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シーズン1 魔法使いの塔
第一章 6)プラーヌスからの依頼
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鋼鉄製の門をくぐり、塔までまっすぐ伸びた小道を歩く。
門の向こうには掘立小屋が立ち並んでいたり、耕されている畑があったりで、人の気配がないわけではなかった。
実際、さっき門を開けてくれた農夫のような格好の男性や女性たちが、畑で仕事をしていたり、軒先で何かの作業に打ち込んでいる。
しかし塔の主が客を連れて歩いているというのに、挨拶どころか、その姿に誰も見向きもしなかった。
どうやらプラーヌスは、この塔の召使たちにまるで慕われていないようだ。
沈みかけた太陽の光を受けて、塔の影が遠くまで伸びている。
人の姿はちらほら見えるけど、どうにも活気がない。
まるで廃墟のようだ。
あるいは戦火に見舞われ、多くの村人が逃げたあとのよう。
何となく心が暗くなる風景である。ひょろ長い木の枝に、見せしめの首つり死体が掛かっていそうな雰囲気。
そんな暗い道を進むうちに、やがて塔の前にまで到着した。
塔の中に通じる扉は両開きの巨大な扉で、大砲の弾くらいは弾き返せるくらい頑丈そうである。
その一方、扉には至るところに細やかな細工が施されていて、この塔が、砦や城のように無骨な建物ではないことを示しているかのようだ。
長い槍を持ち、扉の前に立っていた門番係らしき二人の男が、力いっぱい扉を押す。
扉はくぐもった音を立てて、その口を開いた。
プラーヌスが扉の中に入っていく。
私もその後に続く。
塔の中に一歩入った途端、さっきまでとまるで違う空間に足を踏み入れたような感覚がした。
背筋を凍らすような冷気。
目に見えないが何かが近くをウロウロと浮遊しているようで、心が落ち着かない。
どこからか、誰かにジロジロと見つめられている気もする。
この感覚、何かに似ている。
そう、子供の頃、誤って墓場に彷徨いこんでしまったときの、あの心細さだ。
今にもその角から、何かが飛び出してきそうな不気味さ。
真っ暗な塔の通路や階段を、先程の召使いがランタンの光で私たちの足元を照らしてくれている。
石柱や石壁などに、細やかな魔法文字が刻まれているのか、ときおりそれが虹色にきらめいていた。
しかしその程度の灯りでは、この塔の暗黒に少しも抵抗出来ていない。
この塔に到着したときはまだ日は暮れていなかったはずなのに、塔の中は真夜中よりも暗かった。
はっきり言って、最初に塔を見上げたときに覚えた感動は、完全に消えていた。
確かに壮大な建物で、その偉観に心を打たれたことは事実だ。プラーヌスがそれを誇りに感じていることも理解出来る。
しかし私からすれば、墓場か処刑場で感じるような恐怖しか覚えなかった。
陰鬱な召使いたち、寒々しい塔の空気。
一刻も早く、明るくて温かいところに行きたい。私はそんな心境になりつつあった。
「応接の間に食事を用意している」
プラーヌスが階段を上りながら言ってきた。
「まあ、まだ客を迎えられるくらい整ってはいないんだけどね、応接の間などと呼ぶのもおこがましい殺風景な部屋さ。この塔は本当に巨大なんだよ。僕はまだ部屋がどれくらいの数あるのか把握し切れていない。そしてどれくらいの人数がこの塔で働いているのかもわからない」
「そ、そうだろうね、普通の城館ぐらいの大きさはあるみたいだから」
そのとき何か冷たいものが私の首筋を撫でていったような感触がしたので、私は思わずプラーヌスのローブの端を掴んだ。
プラーヌスは私をいぶかしげに見たが、気にせずに話し続ける。
