さんを警察に突き出した方がいいと思います」と訴えた。
結局、安藤がなぜ高木を傷つけようとしたのか、明確な理由がわからないまま、増田は途方に暮れた。後日、安藤と高木の両親を呼んでの事情説明もあるというのに、事情が何も分かっていないようでは担任としての責任能力も問われてしまう。
その場にいた生徒の話しをあらかた聞いた後、最後に悠真を呼んだ。悠真は交友関係が広い。クラスメイトの事情も良く知っているはずだと期待していた。
視聴覚室に呼ばれた悠真は、落ち着いた様子で増田の前の椅子に座った。視線だけを動かして、興味深げに周囲を見渡している。この状況を面白がっていることがありありとわかった。
増田は一つ咳払いをして、話を切り出した。
「あー、なぜ呼び出されたかは察しがついているとは思うが――」
「安藤さんと高木の事?」
悠真の緊迫感のない飄々とした態度に、増田は呆れた。騒ぎの時教室にいなかったためか、他の生徒よりも若干呑気だ。
「あー、そうだ。うん。すまないな、新島。関係ないのはわかっているんだが……」
「どうせ他のヤツに聞いても、大した事聴けなかったんでしょ」
「あ、……あぁ。そうなんだ」
悠真に見透かされて、教師として少々苦い気持ちになる。
「みんなに話を聞いても、なぜこんなことが起こったのかわからないと言われてな。安藤はなんというか……少々個性的な生徒だったろう。今回の件も理由がわからなくてな」
安藤はクラスの中でも浮いていた生徒の一人だった。要は変わっていたのだ。早口でマイペースな喋り方をして受け答えも若干ずれていたため、クラスではいつも一人だった。休み時間中は教室で絵を描いたり漫画を読んで過ごしていて、他クラスに友達がいるような気配もない。増田にとっても安藤は掴みどころがなく、よく分からない生徒だった。
悠真は少し考えるように視線を斜め上に向けて、首を傾げた。
「みんなは何て言ってたの?」
「安藤が授業中、高木に悪口を言われたと騒いだ件があったろう。たぶん、それで因縁をつけられたんじゃないかとは言われたよ」
増田も思い当たる節はそれ以外無いのだが、その時高木は安藤にきちんと謝っていたし、安藤もそれで納得したはずだった。
学校に行けば毎日必ず嫌がらせを受けた。先日は、上履きの中に画鋲が入っていたし、その次の日には、自分の持ち物が水溜まりに捨てられた。嫌がらせは、授業中も構わず行われた。教室で授業を受けていると、虫の死骸が頭から落ちてきたこともあった。
しかし、安藤智子は誰にも相談しなかった。増田への信頼はあの一件で失っていたし、親に相談する勇気はなかった。とにかく大ごとにはしたくなくて、卒業までの辛抱だと、ただ何も言わずひたすら耐え続けていた。
「すみません。冥叶さん、ですよね」
学校の帰り道、突然、背後から人に話しかけられた。マスク越しのくぐもった耳慣れない男性の声だった。
一瞬にして全身の血の気が下がり、恐怖で頭が真っ白になった。後ろを振り返るのも怖くて、その時はただがむしゃらに走って帰った。幸運なことに、男は追いかけてはこなかった。
飛び込むように家の中に入り玄関に鍵をかけると、ハァハァと荒い息をしてそこで一気に力が抜けた。薄暗い玄関に座り込み、心臓が落ち着くまでじっとしている。未だに全身が震えている。冷や汗が止まらず、鳥肌が立っていた。
家の中は一人だった。両親は働いているし、3つ上の兄も大学生になってから遠くで一人暮らししている。
今あったことを話せる人が、誰もいない。この恐怖や不安を、共有できる人が……。
壁伝いに立ち上がり、ふらふらと自分の部屋へ向かう。ベッドに腰を下ろすとスマホを取り出し、いつも使っているSNSを開いた。
アカウント名は、“冥叶”。趣味のイラストを投稿しているアカウントで、登録者数は10人程度。ペンタブは持って無かったから、紙に描いたイラストをちまちま上げるだけのアカウントだった。
『今、知らない人に声をかけられた。すごく怖い……だれか助けて……。』
震える手で、送信ボタンを押す。普段、返信もいいねもつかない、壁打ちと化したアカウントだ。誰かに反応してもらえるなんて思っていなかった。それでも、どこかに吐き出さないと、恐怖に押しつぶされそうだった。
ピコン♪ スマホが鳴った。智子は、驚いて通知欄を押す。驚いたことに、フォロワーから返信が来ていた。
『あんなアカウント作っといて、自業自得じゃね?』
普段交流のないアカウントからの返信に、智子は戸惑う。そもそも、“あんなアカウント”とはどういう意味なのか。
智子は困惑しつつ、“冥叶”の名前でエゴサした。同名のアカウントが並ぶ。どれも名前が被っているだけで、普通のアカウントだ。タイムラインをスクロールしていくと、一件のアカウントの投稿に目が留まった。
いわゆる出会い系。男性を誘うようような文面と共に、同い年くらいの少女の下着姿が写された画像が載せられている。
ハッシュタグの『#ブスでもいいよって人と繋がりたい #ブス専 #処女 #オジサン好き #JC #隠し撮り #ぼっち』の文字が、なんだか生々しかった。
そのツイートに目を止めた瞬間――智子は戦慄した。目のところはスタンプで隠されているが、顔の輪郭や体格、雰囲気ですぐに分かる。
自分だ。
上げた覚えのない自分の画像。よく観ると、隠し撮りのような不自然な角度で取られている。場所も教室、更衣室やトイレなど、学校での日常を切り取ったものばかりだった。
アカウント名を見る。“冥叶♡裏垢”。アイコンは、自分が使っているものと同じ。
