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Chapter2〈4 クラスの王様〉

ep53 クラスの王様

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 教室で仲間たちと喋っていた村上は、席を立つ竹内の姿を見て、仲間たちと目配せを交わす。次の瞬間、村上の放ったドロップキックを背中に受けて、竹内は床に倒れ伏していた。
 男子たちが爆笑する。竹内は床に倒れたまま、悔しさを込めて拳を握りしめた。

「竹内くん大丈夫?」

 突然、竹内の目の前に、手が差し伸べられる。竹内は驚いた顔で相手を見上げると、差し出された手を遠慮がちに掴んで立ち上が上がった。

 空気を読まず、竹内を助け起こしている咲乃に、村上は苛立ちを込めて大きく舌打ちする。

「またかよ。何なんだよ、テメェ」

 村上に睨まれても、咲乃はマイペースに微笑んで首をかしげた。何をそんなに怒っているのかわからないと言いたげな様子に、村上は益々腹立たしくなる。

 西田を庇った件もある。前々から村上は、咲乃のことが気に入らなかったのだ。
 理想的で模範的な優等生を絵に描いたような咲乃の言動。悠真のグループの人間だからこそ表立って反発しなかったが、それでも、ずっと目障りだった。

「遊んでんのに水差してんじゃねーよ!」

 村上が近くの椅子を蹴飛ばして威嚇する。しかし、それでも咲乃の顔から穏やかさが消えることはない。あろうことか、倒れた椅子をわざわざ起こして元の位置に戻している。その悠然とした態度が、村上の神経を逆なでした。

「水を差すつもりはなかったんだけど、気に障ったのなら謝るよ」

 穏やかに綽然しゃくぜんとして笑った咲乃の様子が気に入らない。

「だったら、今すぐ謝れや!」

「村上」

 村上が咲乃に掴みかかろうとした。その時だった。冷たい声が響いて、村上の動きがぴたりと止まる。怒りに任せて悠真を睨むと、悠真はいつもと変わらない爽やかな顔で、まぁまぁとばかりに、咲乃を庇うように立った。

「なにキレてんだよ。教室の外まで声響いてんぞ」

 悠真の拍子抜けするほどのんきな口調に、村上は奥歯を噛み締めた。そして、悠真の後ろにいた日下たちを押しのけるようにしてそのまま教室の外へ出て行った。




 休み時間中、グループに固まった女子たちは、一人で過ごしているその女子生徒を盗み見ては、バカにしたように嗤っていた。

 標的にされた女子生徒は、陰口が聞こえないふりをして一心にノートにイラストを描いていたが、ついに耐えきれなくなって席を立った。逃げるように教室を出ていく彼女の姿を目の端にとらえながら、咲乃は読書に耽っているふりをして考え事をしていた。

 西田一人に向けられていたヘイトは、今や分散され、今まで目立たないように息をひそめていた生徒たちにまで害が及ぶようになっていた。西田だけなら、咲乃がさりげなくフォローすることもできたが、ここまで分散されては手が追い付かない。男子生徒同士の喧嘩を止めたり気にかけることは出来ても、女子が相手となるとさらに気を遣う。咲乃が被害にあっている女子を庇えば庇うほど、他の女子たちの嫉妬を煽りさらなる害を及ぼす危険もある。今は様子を見る事しかできない。

 悠真はクラスの状態に関与しない姿勢を取り続けているが、このクラスを支配する彼の放つ空気感は、クラスメイト達をただ盲目にさせていた。
 悠真が持つ人間的な魅力は、周囲の人々の好感と信頼を集める。誰もが彼に憧れ、誰もが彼と親しくなりたいと考えているため、彼が認めた友人たちは悠真と同様に尊重された。
 このクラスの一軍メンバーの優位は絶対であり、その地位に憧れる二軍の男子や女子たちは、少しでも悠真に気に入られようと、彼の呼吸ひとつひとつに意識を離さない。悠真が除外した人間は徹底的に除外され、悠真が優遇した人間は尊重される。それがこのクラスだ。やっかいなのは被害者である生徒までもが悠真に憧れるあまり、除外されても当然だと自身の立場に疑問を抱かない点だった。悠真が作る空気感は、クラスメイト達の気づかぬ間に浸透し、それを当然のこととして受け入れさせている。