「ただでさえ魔法の研究で時間が足りないんだ。僕にこの塔を管理している暇なんてないよ。だから僕にとってこの世で最も大事な友人である君を、上手く歓待出来ないかもしれない。それでも心を悪くして欲しくない」
「プラーヌスらしくない言葉だね」
何か冷たいものが、私の首筋を撫でていったのは気のせいだったようだ。
私は気を取り直しながら言った。
「君にそう言って貰えるだけで嬉しいよ」
「いや、シャグラン、でも君にはこの塔を自分の家だと思って寛いで欲しいのさ」
プラーヌスが自ら扉を開けて、私を先にその部屋に入れた。
大きな部屋だ。
中央に十人はゆうに座れるテーブルがあり、そこに既にたくさんの料理が用意されていた。
給仕人と思しき、白い服を着た男が私たちを迎える。
私は早速、用意された椅子に腰をかけた。
料理から、私の空腹を刺激するような香りが漂っていた。これほど豪勢な料理は久しぶりだ。
私はごくりと生唾を飲み込む。
だけどプラーヌスの言う通り、確かに部屋自体はかなり殺風景だった。
剥き出しの石壁が寒々しく、広過ぎる部屋が余計にそれを助長している。
色鮮やかな飾りといえば、花柄のテーブルクロスと、皿の上にこれでもかと盛られている果実だけだ。
それ以外、その部屋には温もりや華やかさを与えてくれるものはまるでなかった。
とはいえ、天井の梁に吊るされたたくさんのランプから発せられる灯りは、温かく輝いている。
その灯りのおかげで、私の恐怖がいくらか和らいだことは確かだ。
それに、目の前に用意された豪勢な料理も、私をアグレアブルな気分にしてくれた。
「君が無事にこの塔に到着したことと、僕たちの永遠の友情を祝して、乾杯」
プラーヌスがワインを入ったグラスを掲げた。
「乾杯」
私もプラーヌスに向かってグラスを掲げて、すぐにナイフとフォークを手にして、料理を口に運ぶ。
まあ、はっきり言って美味しい料理ではなかったけど。
カボチャの煮込みシチューや、豚の丸焼きをトマトで味付けたものなど、もちろん食べたことのないものではなかったが、何もかもが粗雑で、味付けは濃過ぎる。
それに素材にも新鮮さが感じられない。もしこんなにも空腹でなかったら、食は遅々として進まなかっただろう。
しかしプラーヌスの心遣いは、この料理の豪奢さから十分に伝わってくる。
私はいつの間にか随分リラックスし始めていたと思う。
かなり高価なワインも、その私のリラックスに寄与していただろう。
ワインに料理人の腕は関係ないから。
「美味しかったよ」
「そんな社交辞令はいいよ、大した味じゃないのはわかってるさ。僕はもうこの料理に辟易している」
プラーヌスは白いハンカチで口を拭きながら、うんざりしたように言った。
「いや、でも僕は嫌いじゃないけどね、毎晩、姉が料理を作ってくれているのだけど、彼女の料理の腕も酷いものだからさ」
「新しい料理人を探しているんだ、宮廷かどこかで働いている、この辺りで一番の腕利きの」
「ああ、それはそれで良い考えだと思うけど」
私は果物を食べながらそう返事した。果物のほうもあまり甘くなく、新鮮さに欠けていたが、料理よりは悪くない。口直しにはなる。
「料理人だけじゃない。優秀な建築家や家具職人、あるいは部屋をコーディネート出来る人間も欲しい。この塔には永く住むつもりだからね、出来るだけ快適で清潔なほうがいいに決まっている」
「それはそうだね」
「召使いたちだって僕に忠実であるのはもちろん、心地良い人間を雇う。とにかく、ありとあらゆる分野において一流の人材を僕の下に集めたい。まあ、それにはかなりの手間暇がかかりそうだ。でもワクワクするだろ? そうやって自分の理想とする住まいを作れる機会なんて滅多にないものさ」
確かに楽しそうだ。そういうことが出来る機会なんて、王か貴族か、大成功した商人か、魔法使いぐらいにしか訪れないに違いない。
