上 下
68 / 79
五章 二人で沈みながらも

手を繋がれて

しおりを挟む



 総湯周辺のテント群から抜けて、俺は細い路地を入る。町のメイン通りは観光客用に整備され、立ち並ぶ店々は和のテイストを加えた建物で統一されているが、一歩脇へ逸れれば、昔ながらの雑多で古めかしい景色が残っている。

 早歩きで来たせいで体が熱い。鼓動も早い。ライナスの言動のせいじゃない、と自分を無理に納得しようとする。だがアイツの顔を思い出した瞬間に熱がさらに込み上げ、俺はため息をつくしかなかった。

 こんな調子では先が思いやられる。ローレンさんと約束した時期が過ぎた後、俺は――。

「克己、お疲れさん」

 突然背後から辻口に話しかけられ、俺は弾かれたように振り向く。
 俺の様子に特に驚くこともなく、辻口は苦笑しながらペットボトル入りのお茶を差し出した。

「事情は濱中から簡単に聞いた。まあ、これでも飲んで落ち着け」

 この熱を抑え込みたくて、俺はありがたく辻口からお茶を受け取る。ごっ、ごっ、と喉で音を鳴らしながら飲めば、少しだけ体の内側が癒された。

 ふぅ、と息をついた俺に、辻口が小さく吹き出した。

「あの人間関係にドライな克己が、ここまで誰かに振り回される日が来るなんてなあ」

「笑いごとじゃないからな。あんな目立つことして、じいさん連中が何と言うか……」

「そこは濱中が機転を利かせて、ライナスが師匠を尊敬し過ぎて崇拝しているって説明したそうだ。あながち間違ってはないだろ? 物は言いようだ」

 濱中、何から何まですまない。彼には金輪際足を向けて寝られないと思っていると、辻口は笑みを薄くした。

「なあ克己。前から少し気になってたんだが、何をそんなに苦しんでいるんだ?」

 辻口の言葉に俺は軽く息を止める。自分のことに鈍いなら、俺のことにも鈍くなって欲しいと、心底思いながら答える。

「恥ずかしいだけだ。こんなおっさんを相手に、人前でベタ惚れを隠さないなんて」

「でも、嫌いじゃないから追い出さないし、破門にもしない。拒まずに一緒に居続けることが、お前の答えなんだもんな。いやあ、仲良きことは美しきかな」

「からかうな。人で遊ぶなら俺はもう戻る」

「悪いな、ついクセで。真面目な話は苦手だから、どうしても逃げたくなる」

 一旦朗らかに笑ってから、辻口は気を取り直したように尋ねてくる。

「恥ずかしいってだけなら、俺も脇でニヨニヨ眺めて楽しむだけなんだがな」

「楽しむな。悪趣味だぞ」

「いいだろそれぐらい。でもな、ライナスに熱い目を向けるくらいお前だって好きなクセに、なんで悲痛そうな時があるんだ?」

 辻口の言葉に俺は眉間を寄せる。
 保育園の頃からの付き合いで、下手すれば実の両親よりも一緒の時間を共有している相手。無愛想な俺の心の機微に気付けるのは辻口だけだ。

 周りは誰もいない。せめて腐れ縁の友人には言うべきかと口を開きかける。その時、

「カツミさん、どこですかー!」

 ライナスの声が聞こえてきて、俺はキュッと唇を引く。そして辻口の目に視線を合わせた。

「何も聞かないでくれ。頼む」

「いつか教えてくれるのか?」

「時期が来れば一目瞭然だ。お前からの文句は一切受け付けんからな」

 言いながら俺は踵を返し、メインの通りへ向かう。
 路地を出て見渡せば、すぐに辺りをキョロキョロと見渡している長身の金髪が目に入り、俺は「こっちだ」と手を振ってやる。

