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〈3 葛藤と決意の間〉
ep27 天使たちのクッキング①
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今日は、わたしと篠原くんとちなちゃんの3人で、チーズケーキとマドレーヌを作る。
ちなちゃんは黄色のチェック柄のエプロンを、篠原くんは黒いエプロンをつけている。ふたりのエプロン姿を見られるなんて、なんて幸せなんだろう。日頃のストレスが溶けていくような気がする。
チーズケーキとマドレーヌの作り方は、篠原くんが事前にレシピを調べてくれている。
料理なんて作ったことのないわたしからしたら、お菓子作りなんてハードルが高い気がするんだけど、ふたりがいるからきっと大丈夫。わたしはふたりの邪魔にならないように気を付けなきゃ。
マドレーヌ担当のわたしは、篠原くんの指示でさっそく卵を溶きほぐしはじめた。そこにグラニュー糖を加えてすり混ぜる。薄力粉とベーキングパウダーを加えて、粉っぽさが無くなるまでさらに混ぜる。
「頑張って、津田さん」
「うぬぬ……」
篠原くんに励まされながらひたすら混ぜる。腕がプルプルしてきた。普段、腕の筋肉を使う生活なんて送ってないからな……。
「篠原くん、クリームチーズいい感じです!」
チーズケーキ担当のちなちゃんが、ぴしっと敬礼して篠原くんに報告する。ちなちゃんは、お菓子作りの経験があるので、わたしよりも手際良く進んでいるみたいだ。
「それじゃあ、薄力粉をふるって生地になじませたら、しばらく冷蔵庫で冷やしておこうか」
「はいっ!」
一方、マドレーヌ担当のわたしは、マドレーヌ生地に溶かしバターとはちみつを加えて混ぜていた。
「ぐぬぬぬぬ……」
「もう少しだよ、津田さん。頑張って」
疲れた腕を頑張って動かす。バターと生地が混ぜ合わさったら、冷蔵庫で2時間程度休ませるのだ。
あともうちょっと、あともうちょっとで休憩できる……!
「津田さん、お疲れ様。時間まで、休んでいてね」
「はぁ、はぁ……はぁーい……」
めっちゃ疲れた。お菓子作りって、結構、体力使うのね……。
「篠原くん、こちらチーズケーキの準備が出来ました!」
「了解。じゃあ、チーズケーキを先に焼いてしまおうか」
紅茶用に、お湯を沸かしている篠原くんが、ちなちゃんに指示を出した。
生地は順調に焼き上がり、オーブンから取り出すと、甘くて香ばしい香りがキッチンに広がる。チーズケーキの出来上がりだ。
「うわぁ! おいしそう!」
ちなちゃんが、焼きあがったクリームチーズに感動して嬉しそうにしていた。
一方、ようやく2時間経ってマドレーヌの生地を取り出すと、しっとりしていた生地の質感が変わって、ねっとり生地に変わる。それを、型に流し込んで、オーブンで焼いたら出来上がり!
「ふわあ! マドレーヌ膨らんでる! ちゃんと膨らんでるよ?!」
「うん、良く出来たね、津田さん」
頑張った後の篠原くんの「頑張ったね」は疲れ切った心に効く。いい感じの焼き色だし、初めてのお菓子作りにしては上出来だ。
みんなで紅茶を用意したり、お皿やナイフをセッティングして、お茶会を始めた。わたしはさっそく、ちなちゃんの作ったチーズケーキを口の中にいれた。
濃厚でなめらかな舌触り。甘さも丁度良く、紅茶の組み合わせとも抜群だ。これではいくらでも食べられてしまう。わたしが、腕の筋肉を犠牲にしてつくったマドレーヌも、しっとりふわふわに出来上がっていた。
「そーいえばさ、篠原くん、あのおまじないの話どうなったの?」
幸せそうにチーズケーキを食べていたちなちゃんが、思い出したように篠原くんに尋ねた。わたしはくちいっぱいにチーズケーキを頬張りながら、なんのことか分からずに、目をぱちくりさせた。
「あぁ、あれは大したことじゃなくて。たまたまそういう話題が挙がっていたのを聞いただけだから」
篠原くんは紅茶を飲みながら、涼しい顔でちなちゃんの質問を受け流している。わたしはようやく口の中のものを飲み干した。
「おまじないって何のこと?」
「なるちゃん覚えてない? 小指に付けると両想いになれるっていう、赤い糸のおまじない」
「そんなのあったっけ?」
たしか小学3年生の頃、女子たちの間で、恋のおまじないが流行ってたような気がするけど。
昔から同い年の女の子の話題についていくのが苦手なんだよなぁ。流行とか、全然わからない。
「えー、なるちゃんも、おまじないやってたじゃん!消しゴムに好きな人の名前書くやつ!」
げっ! ちなちゃん、そんな事覚えてるの!?
