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シーズン2 私の邪悪な魔法使いの友人の弟子
エピローグ 1)優しい心遣いを示してくれる召使い
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吊るされている光景。生きながらに焼かれる場面。残酷な死の光景が脳裏を去らない。
あれは世界に空いた黒い穴だった。舌を出した蛇が目の前を横切るようにして、ふとしたとき、その記憶が蘇り、私を黒い穴に引き落とそうとする。
死は傍観していればいいだけのものでもなかった。死が近づき、私を取り込もうともした。
首を絞める生々しい感触が残っている。私だって死の光景の一つになりかけた。
本当に悲しい。とても辛い。この苦しみ、誰だって理解してくれるだろう。同情してくれるだろう。
しかし、いつまでも自室で憂鬱としているわけにはいかない。それもわかっている。
仕事に戻らなければいけない。
とはいえ、私が不在でも塔は回り始めているようであった。
新しい管理人、ファブリカンが塔を運営しているのだ。
それが順調にいっているのか、そうではないのか知らないが、誰も私を呼びに来ないのであるから、順調なのであろう。
その男が、私たちが拵えた執務室で、私が一緒に仕事をしていた仲間、アビュやサンチーヌたちと、これまで私が行っていた仕事をしている。
今の塔の状況について、私が知っている事実はこれくらいだ。
カルファルとも会ってはいない。
彼のような者が、誰かの下で真面目に仕事をするわけがない。出来るわけがない。
しかし相手はプラーヌスである。カルファルがどれだけ本気で嫌がろうが、そんなのは無駄なのである。
プラーヌスはその気になれば、カルファルの家族を人質に取る男。
カルファルには大事なシルヴァという赤子がいる。プラーヌスと対立するというリスクを取るくらいならば、その命令に大人しく従っておくのが無難。彼もこの塔で、働いているのであろう。
アリューシアとも会っていない。
とりあえず、破門は免れたようで、彼女はプラーヌスの弟子として、この塔に滞在を許されたが、引き換えに全ての財産を彼に奪われたらしい。ボーアホーブ領は彼の領土となったのだ。
そのための権利書やらも書かされているようで、プラーヌスが戯れにそのようなことを口走ったわけではないことは明らか。
しかし、今、ボーアホーブ領は無人。王国では内戦も続いている。
このまま放っておけば、野盗が廃城に住み着いてしまうかもしれない。
ギャラック家だって滅んだわけではない。継嗣は死んだが、当主は生きていて、その所領に残っている。
ボーアホーブ領を自分のものとするという企みは実行不可能に近いようである。プラーヌスにどれだけの目算があるのか定かではない。
それはそれとして、アリューシアがボーアホーブ領を失い、この塔の住人になったことは事実。
彼女の部屋の扉をノックすれば、私を迎えてくれるであろう。
アビュとも会ってはいない。
私の助手のアビュ。彼女は今、ファブリカンの助手を務めているらしい。
その事実に、ちょっとした嫉妬のような感情を感じてしまう。しかも彼女が私よりも、ファブリカンに懐きなんてしたら、本当に嫌だ。
しかしもはや、私は助手などといった贅沢な存在を所有出来る身分ではない。
塔に帰って、私が会ったのは、今のところプラーヌスだけである。
私は塔の管理人のナンバー1のポジションを失ったが、まだプラーヌスとは友人関係にあるようで、彼は私の部屋に来たりする。
まだ、まともに食事が喉を通らないから断ってはいるが、依然として夕食は彼と食べることになるようでもある。彼はいつも通り、応接の間での夕食を誘ってくれるのである。
しかしあの戦いで衝撃的な経験をして、食欲などない。まともに眠ることも出来ていない。酒を飲みながら、絵が描くこと。私が出来る行動はこれくらい。
画家で良かったと思う。酒を飲む以外に、自分を癒す術があって。
深夜どころか、朝が来ても描き続けていた。眠れないのだから仕方がない。
しかし、そのせいで私はとあることに気づいた。早朝、私の朝食を扉の前にまで運んでくれる召使いの存在である。
いや、もちろんこれまでだって気づいてはいた。扉を開ければ、毎日、ちゃんと朝食が置かれているのだ。
そのトレイに、花瓶に花が添えられていたりする。何だか思いやりが籠った仕事。いつも、私はそれに感動をしていた。
しかしそのような心遣いを示してくれる召使いが誰なのか、いまだに知らなかった。
つまり、私が気づいたことは、こういうことである。
その召使いと顔を合わせようと思えば、かすかな物音が聞こえたとき、さっと扉を開ければいいという事実。
そして、そのときに言えばいいのである。「いつもありがとう」と。その何者かに感謝を伝える機会が、私にはあるわけだ。
だが、私は躊躇してしまう。自分がとても酷い顔をしているからだろうか。睡眠もまともに取らず、無精髭も伸びている。そんな私が扉から出てくれば、きっとその召使いは驚くだろう。
いや、それでも結局、私はそれを実行に移してしまうのだ。部屋に独りで引きこもっている癖に、本当は寂しくて、誰かと言葉を交わして溜まらなかったからかもしれない。
驚ろかさないように、わざと足音を鳴らして、扉の前に行く。そしてそっと扉を開いた。扉の向こうで、ハッと息を飲む気配を感じた。
「驚かしてすまない」
私はすぐに声を掛ける。
「いえ」
女性のようだ。私はその声に聞き覚えがあるような気がした。
「ありがとう、いつも朝食を届けてくれて。それを感謝したくてね」
