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Chapter2〈4 クラスの王様〉
ep43 まるで夢みたいな瞬間に浸る
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修学旅行2日目、咲乃は悠真等を含む班で清水焼の陶芸体験に参加していた。電動ろくろを使って器を作り、釉薬の色を決める。窯焼は職員がして、一か月後には自宅に郵送される。
体験授業は40分程度で終わり、その後は、班別行動として自由に京都を周って良いことになっていた。
咲乃と悠真たちは昼食に祇園商店街で蕎麦を食べると、その後はお土産屋を周って時間を潰した。祇園商店街には、同校の制服の他に他校の制服もちらほら目に入る。人通りの多い道を歩きながら、咲乃は悠真や日下たちから半歩後ろを歩いて京都の街並みを眺めていた。
前日の雨で照り返しが強くなった5月の陽光を浴びながら何件も土産屋を周っているうち、成海から要求を受けていた和菓子が目に入った。生八つ橋は日持ちがしないため郵送にしようかと、棚に並べられた様々な種類の八つ橋を吟味する。成海は甘いものに対してこだわりがないから、逆に選ぶのに苦労する。
「八つ橋買うんだ?」
悠真が声をかけてきて、咲乃は手に持っていたイチゴクリーム味の八つ橋の箱を棚に戻した。
「うん、お土産を頼まれているから。新島くんは何か買ったの?」
「別に。荷物になんの嫌だから。家族は修学旅行の土産なんて興味ないしさ」
「そう」
咲乃は柔く笑って短く返事をした。ここに成海がいたら、お土産もお出かけの楽しみなのにと不満そうにしたことだろう。
悩んだ挙句、こしあんと抹茶2種類の八つ橋の箱を2セット選んでレジへ向かった。サービスカウンターで成海宅と雅之宅へ郵送で送る手続きをする。明日には届くとのことだった。
用事を済ませて、悠真や日下たちの姿を探していると、女性用のネックレスを手に取っている悠真の姿を見つけた。
*
修学旅行を篠原咲乃と過ごせないことで、彩美は久々にやさぐれていた。修学旅行なら好きな人と同じ屋根の下で寝泊まりが出来るというのに、別のクラスになったせいで彼と顔を合わせる事すらできない。時々、人込みの中で咲乃が忙しそうに働いている姿を見止めるだけで、話しかけることさえままならないのだ。
そういう訳あって、彩美はやさぐれた気持ちのまま修学旅行に参加しているわけだが、旅先で気持ちが晴れるわけでもなく、むしろじめじめした古臭い建物を見て余計心を落ち込ませていた。
咲乃といられない修学旅行を過ごして楽しくなるわけがない。文化遺産とは知っているが、古ぼけた寺や仏像を見たところで彩美にとって何の感動も湧かない。彩美にとって、篠原咲乃こそが世界遺産に登録されるべき存在なのだ。篠原咲乃を一日中眺めていられるツアーがあるならいくら払っても参加したいところである。
しかし、学校一の美少女と言われるだけあって、彩美は胸の内に沸騰している不満など外面に出さない。いつも可愛い笑顔を顔中に張り付けて、脇役である女友達とお土産屋を徘徊している。
「ねぇ。これ可愛いくない?」
小学生の頃から付き合いのある少女が、テディベアモチーフのキーホルダーを彩美に見せた。ジュエリーショップに売っているわけではない、おもちゃのようなキーホルダーだった。
「可愛い―! そうだ、みんなでお揃いにしようよ!」
「友情の証だね。あたし一生大事にする!」
彩美は「かわいいー」などとはしゃいだふりをしながら、内心では「全然、京都関係ねぇだろ、それ」と毒づいていた。