 咲乃の教室での立ち位置は、悠真に最も近しく、悠真の好意によって守られている。だから自由な行動も認められている。しかし、それでも一人では太刀打ちできないこともある。咲乃は立場的にも目立ちすぎた。

「よっ、篠原。また一人で本読んでんの?」

 咲乃の肩に悠真の腕が乗った。親し気に見える悠真の行動に合わせて、咲乃は悠真を見上げて笑った。

「ん、今面白いところだから」

「せっかくの休み時間なのに、篠原が読書ばっかしてちゃつまんないじゃん。今日の昼休み、みんなで遊ぼうってことになってんだよ。お前も来る?」

 咲乃は悠真の後ろの、中川や石淵たちへ視線を向けた。

「誘ってもらえて嬉しいんだけど……」

 咲乃が穏やかに断ると、悠真は肩をすくめた。

「あー、はいはい。気が向いたら来いよ。いつでも仲間に入れてやるからさ」




 休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、担任の増田が教室に入って来た。咲乃は教材を机の上に出し、自分のタブレットPCを操作する。

 咲乃がクラスの中で自由に立ち振る舞えるのも、結局は悠真のルール内で許されているからに過ぎない。一部の男子生徒の中には、咲乃に対して反発心を抱く者もいる。それは村上に限ったことではなかった。悠真が咲乃を切るのを、今か今かと待ちわびている。現状、このクラスに咲乃の味方はいない。

 突然大きな音がして、咲乃はタブレットPC から顔を上げた。女子生徒が立ち上がった勢いで椅子が倒れたようだ。

「いい加減にしてっ!」

 女子生徒が金切り声を上げて叫んだ。板書していた増田が振り返り、驚いて女子生徒を見た。

「どうした、安藤。何かあったか?」

「さっきからコソコソ人の陰口ばっかりうるせぇんだよ!」

 安藤、と呼ばれた女子生徒が大声で喚く。教室中がどよめき、増田は焦った様子で彼女に歩み寄った。

「安藤、落ち着け。一体どうしたんだ」

「先生、高木さんたちがスマホで人の悪口書いてます。注意してください!」

 安藤が、震える手で高木を指さした。

「はぁ? 意味わかんない。あたし、普通に授業聞いてただけなんだけど」

 高木はウザそうに鼻を鳴らした。しかし咲乃は、彼女が直前にスマホを机の中に隠すのを見ていた。スマホをいじっていたのは本当だろう。一方で、友人たちと一緒に、安藤の陰口を叩いていたのかまでは定かではない。