しがない絵描きの私には、永遠にそんな機会は訪れることはないだろう。
「それで最初の話しに戻るんだけど」
プラーヌスが私をにこやかに見つめながら言ってきた。男であっても、ドキリとするような麗しい表情だ。
「う、うん」
「そもそも、どれだけの人数がこの塔に住んで働いているのか、この塔にどれだけの部屋があるのか、そしてどれだけの人材が必要か調べなければならない」
「ああ」
「それはとても重要だ。これからの生活の全てが決せられるような重要事項。で、その仕事を君に頼もうと思って、僕は君をここに呼んだのさ!」
プラーヌスはまるでとても誇り高い、栄誉ある役割を騎士に授ける王のような口調で、そんなことを言ってきた。
「は?」
しかし私は自分の耳を疑った。
それ以上に、彼がどういう神経をしているのか信じられない。プラーヌスは当然、私が喜んでこの仕事を受けるといった顔で見てくるのだ。
「えーと、そ、それはどういうことかな?」
私はプラーヌスの表情を呆然と見つめながら尋ねた。
「別に難しいことを言ったつもりはないんだけど」
プラーヌスは再び私にワインを勧めながらそう答えてきた。
「君にその仕事を頼んでいるんだよ」
「で、でも僕には街に仕事があるし・・・」
「仕事といっても絵描きだろ? そんなもの時間があるときに描けばいいではないか。それより僕のこの塔を君に管理して欲しい」
「いや、僕は肖像画を描いているわけで、それは街でしか出来ない仕事だから、どこでもいいという訳にはいかないよ」
「わかった、シャグラン、だったら言い方を変える。確かに君はしばらく絵描きの仕事を休む必要があるかもしれない。だけど絶対に損はさせない。給金は弾むから君の家族に迷惑を掛けることはないし、ここでなら君は、普通の人間が決して送れないような豪勢な生活が遅れる。君の人生は一変するさ!」
「確かにそれは素晴らしいことだと思う。僕だって出来る限りの協力はしたいよ。でもそういう仕事は他の人間でも出来ると思うし、それにしばらくと言っても、そう簡単に終えられるとも思えない。やはりこの仕事は僕向きじゃないよ」
私はそう言った。まあ、しごく当然のことを言っただけだと思う。だって私の都合を踏み躙って、一方的に無茶なことを言っているのはプラーヌスのほうだから。
そんなことは誰が聞いてもわかることだろう。
しかし私の言葉にプラーヌスの顔色が変わった。
「そうか、君はそんなに、僕の塔で暮らすのが嫌なのか?」
プラーヌスは怒っているとも、落胆しているとも言えない口調で言ってきた。
「・・・えっ? いや、そういうわけではないよ、ただ」
「本当に残念だ。僕たちの友情はもうこれでおしまいだね」
「い、いや、早とちりしないでくれよ、プラーヌス。僕はただそんなに長い間、仕事を休むわけにはいかないと言っているだけで、何もこの塔がどうとか、友情がどうとかなんて言っているわけじゃないんだ」
「いいや、君は僕たちの友情を壊そうとしている」
「・・・プ、プラーヌス、やめてくれよ、そんな子供みたいな態度」
「仕方ない、だったら君を生きて帰らせるわけはいかないな」
「な、何だって?」
私は口をあんぐりと開けて、彼を見つめた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、そんな勝手な話しがあるかよ」
私は思わず笑い出してしまった。そう言えばプラーヌスは昔からこういう類の冗談が好きな奴だった気がする。
しかしこれは冗談として少しも面白くないが。
「なあ、プラーヌス、僕たちは友達だよね」
私はプラーヌスを諭すように言った。
「ああ、さっきまではそうだった。友達だから君に頼んだんだよ、こんなことは信頼する人間にしか依頼出来ない。だってこの塔の全てを、晒してしまうわけだからね」