彩美の友人は皆、おしゃれが好きで可愛いもの好きの魅力的な少女ばかりだ。部活も勉強もそこそこ楽しみながら、男子の友達も沢山いる。仲のいい友達とべったり一緒に行動し、恋愛になると簡単に崩壊するような薄っぺらい友情を語らいながら今を楽しむことで必死だ。いかに学生生活を青写真に落とし込むか。どうせ卒業したら連絡さえ取らなくなるだろう程度の友情なのに、全力で友達ごっこを演じて見せる。友情なんて軽く口にする人間こそ、信じてはいけないと彩美は思っている。
修学旅行にはしゃいだふりをしつつ、本心では誰も修学旅行に興味があるわけではなかった。ポップで色彩豊かな都会の風景に憧れを抱く少女たちの関心事は、自分がいかに映えるかということと、他校のイケメンのことのみだった。
「もっと楽しそうにしたらー? せっかくの修学旅行なのにシラけるじゃん」
彩美が猫をかぶってにこにこしていると、脇役のひとりが、彩美にしか聞こえない声で囁いた。
「篠原くんがいないのに楽しめるわけないじゃん。何で貴重な修学旅行を女同士で周って無駄にしなきゃなんないの!? 篠原くんと一緒に周りたかった! 篠原くんとお揃いでキーホルダー買いたかったの!!」
彩美が小声で癇癪を起していると、脇役から「どうどう」と馬をなだめるようなあやし方をされた。余計腹が立った。
学生であることは、それだけで魅力のステータスだ。制服を着て歩くだけでも色彩が華やぐ。溜息一つでも誰かの目を捉えて離さない。彩美はまさに華の女子中学生であり、彼女が持って生まれた可愛さを一点の曇りもなく思う存分に発揮できる貴重な瞬間だ。その瞬間こそ、隣には華やかな男がいなくてはならない。それなのに今彩美の隣には、輝かしいヒーローではなく、呆れた顔をしている女友達だ。
「ほーんと、彩美って恋愛以外興味ないよねー」
去年、彩美と同じクラスだったため、同じ女子グループにいるこの少女は、脇役の癖に彩美の根底にある気質をよく心得ている。愛花は、みんなと買ったキーホルダーを手の中に持て余しながら「しっかし、熊って。京都全く関係ないな」などとドライなことを言っていた。口調が可愛くないが、愛花自身は、年頃の女の子のようにお洒落で可愛いので誰も彼女のがさつな部分に気付かない。可愛いヒロインには、同じく見た目が華やかでドライで聞き役の親友モブポジションは必要不可欠だ。
ホテルに戻った後、彩美たちはすぐに温泉に浸かった。咲乃のいない修学旅行に来て、彩美が唯一良かったと思えることと言えば、ホテルの大浴場だった。温泉の効能の中に美肌効果があり、女子達の間で話題になっていたのだ。温泉に入ると、肌触りが滑らかになる。
美容に目がない彩美にとって、温泉の湯につかることは安らぎの時間ではない。どれだけ人より長く浸かって、温泉の成分を多く取り入れるかの真剣勝負の時間だ。友達が先に上がっていくのを横目に、彩美は誰よりも長湯した。サウナでデトックスをした後の長湯だった。友達の心配も案の定、のぼせて倒れて大騒ぎになった。
次の瞬間、彩美はホテルの医務室のベッドで目を覚ました。全裸だった自分の身体には、きちんと旅館着が着せられている。担任と養護教諭が女性で良かった。しっかり配慮された格好をしていて彩美は安堵した。
寝ている間、担任の先生と養護教諭が付き添っていたらしい。のぼせの原因は水分を取らなかったことと、長湯のし過ぎだと叱られた。頭痛や吐き気はするか等の体調面を聞かれて、彩美が問題はないことを伝えると、部屋に帰って安静にしているように言われた。
友達が持ってきてくれていたらしい、旅館着から下着とジャージに着替えて医務室を出る。医務室のドアの傍に咲乃が立っていた時は、彩美は再び失神しそうになった。
休憩所の自販機で、咲乃にスポーツドリンクを買ってもらった。湯冷めしたはずの頬に熱がたまるのを感じて、今自分がどんな姿なのかが気になった。今は学校のジャージを着ているが、髪の毛は若干濡れたままくしゃくしゃになっているし、風呂から上がってすぐに化粧水で保湿をしていないから、今自分の肌は乾燥している。
