私の邪悪な魔法使いの友人

ロキ

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シーズン1 魔法使いの塔

エピローグ)夢、偽りの記憶、声

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 すっかり日が暮れてしまったようだ。
 あれほど美しかった風景は闇に閉ざされ、鮮やかな花の赤や黄も、匂い立つほど瑞々しい緑の草も、空を素直に映した小川の青も、全て黒い液体で塗り込まれてしまったかのようになっている。

 どこかから、狼の遠吠えが聞こえる。
 きっと、タテガミ狼の吠える声だろう。
 夜の闇はただ漠然とした恐怖に過ぎないが、獲物を求めて吠える狼は、いつ襲いかかってくるかわからない具体的な恐怖である。私は家路を急ぐために足を速める。

――シャグラン、君は絵を描くことに夢中になり過ぎると、時間の流れを忘れてしまう癖があった。

 私は絵を描くことに夢中になり過ぎると、時間の流れを忘れてしまう癖があった。
 自然を観察しながら描くということは、太陽の角度と光の量に過敏になることでもあるが、しかし目の前のキャンパスに夢中になり過ぎると、描こうとしていた自然から注意を逸らして、ただただ絵筆の動きだけに集中してしまう。
 気がつくと、辺りはすっかり真っ暗になっているなんてことはよくあることだった。

 自宅のアトリエや、庭先や街角で描いているのならば、その癖は何ら問題のないことであるが、森で写生しているときは、それはあまりに危険な悪癖。
 私は自分の迂闊さを、今更ながら後悔した。

――しかしその日は久しぶりの休日だった。

 しかし今日は久しぶりの休日だった。
 普段、私は街で肖像画を描いているので、仕事のない日くらいしか、自分の好きな題材を描けるチャンスはない。
 この日、無性に森の奥の小川の清流と、その周辺に咲く花を描きたかったので、ここまで遠出てしまったのである。

 夜になって初めて、帰り道のことまで計算に入れていないことに気がついた。
 僅かな月明かりを頼りに、私は恐る恐る足を前に踏み出して、街への道を急ぐ。

 とはいえ森の小道は、子供の頃から歩き慣れた道でもある。
 確かに、夜になると森は危険な場所に一変することは事実である。
 しかしこの森の中には、人食いグールもいなければ、底なしの沼もない。わずかであれ月光があれば、道に迷うこともないであろう。

――いや、そんなことはないさ。最近、盗賊団がこの森を根城にして、旅人を襲う事件が頻発していたのだから。

 しかし、私はふと思い出したことがあった。
 そういえば酒場でこのような噂を聞いたことがある。最近、盗賊団がこの森を根城にして、旅人を襲う事件が頻発しているというのだ。
 この前も、旅の一団が盗賊団に襲われ、所持品を根こそぎ奪われただけでなく、無残な惨殺死体で発見されたらしい。

 酒場で話しを聞いたとき、旅とは無縁の生活をしている私にとって、まるで関係のない事件だと聞き流したのであるが、今の私はまさにその旅人たちと同じような状況ではないか。
 街の城壁から遠く離れ、ただ一人歩く孤独な旅人! 

 私は思わず、腰に手を伸ばす。しかし自分の身を守るための護身用の武器なんて何一つ携えていなかった。
 まあ、そんな物を持っていても、武器に長じていない私には無意味な代物ではあるが。
 むしろ逃げるときに、その剣の重さが邪魔になるかもしれない。それなら、まだ丸腰のほうがましであろう。

 しかし馬に乗っているかもしれない盗賊団を相手にして、走って逃げ切るなんて不可能だ。
 しかも盗賊団というくらいだから、多数で群れているのであろう。見つかったら最後、もう諦めるしかないに違いない。

 私は祈った。どうにか奴らに見つからず、街に辿りつけますように、と。
 ああ、そもそも、こんな時間まで森の中で絵を描いていたことが間違いだったのだ。
 私としたことが、何という迂闊なことを仕出かしてしまったのだろう。
 こんな時間に、盗賊団が跋扈する危険な暗い森を、一人で歩くような真似をするなんて。

――それだけ君は絵を描くことに夢中だったのだ。仕方ない。

 しかし今更悔やんでも仕方がない。それだけ私は絵を描くことに集中していたのだから。
 それに今日の作業はとても楽しかった。まるで自然と一体になることが出来たかのようだった。
 これまでどれだけ努力しても、なかなか辿りつけなかった境地に、もしかしたら達することが出来たかもしれない。