「う、うん、僕もそう思う。でもプラーヌス、これは友達に対する態度じゃないよ」
「その通りだ。君が僕の依頼を断ったとき、友情は終わってしまったんだから」
プラーヌスの時系列をまるで無視した発言に、私は言葉を失ってしまいそうになったが、ここで黙っていれば更に何を言われるかわからないと思い、必死に続けた。
「と、とにかくこんな我儘は間違っている。自分の要求が通らないから生きては返さないなんて、どんな傲慢な国王だって許されることじゃない」
「そうなのかい? まあ、僕はもう君を説得するつもりはない」
そう言うと、プラーヌスはあの愛用の傘を引き寄せた。そして私には理解出来ない言葉をつぶやき始めた。
すると突然、私の座っている椅子の両脇の床に黒い穴が空き、そこから何かがぬっと現れた。
大きな鎌を持ったバケモノだ。
頭部はカボチャで、身体は重騎兵の鎧を着ている。そんなバケモノが二匹も現れたのだ。
「な、何だよ、これ!」
私はそう叫びながら、席から立ち上がった。
「死刑執行人さ。君の首を切るために魔界から呼び寄せた」
カボチャの頭をしたバケモノが、私の腕を掴んできた。
私は身を捩って何とか逃げようとする。
しかしそいつは凄い力で腕を掴んで離さず、私は一歩も身動き出来なくなった。
しかもこのバケモノの手は、冬の凍結した地面のように冷たかった。
私は本物の「死」が、自分のすぐ近くに来ているのを嫌でも実感させられた。
そしてもう一匹のほうが後ろに回り、その大鎌を振り上げてくる。
「わ、わかった、やるよ、プラーヌス! 君に言いつけられたその仕事、やる」
私はヤケクソになってそう、う叫んだ。
「何だよ、シャグラン、その仕方なくやらされているって態度、気に入らないな」
「な、何だって? ・・・だって当然じゃないか。プラーヌス、君のやり方は強引過ぎる、こんなんじゃ脅しと同じさ」
「君が喜んで、自ら積極的にやってくれないとなれば、君に頼む意味がない。この仕事はかなり根気もいる。時間もかかる。一切手を抜かないと約束してもらわないと」
カボチャのバケモノは、更に力を込めて私の腕を握ってくる。
「や、約束するよ、だからこのバケモノを早くどっかにやってくれ」
「本当かい?」
「本当さ!」
「そうか、きみがこんなにこの仕事を引き受けたいというなら、君に頼むことにするか」
そう言って私の邪悪な魔法使いの友人、プラーヌスは満足そうな笑みを浮かべた。
ようやくカボチャの頭をしたバケモノも、私の腕を離した。私は全身の力が抜けて、石畳の床に座り込んだ。
「とりあえず、この塔の見取り図と、ここに住んでいる全人員の名簿を作って欲しい。この中で使える奴と使えない奴をより分けてくれ。それとこの塔の機能を維持していくために、どれくらいの人手が必要かも見積もって欲しい」
プラーヌスは何事もなかったように、平然と話しを進め出した。
もしかしたら本気で私を殺すつもりなんてなくて、ただ頼みごとを聞かせるために軽く脅迫しただけなのかもしれない。
いや、そうだと信じたい。実際、それくらいの豹変の仕方だ。
「わ、わかったよ」
「僕はまだまだ、やらないといけないことがたくさんある。まだこの塔を完全に自分のものにしていない。ここを支配している魔族との契約が済んでいないし、 この塔の番人も雇わなければいけない。ここに来る途中、君の乗っていた馬車を襲った蛮族たちがいただろ? 奴らはこの塔にも、定期的に襲撃をかけてくる。この塔をしばらく管理していた魔法審議会からその情報を聞いていたから、あらかじめ街で傭兵を雇ったが、まるで役に立たなかった」
「で、でもあんな蛮族たち、君の魔法ならわけもなかったじゃないか」