自分が今、自信を持てるほど可愛いとは言えない状態に思えて、彩美は恥ずかしくなった。しかし、咲乃といられるチャンスを無駄にしたくもない。
「ジュ、ジュースありがとう……。でも、何で、篠原くんが……?」
隣で一緒にスポーツドリンクを飲んでいるジャージ姿の彼を見て、彩美はドキドキしながらなぜ待っていてくれていたのか尋ねた。
咲乃からシャンプーと石鹸の香りが漂ってくる。入浴を済ませてきた後なのだということが分かって頭がくらくらした。
「橋本さんと廊下で鉢合わせた時に、山口さんが倒れたと聞いて、俺が代わりに先生を呼びに行ったんだよ。心配だったから待っていたんだ」
ただでさえ、学級委員の仕事で忙しい彼を、自分のせいで引き留めてしまったことに彩美は負い目を感じた。
「あ、あの、ごめんね? 篠原くん、お仕事で忙しいのに……」
彩美が辿々しい口調で謝ると、咲乃はゆるりと首を横に振って柔らかく笑った。
「ううん。山口さんが無事で良かったよ」
咲乃に微笑まれて、彩美はどきりとして視線を外した。一面の大きな窓の外には、夜空に星が散らばっているのが見える。外はバルコニーになっているようだ。
「外へ出てみる?」
「えっ?」
驚いて咲乃の顔を見ると、はっとするほど優しく儚い笑顔を向けられていた。
「この時間なら、まだ開放されているから外には出られるよ。ここのホテル、夜景が奇麗だって有名なんだって」
「そ、そうなんだ」
まさか咲乃の方から誘われるとは思っていなかった。彩美が赤い顔のまま目を瞬かせていると、咲乃は彩美の手を取った。
「少し外で風にあたろう。まだ少し熱そうだから」
包まれた手の中で、彩美の指の先から熱がともる。熱を与えたのは誰のせいだろう。
彩美は咲乃に促されるままバルコニーへ出た。緩い風が頬を撫でて、濡れていた髪を揺らす。目の前に広がる京都の街灯りの、豊かな色彩を持った輝きは、彩美の大きな瞳でさえ捉えきれない。
あっさり離れた手に寂しさを残して、夜風よりも柔らかい笑顔で咲乃が笑う。その顔があまりにも美しくて、彩美は耐え切れずに目線を夜景に戻した。夜景を見ていた方が、心臓には優しかった。
「橋本さんが、俺を頼ってくれてよかった」
彩美は再び咲乃の方を見た。咲乃は可笑しそうに口元を押さえてくすくすと笑っていた。
「橋本さんに言われたんだ。『友達なら手伝ってよ』って」
「えぇっ、愛花ったらそんなこと言ったの!?」
ただでさえ、自分のクラスのことで忙しくしている咲乃に、なんて雑なお願いの仕方だろう。愛花も去年は、咲乃と同じクラスだったからって、図々しすぎるのではないか。
「でも、もう違うクラスだから関係ないと思われていたら悲しいから、頼ってくれた時は嬉しかったよ。橋本さんにも、山口さんにも」
「……そう、だよね」
咲乃がそう言ってくれるのは嬉しい。去年のクラスを、親しんでくれているのだとわかるから。
でもそれは、彩美とって望ましい形ではない。彩美がなりたいのは、そんなものではない。去年同じクラスだった友達だなんて。
彩美は複雑な気持ちを抱えたまま、夜景を眺めた。
「戻ろう。あまり冷え過ぎてしまうといけないし。橋本さんによろしく言っておいてね」
「うん、愛花に言っておくね。こちらこそ、ありがとう。篠原くん」
その後彩美は、咲乃と他愛のない話をしながら部屋に戻った。お礼を言おうと愛花のもとへ近づくと、愛花は布団の上でスマホをいじっていた。
「おっかえりー。だから、長風呂はほどほどにしろって言ったじゃん」
「ごめん。色々ありがと」
愛花に言われて、彩美はばつの悪い想いで謝った。愛花は彩美がおとなしく謝るのを聞いて、口角を上げた。