 自分の絵にはどこか子供っぽいところがあって、自然を描くにしても、目の前の現実を映し切ることが出来ているという自覚はなかった。
 しかし今日描くことが出来た絵画は、これまでの自分の絵とは一味もふた味も違った。
 もしかしたら、絵描きとして、大きく成長することが出来たのではないか。
 そんなことすら思ってしまうほど、実りのある作業だったのだ。

 きっと、このような人生の変革と言うのは、危険と隣り合わせで何とか獲得出来る出来事。
 夜まで描くことに夢中になって、ようやく得ることが出来る報酬。だから帰り道、盗賊団と遭遇してしまうのも仕方がない結果。

 いやいや、まだ盗賊団と遭遇することが確定したわけではない。
 別に夜の森を一人で歩いているからって、必ず盗賊団に襲われるとは限らないではないか。
 この森は広い、盗賊団と遭遇してしまう確率なんて百回に一回あるかないであろう。
 その程度の危険ならば、私はこれから何度でも犯すだろう。自分の命の保証よりも、絵描きとして成功を尊ぶから。

――しかし運命というものはとても皮肉なものだ。そんな君の許に、ざわめきが聞こえる。それは君に死を運ぶ風の声。

 しかしそのとき、ふと人の話す声を耳にした。一瞬、幻聴かと思った。あるいは、夜行性の鳥、モリフクロウの鳴き声かと。
 しかしそれは明らかに人の声、男たちの話し声! 

 私の心臓はドキリと高鳴る。
 様子を伺うため、私は歩みを止める。
 話し声は着実に近づいてきていた。どこか別の方向ではなくて、確実にこっちのほうにへと。

 とにかく、どこかに隠れようと思った。
 森には多くの木が生い茂り、中には彼の胴回りよりも太い木もある。その裏に隠れれば、きっと逃げ切れるはずだ。

 しかしそのとき、私の視界に様々な色の塊が目に入る。
 私が盗賊団を視認するのと、盗賊団が私の姿を確認するのはほとんど同時だった。

 いや、前から来るその一行が盗賊団とは限らないではないか。
 確かに槍や剣、斧や弓などで武装している。身につけている防具も不揃いである。
 正規の軍隊でないことは間違いないであろう。とはいえ、傭兵の集団という可能性もある。あるいは冒険者の一団かもしれない。

 その男たちは、片手に酒瓶を持って、それをラッパ飲みしながら、もう一方の手で馬を曳いていた。
 その中の男たち数人と、目が合った。

 「今日の最初の獲物を発見、と」

 その中の一人が、ニヤリと笑みを浮かべながら言った。

 「金目の物は持ってそうにないな。しかも男だ」

 「しかし獲物は獲物。その発見を祝そう」

 そんな会話が耳に入り、私の僅かな希望が、薄い氷のように踏み砕かれた。
 もはや疑うべくもないだろう。どうやら噂の盗賊団と遭遇してしまったのである。

 あまりの恐怖で、私の身体は垂直の鉄のように硬直してしまった。
 逃げなければいけないのに、身体は動かない。その間にも盗賊団の男たちは、私の生への希望を踏み砕きながら近づいてくる。

――逃げるんだ、シャグラン、奴らに捕まれば、君は殺されるだろう。

 そうだ、奴らに捕まれば殺されるだろう。私は逃げる度胸もないほどの腰抜けじゃない。
 逃げ切れる保証はないが、ここで逃げなければ、いつ逃げるんだ! 

 私は身体にまとわりつく恐怖を振り払い、全速力で走った。
 手を思い切り振り上げ、足を前に踏み出す。大人になってこんなふうに走ったのは久しぶりかもしれない。
 しかし背後に足音が殺到する。「待ちやがれ、この子ウサギめ!」そんな怒号も聞こえる。

――走りにくいのならば、手に持ったキャンパスも捨てるべきだ。

 手に持っていたキャンパスが邪魔だった。こんな大きな物を持っていたら、走るに走れない。さっさと捨てるべきだろう。

 しかし一瞬、躊躇してしまった。
 それは苦労して描き上げた労作。生まれて初めて描き上げることが出来たかもしれない傑作。それを捨ててしまっていいのか? 