私はまだプラーヌスへの何とも言えない感情がしこりのように残っていたが、それを振り払うためにも、いつも口調でそう言った。
「それはその通りだけどね。奴らがやってくる度に、わざわざ塔を出て相手をしなくてはならない。そんなこと、うんざりなんだ」
プラーヌスは本当に疎ましいことだと言うふうに、その美しい顔を歪めた。
「それに前の塔の主が早死にしたのも、この蛮族たちとの度重なる戦いのせいだった可能性がある。連日、魔法を使い続けると寿命を縮めてしまうものだからね」
「はあ・・・」
「それでとある有名な騎士をこの塔の番人に雇うつもりなんだ。そのための準備や何かに色々と手が掛かるのさ」
「ちょ、ちょっと待って、騎士を番人だって?」
私はプラーヌスの突飛な考えに、彼の正気を疑いたくなった。
「それはちょっと贅沢過ぎないか。まるで魚を捌くのに王家伝来の宝剣を使うようなものじゃないか。だいたい番人をやりたがる騎士なんているわけがないし」
「いいや、探せばいるもんさ」
プラーヌスは私の意見も当然だと感じで頷きながらも、言った。
「しかもとても優秀な騎士でね。知ってるはずだ、君も。確か名前はバルザ、隣国パルの騎士団団長だったかな」
「な、何だって?」
プラーヌスはさらりと恐るべき、いや、とても尊い名前を口にした。
バルザ殿と言えば、既に多くの吟遊詩人たちが詩にしている、生きる伝説と言ってもいい騎士ではないか。
槍を持てば戦場では天下無双、兵を率いても彼の前に敵は無し。
もちろん生きる伝説と言っても、まだ国の重役を担っているはずだ。
パル国の騎士団団長で、その国の軍の最高司令官か何かだったと思う。
「そ、そんな人がこの塔の番人をするわけないじゃないか」
「それがどうにかなるものなのさ。知恵と工夫次第でね」
プラーヌスはそう言って、とても意味ありげな笑みを浮かべた。
「知恵と工夫・・・?」
「そう、知恵と工夫、そして魔法のスパイス少々。とにかくこれから忙しくなる。君にもその知恵と工夫の一端を担ってもらうかもしれない」
「あ、ああ、わかったよ」
私はもう何もかも諦めるように言った。
「だけどその前に家族に手紙を書いておきたい、しばらく家に帰れないだろ?」
「いいだろう、使いの者に届けさせよう」
「良かった、でもそんなことを任せられる、信用出来る召使いがここにいるのかい?」
「いや、そういう人物を君に探してもらうためにも、この仕事を頼んだんだよ」
プラーヌスは当然のようにそんなことを言って、席を立った。
「東の塔に君の居室を用意させてある。そこが気に入らなければ違う部屋を使ってもいい。家具やベッドが気に入らないなら、倉庫にあるものを勝手に使ってくれ。倉庫の責任者には、僕に仕えるがごとく君に仕えるように言っておく。部屋には湯船もあるはずだ。そこに浸かって旅の疲れを癒してくれ」
「わかった」
私もプラーヌスに続いて部屋を出ようとした。
するとまだ私の隣に寄り添うように立っていた、あのカボチャの頭をしたバケモノが、あろうことか私の後をついてきた。
「なあ、それとプラーヌス、もう一つ頼みがあるんだけど・・・」
「何だい?」プラーヌスがローブを翻して、面倒臭そうに振り向いた。
「シャグラン、君も要求が多い男だね」
「・・・いや、ただこのバケモノをさっさと消して欲しいんだよ」
「ああ、これは君の身を守ってくれる衛兵だと思えばいい。それにこれがいたら威嚇にもなるだろう。塔の召使いに言うことを聞かない奴がいれば、こいつに命令して殺してもいいぞ」
私はむしろこのバケモノか、あるいはプラーヌスこそを、どうにかして懲らしめたい気分だったが、仕方なく彼の言葉に頷いた。
「でもこのバケモノが寝室にまで来るのは御免だよ」
「だったらドアの前に立たせておくがいい。君の命令に従うようにしてある」
もう要求はないね!