震える手で、“冥叶♡裏垢”のプロフィールへ飛ぶ。そこには、智子の自宅の住所が記載されていた。
こんなことするのは、あの女しかいない。学校で撮られている時点で、すぐにわかった。
画像はおろか自宅の住所までも晒されて、そのせいでこんなに怖い思いをした。たまたま今回は運良く逃げられただけで、もしかすると事件に巻き込まれていたかもしれない。それに、このアカウントがある以上、安全に外には出られない。
もう、限界だった。我慢の限界だ。あの女のせいで怖い目にあった。あの女のせいで、身の危険にさらされた。
高木のせいで――。
どうせ、“冥叶♡裏垢”の方にDMを送ったところで返信などこない。クラスのLINEグループにも入っていないため、高木の連絡先だって知らない。
だから、学校に来た。外へ出るのは怖かったが、それでも。
教室はいつも通り賑やかで、高木の耳障りな笑い声が、周囲の迷惑も顧みずに響いている。
「高木さん」
淡々とした智子の声に、高木達の笑い声は止まった。シラけた顔をして、高木は智子を睨んだ。
「なに」
高木を見下ろす智子は、マスクと深い帽子をかぶっていて表情が見えなかった。周囲の女子たちも、その異様な格好をした智子を見上げて嗤いを堪えている。
智子が掲げたものを見て、高木は息が止まった。大きく出されたカッターの刃。認識すると同時に振り下ろされる。
女子たちの悲鳴が響いた。
*
安藤智子の件で、教室にいた生徒は全員一人ずつ個別に呼び出され、担任との面談が行われた。
高木は振り下ろされたカッターの刃を避けた際に手首を捻ったくらいで、運よく無事だった。それでも酷く取り乱し、増田が視聴覚室で事情を聴いている間も泣き続けていた。
「安藤さんが怖い」「次は本当に殺されるかもしれない」「先生、安藤さんを退学させてください」。
涙ながらに訴える高木をなだめ、増田が「中学生は義務教育の関係上、退学処分にすることは出来ない」こと伝えると、高木は泣き顔を赤くさせ「あたしが死んだらどうするんですか!?」と激怒していた。
次に安藤との面談になると、安藤は血の気の引いた真っ白な顔をして、黙ったまま椅子に座った。
「……安藤、大丈夫か?」
「……」
増田は気をつかって穏やかに話しかけたが、安藤からは何も返事が返ってこなかった。
「どうしてあんなことをしたんだ? 怒らないから、先生に話してくれないか?」
「……」
「あれはただの悪ふざけだったんだろ? 高木を傷つけるつもりはなかったんだよな?」
「……」
安藤は始終無言で、感情のない目をして増田の後ろにある窓の外を見つめ続けていた。怒鳴っても諭しても、安藤の心に響いている様子はなかった。一時間近く粘ったが、安藤は黙ったまま結局何も話さず、迎えに来た母親と共に帰って行った。
他の生徒たちは、恐怖が過ぎると興奮して饒舌になり、あらゆる憶測を並べたてて安藤のことを怖がった。「安藤さんは大人しい子だったから、あんなことをするとは思わなかった」という生徒もいれば、「前々から安藤はおかしいと思っていた」という生徒もいる。「ニュースに載ったりするのか」と好奇心丸出しで聞いてくる生徒もいた。
特に高木と親しい女子たちは、「高木さんが変な因縁をつけられて可愛そうです。安藤さんを警察に突き出した方がいいと思います」と訴えた。
結局、安藤がなぜ高木を傷つけようとしたのか、明確な理由がわからないまま、増田は途方に暮れた。後日、安藤と高木の両親を呼んでの事情説明もあるというのに、事情が何も分かっていないようでは担任としての責任能力も問われてしまう。
その場にいた生徒の話しをあらかた聞いた後、最後に悠真を呼んだ。悠真は交友関係が広い。クラスメイトの事情も良く知っているはずだと期待していた。
視聴覚室に呼ばれた悠真は、落ち着いた様子で増田の前の椅子に座った。視線だけを動かして、興味深げに周囲を見渡している。この状況を面白がっていることがありありとわかった。
増田は一つ咳払いをして、話を切り出した。
「あー、なぜ呼び出されたかは察しがついているとは思うが――」
「安藤さんと高木の事?」
悠真の緊迫感のない飄々とした態度に、増田は呆れた。騒ぎの時教室にいなかったためか、他の生徒よりも若干呑気だ。
「あー、そうだ。うん。すまないな、新島。関係ないのはわかっているんだが……」
「どうせ他のヤツに聞いても、大した事聴けなかったんでしょ」
「あ、……あぁ。そうなんだ」
悠真に見透かされて、教師として少々苦い気持ちになる。
「みんなに話を聞いても、なぜこんなことが起こったのかわからないと言われてな。安藤はなんというか……少々個性的な生徒だったろう。今回の件も理由がわからなくてな」
安藤はクラスの中でも浮いていた生徒の一人だった。要は変わっていたのだ。早口でマイペースな喋り方をして受け答えも若干ずれていたため、クラスではいつも一人だった。休み時間中は教室で絵を描いたり漫画を読んで過ごしていて、他クラスに友達がいるような気配もない。増田にとっても安藤は掴みどころがなく、よく分からない生徒だった。
悠真は少し考えるように視線を斜め上に向けて、首を傾げた。
「みんなは何て言ってたの?」
「安藤が授業中、高木に悪口を言われたと騒いだ件があったろう。たぶん、それで因縁をつけられたんじゃないかとは言われたよ」
増田も思い当たる節はそれ以外無いのだが、その時高木は安藤にきちんと謝っていたし、安藤もそれで納得したはずだった。
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