 確かに死んでしまえば何の意味もない。生きていれば、いつかこの作品以上の物をまた描くことも出来るかもしれない。
 しかしこんな可能性だってある。例え奴らに殺されても、この作品は残るかもしれないという可能性が。

 その絵は完全に完成したわけではないが、見る者が見れば、その価値を評価してくれるかもしれない。
 自分の死体の近くにあれば、誰かが発見してくれるだろう。
 どうせ死ぬのなら、その絵を抱きながら死にたい。
 私はそんな感傷的なことを思う。

――駄目だ、シャグラン、すぐにその絵を捨てろ。まずは生き残ることを考えるんだ! 

 しかし結局、私はキャンパスを捨てた。死後の名声なんかよりも、まず生き残ることに全力を傾けるべきだと思ったから。そう覚悟を決めたのだ。

 私はキャンパスを捨てただけでなく、絵筆やパレットの入ったカバンも捨てて、死に物狂いで走った。

 心なしか、追いかけてくる盗賊団の足音が遠ざかったような気がする。
 彼らは酒に酔っていたようだ。幸いにも木々が迫り合った狭い森だから、馬にも乗ることも不可能。

 もしかしたら逃げ切れるのではないか? 

 私の胸の中に希望が去来する。

――しかし君は逃げ切れない。不運にも木の株に足を取られ、躓いてしまう。

 しかし私は地面に突き出ていた木の株に躓き、豪快に転んでしまった。
 勢いよく転んだものだから、どっちが空なのか、地面なのかわからなくなる。それどころか、さっきまでどの方向に向かって逃げようとしていたのかすら、失念した。
 私は慌てて立ち上がり、何とか方向感覚を取り戻そうと必死にあがくが、大勢の足音が耳の中でこだまする。
 私の周りを盗賊団が取り囲んだ。

 「なかなか、逃げ足の速い子ウサギのようだな。手こずらせやがって!」

 「金目の物を出せ。場合によれば、命だけは助けてやっても良いぜ」

 「しかしお前の命が助かるには、金貨十枚は必要だ。それがなければ殺す」

 私は自分の運命を呪った。いや、むしろ神の意志を呪った。
 どうして神は盗賊団に味方したのか? まるで奴らに利するために、あのような場所に木の株を放置したようなものではないか? 神がこんな悪の集団に味方するなんて!
 それとも私は、かつて神を怒らせるような、何か大きな間違いを犯したことがあるだろうか? 

――君は絶体絶命だ。盗賊団たちに周りを囲まれる。奴らは見るからに凶暴そうで、慈悲の欠片など持ち合せていないかのよう。君は諦める。ここまで育ててくれた、母と姉に、別れの言葉をつぶやく。君の瞳に大量の涙が浮かび上がる。

 ああ、私はもう終わりだ。さようなら、母さん、姉さん。ここまで立派に育ててくれて本当にありがとう。短い人生だったけれど、悪くない人生だったと思う。

――しかし、このときに僕が現れたわけだよ、シャグラン。まるで物語の中の英雄のように颯爽と現れ、盗賊団の男たちを一瞬で死滅させる。君は僕に命を救われる。

 盗賊団が近づいてくる。
 差し迫った本物の恐怖に、私は何も喋ることが出来ない。動くことも出来ない。
 奴らの持っている剣や槍が、月の明かりに反射して、不気味に光る。まるで狼の牙か、イボイノシシの角のように鋭い。
 それに切り裂かれて、自分は死ぬことになるのだろう。

 私は迫りくる運命を見ていられなくて、目を閉じた。
 しかしそのとき、悲鳴が沸き起こった。
 私は驚愕しながら目を開ける。

 まるで滝のように、空から何かが降り注いでいる。
 とても鋭くて、硬いもの。鉄のような、鉛のような、鋼のような刃物。
 それが空から大量に落ちていた。地面や木々、そして盗賊団の男たちの頭や肩に。

 断末魔と共に、血が吹き上がる。その雨に打たれて、盗賊団の男たちの肉体は裂かれていく。
 肩当ても兜も効かない。その重い塊は彼らの防具に穴を開けて、鈍い音を立てて突き刺さる。