「で、篠原くんとの時間を作ってあげたんだからさ。今度なんか奢ってよね」
可愛いヒロインには、同じく華やかで有能な聞き役の親友が必要不可欠である。彩美は、目の前の有能な親友に深く感謝した。
体験授業は40分程度で終わり、その後は、班別行動として自由に京都を周って良いことになっていた。
咲乃と悠真たちは昼食に祇園商店街で蕎麦を食べると、その後はお土産屋を周って時間を潰した。祇園商店街には、同校の制服の他に他校の制服もちらほら目に入る。人通りの多い道を歩きながら、咲乃は悠真や日下たちから半歩後ろを歩いて京都の街並みを眺めていた。
前日の雨で照り返しが強くなった5月の陽光を浴びながら何件も土産屋を周っているうち、成海から要求を受けていた和菓子が目に入った。生八つ橋は日持ちがしないため郵送にしようかと、棚に並べられた様々な種類の八つ橋を吟味する。成海は甘いものに対してこだわりがないから、逆に選ぶのに苦労する。
「八つ橋買うんだ?」
悠真が声をかけてきて、咲乃は手に持っていたイチゴクリーム味の八つ橋の箱を棚に戻した。
「うん、お土産を頼まれているから。新島くんは何か買ったの?」
「別に。荷物になんの嫌だから。家族は修学旅行の土産なんて興味ないしさ」
「そう」
咲乃は柔く笑って短く返事をした。ここに成海がいたら、お土産もお出かけの楽しみなのにと不満そうにしたことだろう。
悩んだ挙句、こしあんと抹茶2種類の八つ橋の箱を2セット選んでレジへ向かった。サービスカウンターで成海宅と雅之宅へ郵送で送る手続きをする。明日には届くとのことだった。
用事を済ませて、悠真や日下たちの姿を探していると、女性用のネックレスを手に取っている悠真の姿を見つけた。
*
修学旅行を篠原咲乃と過ごせないことで、彩美は久々にやさぐれていた。修学旅行なら好きな人と同じ屋根の下で寝泊まりが出来るというのに、別のクラスになったせいで彼と顔を合わせる事すらできない。時々、人込みの中で咲乃が忙しそうに働いている姿を見止めるだけで、話しかけることさえままならないのだ。
そういう訳あって、彩美はやさぐれた気持ちのまま修学旅行に参加しているわけだが、旅先で気持ちが晴れるわけでもなく、むしろじめじめした古臭い建物を見て余計心を落ち込ませていた。
咲乃といられない修学旅行を過ごして楽しくなるわけがない。文化遺産とは知っているが、古ぼけた寺や仏像を見たところで彩美にとって何の感動も湧かない。彩美にとって、篠原咲乃こそが世界遺産に登録されるべき存在なのだ。篠原咲乃を一日中眺めていられるツアーがあるならいくら払っても参加したいところである。
しかし、学校一の美少女と言われるだけあって、彩美は胸の内に沸騰している不満など外面に出さない。いつも可愛い笑顔を顔中に張り付けて、脇役である女友達とお土産屋を徘徊している。
「ねぇ。これ可愛いくない?」
小学生の頃から付き合いのある少女が、テディベアモチーフのキーホルダーを彩美に見せた。ジュエリーショップに売っているわけではない、おもちゃのようなキーホルダーだった。
「可愛い―! そうだ、みんなでお揃いにしようよ!」
「友情の証だね。あたし一生大事にする!」
彩美は「かわいいー」などとはしゃいだふりをしながら、内心では「全然、京都関係ねぇだろ、それ」と毒づいていた。
彩美の友人は皆、おしゃれが好きで可愛いもの好きの魅力的な少女ばかりだ。部活も勉強もそこそこ楽しみながら、男子の友達も沢山いる。仲のいい友達とべったり一緒に行動し、恋愛になると簡単に崩壊するような薄っぺらい友情を語らいながら今を楽しむことで必死だ。いかに学生生活を青写真に落とし込むか。どうせ卒業したら連絡さえ取らなくなるだろう程度の友情なのに、全力で友達ごっこを演じて見せる。友情なんて軽く口にする人間こそ、信じてはいけないと彩美は思っている。