プラーヌスは少し苛立った声でそう言って、自分の部屋がある西の回廊に向かって歩いていった。
私はそれと逆、東の回廊のほうに歩く。
足音がリズム良く、高い天井に反響する。カボチャの頭をしたバケモノと、足下を照らすランタンを持った召使いも私についてくる。
「そうだった、シャグラン」
ちょうど角を曲がりかけている私に、プラーヌスが大声で呼び掛けてきた。
「僕は昼過ぎまで眠っている。夕方、謁見の間で会おう。それまで好きなように過ごしてくれ」
「ああ、そうする」
わかったよ、プラーヌス、何でも君の言う通りにする。
私は余りに腹が立ち過ぎているせいか、自分にあてがわれた部屋に向かう途中、塔の暗闇にも、その不気味な雰囲気にも、先程感じたような恐怖は覚えなかった。
そんなことよりもプラーヌスの態度に腹が立って仕方なかったのだ。
いや、確かにプラーヌスにはこういうところがあった。昔から人の迷惑を顧みないで、一方的に頼みごとをしてくるところが。
だから今日も彼らしいと言えばそうなのだけど、しかしこの態度はあまりに傲慢。
この悔しい思いをどこに持っていけばいいのかわからなくて、今夜は到底眠れそうにないと思っていたけど、しかし長旅の疲れと極度の精神的な疲労のせいか、ベッドに横になった途端、眠っていたようだ。
気がつくと朝になっていた。
暗黒ばかりが支配していた塔に、かなりの量の太陽の光が差し込んでくる。
こんな塔の近くでも鳥は生息可能なようで、私の街でも聞こえるのと同じ長閑の鳥の鳴き声もする。
私はそんな鳥の鳴き声をベッドの上で聞きながら、見馴れない天井をしばらく見つめていた。
すると何だか笑いたくなってきた。
どうしてこの私が、こんな面倒な仕事を押しつけられないといけないんだ?
いや、そもそもどうして私はこんなところにいるんだ?
そんなことを考えていると、自分の運命が面白くて仕方なくなってきたのだ。
笑いたくなっただけでなく、実際、私は大声で笑ってやった。
多分、もうどうにでもなれといった気分になりかけていたんだろう。
門の向こうには掘立小屋が立ち並んでいたり、耕されている畑があったりで、人の気配がないわけではなかった。
実際、さっき門を開けてくれた農夫のような格好の男性や女性たちが、畑で仕事をしていたり、軒先で何かの作業に打ち込んでいる。
しかし塔の主が客を連れて歩いているというのに、挨拶どころか、その姿に誰も見向きもしなかった。
どうやらプラーヌスは、この塔の召使たちにまるで慕われていないようだ。
沈みかけた太陽の光を受けて、塔の影が遠くまで伸びている。
人の姿はちらほら見えるけど、どうにも活気がない。
まるで廃墟のようだ。
あるいは戦火に見舞われ、多くの村人が逃げたあとのよう。
何となく心が暗くなる風景である。ひょろ長い木の枝に、見せしめの首つり死体が掛かっていそうな雰囲気。
そんな暗い道を進むうちに、やがて塔の前にまで到着した。
塔の中に通じる扉は両開きの巨大な扉で、大砲の弾くらいは弾き返せるくらい頑丈そうである。
その一方、扉には至るところに細やかな細工が施されていて、この塔が、砦や城のように無骨な建物ではないことを示しているかのようだ。
長い槍を持ち、扉の前に立っていた門番係らしき二人の男が、力いっぱい扉を押す。
扉はくぐもった音を立てて、その口を開いた。
プラーヌスが扉の中に入っていく。
私もその後に続く。
塔の中に一歩入った途端、さっきまでとまるで違う空間に足を踏み入れたような感覚がした。
背筋を凍らすような冷気。
目に見えないが何かが近くをウロウロと浮遊しているようで、心が落ち着かない。
どこからか、誰かにジロジロと見つめられている気もする。
この感覚、何かに似ている。
そう、子供の頃、誤って墓場に彷徨いこんでしまったときの、あの心細さだ。
今にもその角から、何かが飛び出してきそうな不気味さ。
真っ暗な塔の通路や階段を、先程の召使いがランタンの光で私たちの足元を照らしてくれている。