「あっ、あれはその……若気のいたりというか、何と言うか……」
わたしの初恋は小学6年生の頃だった。クラスのある男子に淡い恋心を抱いていたわたしは、“消しゴムに好きな人の名前を書いて、最後まで使い切ると恋が叶う”と言う、おまじないの定番中の定番をまさに実践してみたことがあったのだ。
「津田さんの初恋? 可愛い時代もあったんだね」
にこにこ笑った篠原くんの言い方の中に茶化すような響きがあるのを感じて、むっとした。わたしだって現実の男子に憧れてた時くらいあったわ。
「なるちゃんたら、その消しゴム床に落としちゃって、本人の前で名前が丸見えになっちゃったんだよねー」
うわぁぁぁぁぁぁぁ! ちなちゃんやめてよぉぉぉぉ、わたしの黒歴史ぃぃぃぃぃぃ!
「それでみんなに知れ渡っちゃって大変だったんだよね!」
心の中に固く封じていた思い出を簡単に喋っちゃうなんて。酷いよ、ちなちゃん!
「それは大変だったね」
篠原くんにまで笑われてるし。あーもう、最悪。
「その人はなんて言う人なの?」
「新島悠真《にいじまゆうま》くんだよね、なるちゃん!」
ちなちゃん……。
「そっか。津田さんにもそういう時期があるんだ」
笑い過ぎて涙目になってる篠原くんを怒るにも怒れなくて、わたしは不貞腐れてチーズケーキを頬張った。
えぇ、ありましたとも。わたしのトラウマの一つとしてね。
「稚奈、篠原くんの恋愛の話聞きたい! 篠原くんの初恋っていつなの?」
ちなちゃんの目、キラッキラだ。ちなちゃんって、昔から恋バナ好きだったもんなぁ。
「うーん。ないんじゃないかな、少なくとも俺が覚えている範囲では」
篠原くんは、少しだけ考えるそぶりをした後、にこやかに笑って、ちなちゃんから浴びせられる期待の眼差しを軽やかに流した。
恋愛の話に縁が無さ過ぎるわたしには、関係のない話だ。恋愛だって、このマドレーヌの甘さには敵わない。
チーズケーキ、もう一切れ食べても良いだろうか。
「えーそうなの!? でも、篠原くんすごくモテるでしょ? 告白は? 今までどのくらいされたの?」
「期待されているほどでもないよ」
「じゃあー、好きなタイプは? どんな子が好き?」
ちなちゃんからの質問攻撃に対して、篠原くんは微笑んだままあやふやに応えるだけでイエスともノーとも言わない。あまり恋愛話は好きじゃないのかな。
「4組の小林莉子《こばやしりこ》って子、知ってる? 篠原くんの事、気になってるんだって」「篠原くん、山口彩美さんと仲が良いって聞いたけど、もしかして付き合ってたりするの?」「知ってる? 3組の加山くん、彼女いるんだって!」「今度、うちの友達とカラオケ行くんだけど、良かったら――」
「津田さん、マドレーヌ美味しいね」
篠原くんに話しかけられて、わたしは、口の中にたくさんマドレーヌを詰め込んだまま、こくこく頷づいた。
「ジャムを付けるともっと美味しいよ。色んな種類を用意してあるから、試してみない?」
まじか。
口の中をぱんぱんに膨らませたまま、目の前に並べられたジャムの瓶を手に取った。イチゴとブルーベリー。どっちのジャムを付けようかな。
*
夕飯の後、お風呂から出たわたしは、ベッドの上に寝転んだ。本当は、今日の分の課題をやらなきゃいけないんだけど、今日みたいに楽しい時間を過ごした日に勉強なんてやる気にならない。
「……30分……いや、あと1時間したら勉強しよ……」
そんなことを、うとうとしながら考えていると、ちなちゃんからLINEが届いた。
『なるちゃん 今日はありがとう◝(⑅•ᴗ•⑅)◜..°♡ お菓子作りすごくたのしかった(⋈◍>◡<◍)。✧♡ またやろー(*ฅ́˘ฅ̀*)♡』
今日は本当に楽しかったなぁ。チーズケーキも、マドレーヌも美味しかったし。
「うん!絶対に、また三人でやろうね」送信。
『うん♪ .◦(pq*´꒳`*)♥♥*。やろ! 次こそは 篠原くんの恋愛 聞きたいし(๑•̀ㅂ•́)و✧』
ちなちゃん、全く諦めてないんだな。
『今日こそ篠原くんの秘密を握るチャンスだったのに(๑-﹏-๑) なんで全然話してくれないんだろう?(´_ _`)シュン』
篠原くんの事を知りたいと思うちなちゃんの気持ち、よくわかるよ。わたしも篠原くんの事、知らないことばかりだもん。