修学旅行にはしゃいだふりをしつつ、本心では誰も修学旅行に興味があるわけではなかった。ポップで色彩豊かな都会の風景に憧れを抱く少女たちの関心事は、自分がいかに映えるかということと、他校のイケメンのことのみだった。
「もっと楽しそうにしたらー? せっかくの修学旅行なのにシラけるじゃん」
彩美が猫をかぶってにこにこしていると、脇役のひとりが、彩美にしか聞こえない声で囁いた。
「篠原くんがいないのに楽しめるわけないじゃん。何で貴重な修学旅行を女同士で周って無駄にしなきゃなんないの!? 篠原くんと一緒に周りたかった! 篠原くんとお揃いでキーホルダー買いたかったの!!」
彩美が小声で癇癪を起していると、脇役から「どうどう」と馬をなだめるようなあやし方をされた。余計腹が立った。
学生であることは、それだけで魅力のステータスだ。制服を着て歩くだけでも色彩が華やぐ。溜息一つでも誰かの目を捉えて離さない。彩美はまさに華の女子中学生であり、彼女が持って生まれた可愛さを一点の曇りもなく思う存分に発揮できる貴重な瞬間だ。その瞬間こそ、隣には華やかな男がいなくてはならない。それなのに今彩美の隣には、輝かしいヒーローではなく、呆れた顔をしている女友達だ。
「ほーんと、彩美って恋愛以外興味ないよねー」
去年、彩美と同じクラスだったため、同じ女子グループにいるこの少女は、脇役の癖に彩美の根底にある気質をよく心得ている。愛花は、みんなと買ったキーホルダーを手の中に持て余しながら「しっかし、熊って。京都全く関係ないな」などとドライなことを言っていた。口調が可愛くないが、愛花自身は、年頃の女の子のようにお洒落で可愛いので誰も彼女のがさつな部分に気付かない。可愛いヒロインには、同じく見た目が華やかでドライで聞き役の親友モブポジションは必要不可欠だ。
ホテルに戻った後、彩美たちはすぐに温泉に浸かった。咲乃のいない修学旅行に来て、彩美が唯一良かったと思えることと言えば、ホテルの大浴場だった。温泉の効能の中に美肌効果があり、女子達の間で話題になっていたのだ。温泉に入ると、肌触りが滑らかになる。
美容に目がない彩美にとって、温泉の湯につかることは安らぎの時間ではない。どれだけ人より長く浸かって、温泉の成分を多く取り入れるかの真剣勝負の時間だ。友達が先に上がっていくのを横目に、彩美は誰よりも長湯した。サウナでデトックスをした後の長湯だった。友達の心配も案の定、のぼせて倒れて大騒ぎになった。
次の瞬間、彩美はホテルの医務室のベッドで目を覚ました。全裸だった自分の身体には、きちんと旅館着が着せられている。担任と養護教諭が女性で良かった。しっかり配慮された格好をしていて彩美は安堵した。
寝ている間、担任の先生と養護教諭が付き添っていたらしい。のぼせの原因は水分を取らなかったことと、長湯のし過ぎだと叱られた。頭痛や吐き気はするか等の体調面を聞かれて、彩美が問題はないことを伝えると、部屋に帰って安静にしているように言われた。
友達が持ってきてくれていたらしい、旅館着から下着とジャージに着替えて医務室を出る。医務室のドアの傍に咲乃が立っていた時は、彩美は再び失神しそうになった。
休憩所の自販機で、咲乃にスポーツドリンクを買ってもらった。湯冷めしたはずの頬に熱がたまるのを感じて、今自分がどんな姿なのかが気になった。今は学校のジャージを着ているが、髪の毛は若干濡れたままくしゃくしゃになっているし、風呂から上がってすぐに化粧水で保湿をしていないから、今自分の肌は乾燥している。
自分が今、自信を持てるほど可愛いとは言えない状態に思えて、彩美は恥ずかしくなった。しかし、咲乃といられるチャンスを無駄にしたくもない。