石柱や石壁などに、細やかな魔法文字が刻まれているのか、ときおりそれが虹色にきらめいていた。
しかしその程度の灯りでは、この塔の暗黒に少しも抵抗出来ていない。
この塔に到着したときはまだ日は暮れていなかったはずなのに、塔の中は真夜中よりも暗かった。
はっきり言って、最初に塔を見上げたときに覚えた感動は、完全に消えていた。
確かに壮大な建物で、その偉観に心を打たれたことは事実だ。プラーヌスがそれを誇りに感じていることも理解出来る。
しかし私からすれば、墓場か処刑場で感じるような恐怖しか覚えなかった。
陰鬱な召使いたち、寒々しい塔の空気。
一刻も早く、明るくて温かいところに行きたい。私はそんな心境になりつつあった。
「応接の間に食事を用意している」
プラーヌスが階段を上りながら言ってきた。
「まあ、まだ客を迎えられるくらい整ってはいないんだけどね、応接の間などと呼ぶのもおこがましい殺風景な部屋さ。この塔は本当に巨大なんだよ。僕はまだ部屋がどれくらいの数あるのか把握し切れていない。そしてどれくらいの人数がこの塔で働いているのかもわからない」
「そ、そうだろうね、普通の城館ぐらいの大きさはあるみたいだから」
そのとき何か冷たいものが私の首筋を撫でていったような感触がしたので、私は思わずプラーヌスのローブの端を掴んだ。
プラーヌスは私をいぶかしげに見たが、気にせずに話し続ける。
「ただでさえ魔法の研究で時間が足りないんだ。僕にこの塔を管理している暇なんてないよ。だから僕にとってこの世で最も大事な友人である君を、上手く歓待出来ないかもしれない。それでも心を悪くして欲しくない」
「プラーヌスらしくない言葉だね」
何か冷たいものが、私の首筋を撫でていったのは気のせいだったようだ。
私は気を取り直しながら言った。
「君にそう言って貰えるだけで嬉しいよ」
「いや、シャグラン、でも君にはこの塔を自分の家だと思って寛いで欲しいのさ」
プラーヌスが自ら扉を開けて、私を先にその部屋に入れた。
大きな部屋だ。
中央に十人はゆうに座れるテーブルがあり、そこに既にたくさんの料理が用意されていた。
給仕人と思しき、白い服を着た男が私たちを迎える。
私は早速、用意された椅子に腰をかけた。
料理から、私の空腹を刺激するような香りが漂っていた。これほど豪勢な料理は久しぶりだ。
私はごくりと生唾を飲み込む。
だけどプラーヌスの言う通り、確かに部屋自体はかなり殺風景だった。
剥き出しの石壁が寒々しく、広過ぎる部屋が余計にそれを助長している。
色鮮やかな飾りといえば、花柄のテーブルクロスと、皿の上にこれでもかと盛られている果実だけだ。
それ以外、その部屋には温もりや華やかさを与えてくれるものはまるでなかった。
とはいえ、天井の梁に吊るされたたくさんのランプから発せられる灯りは、温かく輝いている。
その灯りのおかげで、私の恐怖がいくらか和らいだことは確かだ。
それに、目の前に用意された豪勢な料理も、私をアグレアブルな気分にしてくれた。
「君が無事にこの塔に到着したことと、僕たちの永遠の友情を祝して、乾杯」
プラーヌスがワインを入ったグラスを掲げた。
「乾杯」
私もプラーヌスに向かってグラスを掲げて、すぐにナイフとフォークを手にして、料理を口に運ぶ。
まあ、はっきり言って美味しい料理ではなかったけど。
カボチャの煮込みシチューや、豚の丸焼きをトマトで味付けたものなど、もちろん食べたことのないものではなかったが、何もかもが粗雑で、味付けは濃過ぎる。
それに素材にも新鮮さが感じられない。もしこんなにも空腹でなかったら、食は遅々として進まなかっただろう。
しかしプラーヌスの心遣いは、この料理の豪奢さから十分に伝わってくる。
私はいつの間にか随分リラックスし始めていたと思う。
かなり高価なワインも、その私のリラックスに寄与していただろう。
ワインに料理人の腕は関係ないから。
「美味しかったよ」
「そんな社交辞令はいいよ、大した味じゃないのはわかってるさ。僕はもうこの料理に辟易している」
