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六章 おっさんにミューズはないだろ!

初夏の憂鬱

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   ◇ ◇ ◇

 漆器まつりを終えた後。俺から塗りを学びながら、ライナスはローレンさんに漆芸への転向を納得させるための蒔絵の図案を考えるようになった。

 いくらライナスの呑み込みが早いからといっても、できることは限られてくる。限られた技術で、いかに自身の世界を表現することができるか――こればかりは俺が教えることはできない。ライナスが自分で考えて答えを出してもらうしかない。

 俺にできることは候補の図案を見ての感想を伝えることと、海外用に作った漆のパネルを手配すること。

 漆器は乾燥に弱い。国内なら心配はないが、国外だと乾燥が酷すぎて漆器が割れて駄目になることもある。だから海外の乾燥に耐えられる技術を持つ所に連絡し、ライナスがローレンさんに渡す蒔絵を施せる漆のパネルを特注した。

 費用は俺持ち。ライナスは遠慮したが、師匠の顔を立ててくれとゴリ押しで進めてしまった。

 本来俺は、誰かのためにここまで強引に動く人間じゃない。ライナスと一緒にやってきたせいで、強引さが移ってしまったのかもしれない。夫婦は顔や性格が似てくるという話は聞くが、俺たちもそうなのだろう。

 別に結婚した訳ではないが、俺たちはほぼ四六時中一緒にいる。共働きの世間一般の夫婦より、一日を共有する時間が長い。

 確実に俺たちの間で特別な繋がりが生まれている。それが嬉しくもあり、心苦しくもあった。俺がこの地にライナスを縛り付けている気がして……。

 こんな俺の引っ掛かりに、普段のライナスなら気づいていたかもしれない。
 だがライナスは蒔絵の図案に手こずり、煮詰まっていた。芸術に対して目の肥えたローレンさんを納得させる作品に、何を描けばいいのか見えてこない、と言っていた。

 俺は何も言えず、ライナスを見守り続けた。
 気づけば梅雨が終わり、初夏を迎えようとしていた。



「はぁ……」

 夕食を終えた後、ライナスは居間でぐったりと倒れ込んだ。

「そんなに暑くないのに、息がしにくいです……病気でしょうか?」

「これからの時期は湿気が酷くなるから、そのせいだろうな」

 俺は苦笑しながらライナスの隣に座り、少しでも息が楽になるようにと背中をさすってやる。

「地元民じゃないと、ここの夏は厳しいだろうな。もっと暑くなると、常にお温泉の中を泳いでいるような感じになるぞ」

「す、すごい所ですね……」

「ここの湿度は世界屈指だからな。まあ慣れるしかないな」

 いつもなら「頑張ります!」と力を込めて答えるだろうに、煮詰まって滅入っているせいか、ライナスから元気な反応が返ってこない。

 はぁ……と、再び物憂げなため息が返ってきて、俺は苦笑するしかなかった。

「少し夕涼みに外へ出るか? 今なら良いものが見られるかもしれない」

「良いもの、ですか?」

「ああ。ほら立て。行かないなら俺だけでも行くぞ」

「ひとりで夜に出歩くのは危険です! ワタシも行きます」

 勢いよくライナスが起き上がり、俺の袖を掴んでくる。

 これが同業者の寄り合いで集まったおっさん、じいさん連中なら、絶対に引き留めない。女性や子どもならともかく、男なら何かあってもどうにかするだろうという一種の信頼。見ようによっては放置が当然の、心配とは無縁の扱い。

 まあ雑で無関心な扱いのほうが俺は楽だ。だからライナスがちょっとしたことで俺を心配してくる姿を見ると、大げさだと思わずにいられない。

 もし辻口が相手だったら、「ふざけるな」と即座に一蹴していたと思う。しかしライナスに心配されると、どこか心地良さを覚えてしまう。愛されていることを実感して、俺の口元が自然と緩んだ。

「ここは夜のほうがまだ安全なんだが。熊と出くわす心配はないからな」

「ハッ……! これからは昼間も絶対にカツミさんをひとりにしません!」

「いや、お前、それはいつも通りだろ。まさかトイレまでついて来るなんて言い出す気じゃあ……」

「ダメですか?」

「やり過ぎだ。いつも通りでも一緒に居すぎだろうが――」

 そんなやり取りをしながら、俺たちは外に出る。夜七時を過ぎても、まだ空はぼんやりと明るい。

 宵の中、かろうじてお互いの姿を目にしながら、俺たちは廃屋がまばらに並ぶ小道を歩いていく。

 見せたかったものがすでに一つ、二つと虚空に浮かび、俺たちのお供をするかのように並び飛んでいた。
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