ちなちゃんは黄色のチェック柄のエプロンを、篠原くんは黒いエプロンをつけている。ふたりのエプロン姿を見られるなんて、なんて幸せなんだろう。日頃のストレスが溶けていくような気がする。
チーズケーキとマドレーヌの作り方は、篠原くんが事前にレシピを調べてくれている。
料理なんて作ったことのないわたしからしたら、お菓子作りなんてハードルが高い気がするんだけど、ふたりがいるからきっと大丈夫。わたしはふたりの邪魔にならないように気を付けなきゃ。
マドレーヌ担当のわたしは、篠原くんの指示でさっそく卵を溶きほぐしはじめた。そこにグラニュー糖を加えてすり混ぜる。薄力粉とベーキングパウダーを加えて、粉っぽさが無くなるまでさらに混ぜる。
「頑張って、津田さん」
「うぬぬ……」
篠原くんに励まされながらひたすら混ぜる。腕がプルプルしてきた。普段、腕の筋肉を使う生活なんて送ってないからな……。
「篠原くん、クリームチーズいい感じです!」
チーズケーキ担当のちなちゃんが、ぴしっと敬礼して篠原くんに報告する。ちなちゃんは、お菓子作りの経験があるので、わたしよりも手際良く進んでいるみたいだ。
「それじゃあ、薄力粉をふるって生地になじませたら、しばらく冷蔵庫で冷やしておこうか」
「はいっ!」
一方、マドレーヌ担当のわたしは、マドレーヌ生地に溶かしバターとはちみつを加えて混ぜていた。
「ぐぬぬぬぬ……」
「もう少しだよ、津田さん。頑張って」
疲れた腕を頑張って動かす。バターと生地が混ぜ合わさったら、冷蔵庫で2時間程度休ませるのだ。
あともうちょっと、あともうちょっとで休憩できる……!
「津田さん、お疲れ様。時間まで、休んでいてね」
「はぁ、はぁ……はぁーい……」
めっちゃ疲れた。お菓子作りって、結構、体力使うのね……。
「篠原くん、こちらチーズケーキの準備が出来ました!」
「了解。じゃあ、チーズケーキを先に焼いてしまおうか」
紅茶用に、お湯を沸かしている篠原くんが、ちなちゃんに指示を出した。
生地は順調に焼き上がり、オーブンから取り出すと、甘くて香ばしい香りがキッチンに広がる。チーズケーキの出来上がりだ。
「うわぁ! おいしそう!」
ちなちゃんが、焼きあがったクリームチーズに感動して嬉しそうにしていた。
一方、ようやく2時間経ってマドレーヌの生地を取り出すと、しっとりしていた生地の質感が変わって、ねっとり生地に変わる。それを、型に流し込んで、オーブンで焼いたら出来上がり!
「ふわあ! マドレーヌ膨らんでる! ちゃんと膨らんでるよ?!」
「うん、良く出来たね、津田さん」
頑張った後の篠原くんの「頑張ったね」は疲れ切った心に効く。いい感じの焼き色だし、初めてのお菓子作りにしては上出来だ。
みんなで紅茶を用意したり、お皿やナイフをセッティングして、お茶会を始めた。わたしはさっそく、ちなちゃんの作ったチーズケーキを口の中にいれた。
濃厚でなめらかな舌触り。甘さも丁度良く、紅茶の組み合わせとも抜群だ。これではいくらでも食べられてしまう。わたしが、腕の筋肉を犠牲にしてつくったマドレーヌも、しっとりふわふわに出来上がっていた。
「そーいえばさ、篠原くん、あのおまじないの話どうなったの?」
幸せそうにチーズケーキを食べていたちなちゃんが、思い出したように篠原くんに尋ねた。わたしはくちいっぱいにチーズケーキを頬張りながら、なんのことか分からずに、目をぱちくりさせた。
「あぁ、あれは大したことじゃなくて。たまたまそういう話題が挙がっていたのを聞いただけだから」
篠原くんは紅茶を飲みながら、涼しい顔でちなちゃんの質問を受け流している。わたしはようやく口の中のものを飲み干した。
「おまじないって何のこと?」
「なるちゃん覚えてない? 小指に付けると両想いになれるっていう、赤い糸のおまじない」
「そんなのあったっけ?」
たしか小学3年生の頃、女子たちの間で、恋のおまじないが流行ってたような気がするけど。
昔から同い年の女の子の話題についていくのが苦手なんだよなぁ。流行とか、全然わからない。
「えー、なるちゃんも、おまじないやってたじゃん!消しゴムに好きな人の名前書くやつ!」
げっ! ちなちゃん、そんな事覚えてるの!?