 増田は呆れつつ、高木を睨んだ。

「おい、高木。授業中のスマホは禁止だぞ。ちゃんとカバンの中にしまえ」

 注意された高木は、不満げに舌を鳴らしてカバンの中にスマホをしまった。事は済んだと、増田が再び板書に戻る。しかし、安藤は一人愕然として立ちすくんでいた。

「……それだけですか……?」

 小さく呟いた言葉は、どこか取り残され、見捨てられて置いてきぼりにされたような絶望感があった。

「本当にそれだけですか? ちゃんと注意してください。休み時間からずっと人の悪口言ってるんですよ? スマホしまえば良いって話じゃないでしょう!?」

 授業に戻ろうとしたのを阻害されて、増田はうんざりした表情をした。

「高木、安藤の悪口言ってたのか?」

「あたし、何も言ってません。被害妄想やめてくれる?」

 高木が声を荒げて言った。安藤の方を、今にも殺してやりたいとばかりに睨んでいる。

「幻聴でも聞こえてたんじゃないのー」

「こわ」

 女子たちの囁く声と漏れだす笑い声。増田は苛立たし気に頭を振って「やめなさい」と一喝した。そして、ようやく静かになってから、改めて安藤に向き直った。

「あのな、安藤。スマホのことを報告してくれたことは有難いが、悪口を言われてるというのは思い込みすぎじゃないか?」

 増田は安藤に落ち着くよう言い含めると、安藤は困惑して目を剥いた。

「は……? でも、休み時間中もずっと言われてましたし、さっきもこっちをちらちら見てたんです。証拠なら、高木さんたちからスマホを取り上げて、LINEでも確認すればいいじゃないですか!」

「何があっても、他人ひとのスマホを勝手に見るのはだめだ。安藤、いいから落ち着け。今は授業中なんだぞ。あまり騒ぐと、みんなの迷惑になる」

「迷惑……? みんなが迷惑? あたしは、高木さんたちに迷惑をかけられているのに……?」

 安藤は巨大すぎる理不尽に直面して、今にも発狂しそうなほど愕然としていた。人間であるはずの増田が、何か違う脳を持った異生物のように思えた。話が全く通じない。焦燥感だけが募って吐き気がする。

「どうして、どうしてですか? もとはと言えば高木さんが嫌がらせしてくるから、こんなことが起こってるんですよ。被害者はあたしなのに、なんでみんなのために黙らなきゃいけないんですか!?」

「いいかげんにしろ、安藤!」

 増田に怒鳴られ、気圧された安藤が口をつぐんだ。

「今年お前は受験生なんだぞ。みんな勉強に集中するべき時に、お前のせいで授業が止まってるんだ。少しは考えなさい!」

 安藤は今にも泣きだしそうなのを必死でこらえていた。増田が、気を取り直して授業を進める。高木のことをきちんと注意してほしい安藤と、問題なく授業を続けたい増田の、一向に交わらない話の行先には、ただ漫然とした不毛があるだけだった。

 咲乃は胸の中に気怠さが起こるのを感じていた。4月の新学期にこのクラスに決まってから、自分のスタンスは変わっていない。行動指針があって、達成すべき目標がある。ならば、このくだらない状況にも率先して介入しなければならない。

 咲乃が手を上げようとした時、別の席から声が上がった。

「先生、それじゃ安藤さんがかわいそうです」

 悠真の呆れた声に、教室中のだれもが驚いた。予想していなかった人物が安藤を庇ったのだ。高木の顔色が変わった。

「安藤さんは、十分真面目な子ですよ。この時期、授業が大事だってことは安藤さんだって分かってます。元はと言えば、安藤さんの気を散らした高木さんたちに非があるんじゃないですかね」

「悠真……っ! アンタ、何言って――!」

 突然矢面に立たされた高木の顔が、見る間に真っ赤になった。
 女子の中でも目立つグループにいる彼女は、クラスで何をしても絶対安全な地位にいる。もちろん、社交的で活発な彼女は、増田からの好感度も高い。普段の彼女なら、今と同じ状況にあっても増田からは深く責められないし、悠真も口出さない。

 しかし、今の悠真の目は、高木を許さないと言っていた。

「高木。ストレス溜まってんのはわかるけどさ、ちょっとやりすぎなんじゃないの? 安藤さんがかわいそうじゃん」

 くだらないと吐き捨てるような言い方に、高木はキッと目を吊り上げた。悠真に反発しようと口を開く。

「ふざけ――!」

「俺さ、人の陰口言ってメンタル保ってる卑怯な奴が一番嫌いなんだよ」

 高木の顔から血の気が引いた。開いた口が恐怖に震える。全身が戦慄き、口の中がカラカラに乾いた。

「……ごめん……なさい……」

 高木に、先程までのしたたかさはもう残っていない。
 怯えた表情をした彼女の謝罪が、小さく教室内に響いた。
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