 私が呆然と見ている間に、盗賊団の男たちは全て息絶えていった。

 「これで良かったのかな? 君は被害者になりかけていて、そして奴らは加害者になろうとしていた悪い男たち、だよね?」

 すぐ傍でそんな声がした。ふと見ると、傘を持った若い男がすぐに横に立っている。
 知らない間に、私は彼の差す傘の下にいたようだ。

 「奴らが何か武器を持っていたのは見た。そして君は丸腰の様子」

 どうやらこの男が助けてくれたようだ。
 黒いローブを着ている。その服装、そして盗賊団の男たちが一瞬で死滅した能力、間違いなく魔法使いであろう。

 「は、はい。彼らは多分、最近、この辺りに出没していたという、噂の盗賊団だと思います。突然、奴らに襲われたんです」

 私は恐怖で歯が噛み合わない。それにまだまだ事態を把握出来ていないせいで、自分を救ってくれたらしいこの男性に、心の底から感謝したい気持ちなのに、それを態度や言葉で上手く表現することが出来なかった。
 自分は本当に助かったのだろうか? まだどこからともなく盗賊団が襲ってきて、自分の命を奪おうとするのではないか。
 いや、この魔法使いの男が信頼出来るとも限らないのだ。
 だってこのような森に、魔法使いが一人で歩いているというのが、何やらおかしな話なのである。

 盗賊団には奪われなかったが、後から来た魔法使いに全てを奪われてしまうという可能性だってある。
 魔法使いは魔族と親しくする者。
 危険度で言えば、盗賊団とさして変わらない。私は助けてもらったことを感謝しつつも、そぐ傍にいる魔法使いの出方を伺うように見つめる。

――君が疑うのも無理はない。突然、現れた魔法使いに命を救われるなんて奇跡、そうはないのだから。しかし僕の言い訳を聞いて、君は納得するだろう。

 「僕は酷い方向音痴でね。グラッペリという港街に行く用があったのだけど、すっかり道に迷ってしまったんだ」

 魔法使いは照れ笑いのような笑みを浮かべながらそう言ってきた。

 「ま、迷子ですか?」

 「まあ、そう言えるね」

 そのときの彼の照れ笑いを見て、さっきまで魔法使いに感じていた恐怖が不意に緩むのを感じた。
 その愛らしい照れ笑いは、盗賊団を一瞬で死滅させるような恐ろしい魔法を使った者とは思えなかった。自分と同じように、悲しいときに泣き、嬉しいときに笑う、普通の人間の表情である。

 この人は本当に偶然ここを通りかかり、私を助けてくれたのではないだろうか。
 彼の言っていることは全て本当かもしれない。
 そんな思いと共に、ようやく自分が危機から脱することが出来たことも実感し始めた。
 そして何が何でも、この男に恩を返したいという感情が突き上がってくる。

 「危ない場面を助けて頂いて、本当にありがとうございます。この恩、どうやって感謝すればいいのかわかりません。ところで、グラッペリは僕の住んでいる街です。良ければそこまで案内しますが」

 「ああ、それは有難い! 是非とも、その街まで案内して頂きたい」

 「しかしそれくらいでは到底、この恩を返すことは出来ないでしょう」

 「いや、恩なんて。君が襲われなくても、奴らはいつか僕を見つけたかもしれない。そう考えれば、ただ僕は自分の身を守っただけとも言える」

 私はその言葉にも、心を打たれた。

――そう、こうして君は僕を信頼した。友情が芽生えるきっかけとなったんだ! 

 プラーヌスのそんな言葉が、私の心の中に響いてくる。

――なるほど、君はこんなふうにして偽の記憶を植えつけるのか。

――出会いの場面が最も重要なのさ。それさえ上手くいけば、あとは簡単だ。それに君と僕とは本当の友人だった。偽の感情まで植えつける必要はない。本当の出来事と偽の記憶が混ざり合い、別の真実が誕生する。人は誰でも矛盾を厭うもの。記憶に空白があっても、君が勝手に都合良く辻褄を合わせてくれるのさ。君にかけた魔法は、簡単に解けることはないだろう。

 「そういえば、あなたの名前は?」

 私は自分の命を助けてくれた魔法使いに尋ねた。

 「名前? 僕はプラーヌス。一応、魔法使いさ。いや、まだ修行中かな。君は?」

 「シャグランと言います。画家の見習いです」

 「シャグラン、僕に敬語で話すのはやめてくれよ。年齢はあまり変わらないようなのだから」

 「そうですね。じゃあ、プラーヌス、とりあえずこのまま別れるのは忍びない。僕の家に寄って行かないか。きっと母や姉も君を歓迎するよ」

 「その街に知り合いは居ない。じゃあ、その言葉に甘えようかな」

 こうして私とプラーヌスは二人並んで、街に向かって歩き出す。その途中、雨が降ってきた。私は君の肩に身を寄せ、同じ傘の下に入る。
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