「ジュ、ジュースありがとう……。でも、何で、篠原くんが……?」
隣で一緒にスポーツドリンクを飲んでいるジャージ姿の彼を見て、彩美はドキドキしながらなぜ待っていてくれていたのか尋ねた。
咲乃からシャンプーと石鹸の香りが漂ってくる。入浴を済ませてきた後なのだということが分かって頭がくらくらした。
「橋本さんと廊下で鉢合わせた時に、山口さんが倒れたと聞いて、俺が代わりに先生を呼びに行ったんだよ。心配だったから待っていたんだ」
ただでさえ、学級委員の仕事で忙しい彼を、自分のせいで引き留めてしまったことに彩美は負い目を感じた。
「あ、あの、ごめんね? 篠原くん、お仕事で忙しいのに……」
彩美が辿々しい口調で謝ると、咲乃はゆるりと首を横に振って柔らかく笑った。
「ううん。山口さんが無事で良かったよ」
咲乃に微笑まれて、彩美はどきりとして視線を外した。一面の大きな窓の外には、夜空に星が散らばっているのが見える。外はバルコニーになっているようだ。
「外へ出てみる?」
「えっ?」
驚いて咲乃の顔を見ると、はっとするほど優しく儚い笑顔を向けられていた。
「この時間なら、まだ開放されているから外には出られるよ。ここのホテル、夜景が奇麗だって有名なんだって」
「そ、そうなんだ」
まさか咲乃の方から誘われるとは思っていなかった。彩美が赤い顔のまま目を瞬かせていると、咲乃は彩美の手を取った。
「少し外で風にあたろう。まだ少し熱そうだから」
包まれた手の中で、彩美の指の先から熱がともる。熱を与えたのは誰のせいだろう。
彩美は咲乃に促されるままバルコニーへ出た。緩い風が頬を撫でて、濡れていた髪を揺らす。目の前に広がる京都の街灯りの、豊かな色彩を持った輝きは、彩美の大きな瞳でさえ捉えきれない。
あっさり離れた手に寂しさを残して、夜風よりも柔らかい笑顔で咲乃が笑う。その顔があまりにも美しくて、彩美は耐え切れずに目線を夜景に戻した。夜景を見ていた方が、心臓には優しかった。
「橋本さんが、俺を頼ってくれてよかった」
彩美は再び咲乃の方を見た。咲乃は可笑しそうに口元を押さえてくすくすと笑っていた。
「橋本さんに言われたんだ。『友達なら手伝ってよ』って」
「えぇっ、愛花ったらそんなこと言ったの!?」
ただでさえ、自分のクラスのことで忙しくしている咲乃に、なんて雑なお願いの仕方だろう。愛花も去年は、咲乃と同じクラスだったからって、図々しすぎるのではないか。
「でも、もう違うクラスだから関係ないと思われていたら悲しいから、頼ってくれた時は嬉しかったよ。橋本さんにも、山口さんにも」
「……そう、だよね」
咲乃がそう言ってくれるのは嬉しい。去年のクラスを、親しんでくれているのだとわかるから。
でもそれは、彩美とって望ましい形ではない。彩美がなりたいのは、そんなものではない。去年同じクラスだった友達だなんて。
彩美は複雑な気持ちを抱えたまま、夜景を眺めた。
「戻ろう。あまり冷え過ぎてしまうといけないし。橋本さんによろしく言っておいてね」
「うん、愛花に言っておくね。こちらこそ、ありがとう。篠原くん」
その後彩美は、咲乃と他愛のない話をしながら部屋に戻った。お礼を言おうと愛花のもとへ近づくと、愛花は布団の上でスマホをいじっていた。
「おっかえりー。だから、長風呂はほどほどにしろって言ったじゃん」
「ごめん。色々ありがと」
愛花に言われて、彩美はばつの悪い想いで謝った。愛花は彩美がおとなしく謝るのを聞いて、口角を上げた。
「で、篠原くんとの時間を作ってあげたんだからさ。今度なんか奢ってよね」
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