「あっ、あれはその……若気のいたりというか、何と言うか……」
わたしの初恋は小学6年生の頃だった。クラスのある男子に淡い恋心を抱いていたわたしは、“消しゴムに好きな人の名前を書いて、最後まで使い切ると恋が叶う”と言う、おまじないの定番中の定番をまさに実践してみたことがあったのだ。
「津田さんの初恋? 可愛い時代もあったんだね」
にこにこ笑った篠原くんの言い方の中に茶化すような響きがあるのを感じて、むっとした。わたしだって現実の男子に憧れてた時くらいあったわ。
「なるちゃんたら、その消しゴム床に落としちゃって、本人の前で名前が丸見えになっちゃったんだよねー」
うわぁぁぁぁぁぁぁ! ちなちゃんやめてよぉぉぉぉ、わたしの黒歴史ぃぃぃぃぃぃ!
「それでみんなに知れ渡っちゃって大変だったんだよね!」
心の中に固く封じていた思い出を簡単に喋っちゃうなんて。酷いよ、ちなちゃん!
「それは大変だったね」
篠原くんにまで笑われてるし。あーもう、最悪。
「その人はなんて言う人なの?」
「新島悠真《にいじまゆうま》くんだよね、なるちゃん!」
ちなちゃん……。
「そっか。津田さんにもそういう時期があるんだ」
笑い過ぎて涙目になってる篠原くんを怒るにも怒れなくて、わたしは不貞腐れてチーズケーキを頬張った。
えぇ、ありましたとも。わたしのトラウマの一つとしてね。
「稚奈、篠原くんの恋愛の話聞きたい! 篠原くんの初恋っていつなの?」
ちなちゃんの目、キラッキラだ。ちなちゃんって、昔から恋バナ好きだったもんなぁ。
「うーん。ないんじゃないかな、少なくとも俺が覚えている範囲では」
篠原くんは、少しだけ考えるそぶりをした後、にこやかに笑って、ちなちゃんから浴びせられる期待の眼差しを軽やかに流した。
恋愛の話に縁が無さ過ぎるわたしには、関係のない話だ。恋愛だって、このマドレーヌの甘さには敵わない。
チーズケーキ、もう一切れ食べても良いだろうか。
「えーそうなの!? でも、篠原くんすごくモテるでしょ? 告白は? 今までどのくらいされたの?」
「期待されているほどでもないよ」
「じゃあー、好きなタイプは? どんな子が好き?」
ちなちゃんからの質問攻撃に対して、篠原くんは微笑んだままあやふやに応えるだけでイエスともノーとも言わない。あまり恋愛話は好きじゃないのかな。
「4組の小林莉子《こばやしりこ》って子、知ってる? 篠原くんの事、気になってるんだって」「篠原くん、山口彩美さんと仲が良いって聞いたけど、もしかして付き合ってたりするの?」「知ってる? 3組の加山くん、彼女いるんだって!」「今度、うちの友達とカラオケ行くんだけど、良かったら――」
「津田さん、マドレーヌ美味しいね」
篠原くんに話しかけられて、わたしは、口の中にたくさんマドレーヌを詰め込んだまま、こくこく頷づいた。
「ジャムを付けるともっと美味しいよ。色んな種類を用意してあるから、試してみない?」
まじか。
口の中をぱんぱんに膨らませたまま、目の前に並べられたジャムの瓶を手に取った。イチゴとブルーベリー。どっちのジャムを付けようかな。
*
夕飯の後、お風呂から出たわたしは、ベッドの上に寝転んだ。本当は、今日の分の課題をやらなきゃいけないんだけど、今日みたいに楽しい時間を過ごした日に勉強なんてやる気にならない。
「……30分……いや、あと1時間したら勉強しよ……」
そんなことを、うとうとしながら考えていると、ちなちゃんからLINEが届いた。
『なるちゃん 今日はありがとう◝(⑅•ᴗ•⑅)◜..°♡ お菓子作りすごくたのしかった(⋈◍>◡<◍)。✧♡ またやろー(*ฅ́˘ฅ̀*)♡』
今日は本当に楽しかったなぁ。チーズケーキも、マドレーヌも美味しかったし。
「うん!絶対に、また三人でやろうね」送信。
『うん♪ .◦(pq*´꒳`*)♥♥*。やろ! 次こそは 篠原くんの恋愛 聞きたいし(๑•̀ㅂ•́)و✧』
ちなちゃん、全く諦めてないんだな。
『今日こそ篠原くんの秘密を握るチャンスだったのに(๑-﹏-๑) なんで全然話してくれないんだろう?(´_ _`)シュン』
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