そのような挨拶の言葉も考えていた。私はゆっくりと扉を開けながら、そのセリフを再現しようとする。
しかし扉の隙間、私はその召使いの姿を見て、言葉を失った。
あれは世界に空いた黒い穴だった。舌を出した蛇が目の前を横切るようにして、ふとしたとき、その記憶が蘇り、私を黒い穴に引き落とそうとする。
死は傍観していればいいだけのものでもなかった。死が近づき、私を取り込もうともした。
首を絞める生々しい感触が残っている。私だって死の光景の一つになりかけた。
本当に悲しい。とても辛い。この苦しみ、誰だって理解してくれるだろう。同情してくれるだろう。
しかし、いつまでも自室で憂鬱としているわけにはいかない。それもわかっている。
仕事に戻らなければいけない。
とはいえ、私が不在でも塔は回り始めているようであった。
新しい管理人、ファブリカンが塔を運営しているのだ。
それが順調にいっているのか、そうではないのか知らないが、誰も私を呼びに来ないのであるから、順調なのであろう。
その男が、私たちが拵えた執務室で、私が一緒に仕事をしていた仲間、アビュやサンチーヌたちと、これまで私が行っていた仕事をしている。
今の塔の状況について、私が知っている事実はこれくらいだ。
カルファルとも会ってはいない。
彼のような者が、誰かの下で真面目に仕事をするわけがない。出来るわけがない。
しかし相手はプラーヌスである。カルファルがどれだけ本気で嫌がろうが、そんなのは無駄なのである。
プラーヌスはその気になれば、カルファルの家族を人質に取る男。
カルファルには大事なシルヴァという赤子がいる。プラーヌスと対立するというリスクを取るくらいならば、その命令に大人しく従っておくのが無難。彼もこの塔で、働いているのであろう。
アリューシアとも会っていない。
とりあえず、破門は免れたようで、彼女はプラーヌスの弟子として、この塔に滞在を許されたが、引き換えに全ての財産を彼に奪われたらしい。ボーアホーブ領は彼の領土となったのだ。
そのための権利書やらも書かされているようで、プラーヌスが戯れにそのようなことを口走ったわけではないことは明らか。
しかし、今、ボーアホーブ領は無人。王国では内戦も続いている。
このまま放っておけば、野盗が廃城に住み着いてしまうかもしれない。
ギャラック家だって滅んだわけではない。継嗣は死んだが、当主は生きていて、その所領に残っている。
ボーアホーブ領を自分のものとするという企みは実行不可能に近いようである。プラーヌスにどれだけの目算があるのか定かではない。
それはそれとして、アリューシアがボーアホーブ領を失い、この塔の住人になったことは事実。
彼女の部屋の扉をノックすれば、私を迎えてくれるであろう。
アビュとも会ってはいない。
私の助手のアビュ。彼女は今、ファブリカンの助手を務めているらしい。
その事実に、ちょっとした嫉妬のような感情を感じてしまう。しかも彼女が私よりも、ファブリカンに懐きなんてしたら、本当に嫌だ。
しかしもはや、私は助手などといった贅沢な存在を所有出来る身分ではない。
塔に帰って、私が会ったのは、今のところプラーヌスだけである。
私は塔の管理人のナンバー1のポジションを失ったが、まだプラーヌスとは友人関係にあるようで、彼は私の部屋に来たりする。
まだ、まともに食事が喉を通らないから断ってはいるが、依然として夕食は彼と食べることになるようでもある。彼はいつも通り、応接の間での夕食を誘ってくれるのである。
しかしあの戦いで衝撃的な経験をして、食欲などない。まともに眠ることも出来ていない。酒を飲みながら、絵が描くこと。私が出来る行動はこれくらい。
画家で良かったと思う。酒を飲む以外に、自分を癒す術があって。
深夜どころか、朝が来ても描き続けていた。眠れないのだから仕方がない。
しかし、そのせいで私はとあることに気づいた。早朝、私の朝食を扉の前にまで運んでくれる召使いの存在である。
いや、もちろんこれまでだって気づいてはいた。扉を開ければ、毎日、ちゃんと朝食が置かれているのだ。
そのトレイに、花瓶に花が添えられていたりする。何だか思いやりが籠った仕事。いつも、私はそれに感動をしていた。
しかしそのような心遣いを示してくれる召使いが誰なのか、いまだに知らなかった。
つまり、私が気づいたことは、こういうことである。
その召使いと顔を合わせようと思えば、かすかな物音が聞こえたとき、さっと扉を開ければいいという事実。
そして、そのときに言えばいいのである。「いつもありがとう」と。その何者かに感謝を伝える機会が、私にはあるわけだ。
だが、私は躊躇してしまう。自分がとても酷い顔をしているからだろうか。睡眠もまともに取らず、無精髭も伸びている。そんな私が扉から出てくれば、きっとその召使いは驚くだろう。
いや、それでも結局、私はそれを実行に移してしまうのだ。部屋に独りで引きこもっている癖に、本当は寂しくて、誰かと言葉を交わして溜まらなかったからかもしれない。
驚ろかさないように、わざと足音を鳴らして、扉の前に行く。そしてそっと扉を開いた。扉の向こうで、ハッと息を飲む気配を感じた。
「驚かしてすまない」
私はすぐに声を掛ける。
「いえ」
女性のようだ。私はその声に聞き覚えがあるような気がした。
「ありがとう、いつも朝食を届けてくれて。それを感謝したくてね」
そのような挨拶の言葉も考えていた。私はゆっくりと扉を開けながら、そのセリフを再現しようとする。
しかし扉の隙間、私はその召使いの姿を見て、言葉を失った。
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