 俺に気づいた瞬間、ライナスは遠目でも分かるほど表情を輝かせ、俺に駆け寄り――ガバッ。勢いよく抱き着いてきた。

「カツミさん……っ!」

「こ、こら、落ち着けライナス」

 どうにか引き剥がそうとするが、まるで溺れて岩にしがみつくかのようなライナスの力に、俺は抗うのをやめた。

「用を足しに行ったついでに、少し休んでいただけだ。俺は人が多い場所は苦手なんだ」

 ライナスから息が止まる気配がした後、心底安堵するため息が零れた。

「良かった。カツミさんが、どこか遠くへ行ってしまうかと……」

「行く訳がないだろ。俺はずっとここでやっていく。離れるなんてあり得ない」

 もったいぶらずに即答してやると、ライナスから力が抜ける。ずしり、とライナスの重みが俺の肩にのしかかった。

「そろそろ離れろ。目立ちたくない」

「は、はい、すみません」

 慌てて俺から離れかけ、名残惜しげにギュッと抱き締めてからようやく解放してくれる。

 今日は漆器まつり。ここはメイン通り。まつりの会場から離れていても人は多い。遠巻きに俺たちの様子を見ている人間が何人もいる。早くここを離れなければ歩き出そうとしたが――。

「カツミさん……っ」

 ――グイッ。ライナスに手を握られ、俺の歩みを止められてしまう。

「あの、テントまで、手を繋ぎたいです」

「駄目だ。これ以上目立ちたくない」

「お願いします! 今日だけでいいので」

「……今日だけだぞ。すぐ離すからな」

 ここまで粘られて仕方なく折れてやる。これから作品を作るためのモチベーションを下げたくないとか、望みが通るまで落ち込み続けるから仕方なくとか、体を通してライナスを知っているからの割り切りもある。

 ただ、ライナスに悔いがないようにしたい、という思いが強い。後悔はないほうがいい。そのほうが――。

「カツミさん」

 ライナスに話しかけられて、俺は我に返る。

「ん、なんだ?」

「ずっとこのままでいたいです。カツミさんと、ずっと一緒に」

「そのために頑張るんだろうが。浮つくのは今日までだ。明日から気を引き締めていけ」

「はいっ」

 次第にライナスの様子が明るくなっていく。本当に俺のことが好きなんだな、と思うと胸の奥がむず痒くなってくる。

 勘弁してくれと思いながら、前よりもこの感覚に慣れて、心地良さすら覚えている自分がいる。

 握り合っている手が熱い。ふと気づけば俺は自分からライナスの手を強く握りしめていた。

 体がまたライナスを覚える。どんどん取り返しのつかないことになっていると分かっているのに、応えたくてたまらなくなる。

 ライナスからフフ、と嬉しげに笑う声がする。さぞ世の女性たちが見惚れる顔をしているだろう。これ以上色ボケする訳にもいかなくて、俺は努めて前を向き、ライナスを見ないまま歩いていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ
BL
『旦那様と僕』の番外編。 基本的にぽかぽか。

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

イケメン後輩が言い寄ってくるのですが……(汗)

希紫瑠音
BL
社会人・後輩×先輩 昼休みは一人でゆっくりと過ごしたい。 だけど邪魔をする男がいる。 イケメンな後輩、しかも人の話は聞かない、押しが強い。 迷惑なのに、彼のペースに引き込まれていく。 展開早め、いつの間に!?なシーンも多々あります。 えろ~いのは少なめ。しかもキスと下しか触ってない、そんな話です。 <登場人物> ◆文辻《ふみつじ》 経理課。けして人と関わるのが嫌いなわけではなく、昼休みはのんびろと自分のペースで過ごしたい。 仕事でははっきりと物申すことができるのに、豊来に押されまくる ◆豊来《ほうらい》 営業課。容姿に優れている。 文辻に対してマテができない、攻めて攻めて攻めまくる ◆水守《みずもり》 営業課。文辻と同期。文辻が困っていないかと心配している。 かまってちゃんでもある。

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【続編】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785

処理中です...