プラーヌスは白いハンカチで口を拭きながら、うんざりしたように言った。
「いや、でも僕は嫌いじゃないけどね、毎晩、姉が料理を作ってくれているのだけど、彼女の料理の腕も酷いものだからさ」
「新しい料理人を探しているんだ、宮廷かどこかで働いている、この辺りで一番の腕利きの」
「ああ、それはそれで良い考えだと思うけど」
私は果物を食べながらそう返事した。果物のほうもあまり甘くなく、新鮮さに欠けていたが、料理よりは悪くない。口直しにはなる。
「料理人だけじゃない。優秀な建築家や家具職人、あるいは部屋をコーディネート出来る人間も欲しい。この塔には永く住むつもりだからね、出来るだけ快適で清潔なほうがいいに決まっている」
「それはそうだね」
「召使いたちだって僕に忠実であるのはもちろん、心地良い人間を雇う。とにかく、ありとあらゆる分野において一流の人材を僕の下に集めたい。まあ、それにはかなりの手間暇がかかりそうだ。でもワクワクするだろ? そうやって自分の理想とする住まいを作れる機会なんて滅多にないものさ」
確かに楽しそうだ。そういうことが出来る機会なんて、王か貴族か、大成功した商人か、魔法使いぐらいにしか訪れないに違いない。
しがない絵描きの私には、永遠にそんな機会は訪れることはないだろう。
「それで最初の話しに戻るんだけど」
プラーヌスが私をにこやかに見つめながら言ってきた。男であっても、ドキリとするような麗しい表情だ。
「う、うん」
「そもそも、どれだけの人数がこの塔に住んで働いているのか、この塔にどれだけの部屋があるのか、そしてどれだけの人材が必要か調べなければならない」
「ああ」
「それはとても重要だ。これからの生活の全てが決せられるような重要事項。で、その仕事を君に頼もうと思って、僕は君をここに呼んだのさ!」
プラーヌスはまるでとても誇り高い、栄誉ある役割を騎士に授ける王のような口調で、そんなことを言ってきた。
「は?」
しかし私は自分の耳を疑った。
それ以上に、彼がどういう神経をしているのか信じられない。プラーヌスは当然、私が喜んでこの仕事を受けるといった顔で見てくるのだ。
「えーと、そ、それはどういうことかな?」
私はプラーヌスの表情を呆然と見つめながら尋ねた。
「別に難しいことを言ったつもりはないんだけど」
プラーヌスは再び私にワインを勧めながらそう答えてきた。
「君にその仕事を頼んでいるんだよ」
「で、でも僕には街に仕事があるし・・・」
「仕事といっても絵描きだろ? そんなもの時間があるときに描けばいいではないか。それより僕のこの塔を君に管理して欲しい」
「いや、僕は肖像画を描いているわけで、それは街でしか出来ない仕事だから、どこでもいいという訳にはいかないよ」
「わかった、シャグラン、だったら言い方を変える。確かに君はしばらく絵描きの仕事を休む必要があるかもしれない。だけど絶対に損はさせない。給金は弾むから君の家族に迷惑を掛けることはないし、ここでなら君は、普通の人間が決して送れないような豪勢な生活が遅れる。君の人生は一変するさ!」
「確かにそれは素晴らしいことだと思う。僕だって出来る限りの協力はしたいよ。でもそういう仕事は他の人間でも出来ると思うし、それにしばらくと言っても、そう簡単に終えられるとも思えない。やはりこの仕事は僕向きじゃないよ」
私はそう言った。まあ、しごく当然のことを言っただけだと思う。だって私の都合を踏み躙って、一方的に無茶なことを言っているのはプラーヌスのほうだから。
そんなことは誰が聞いてもわかることだろう。
しかし私の言葉にプラーヌスの顔色が変わった。
「そうか、君はそんなに、僕の塔で暮らすのが嫌なのか?」
プラーヌスは怒っているとも、落胆しているとも言えない口調で言ってきた。
「・・・えっ? いや、そういうわけではないよ、ただ」
「本当に残念だ。僕たちの友情はもうこれでおしまいだね」
「い、いや、早とちりしないでくれよ、プラーヌス。僕はただそんなに長い間、仕事を休むわけにはいかないと言っているだけで、何もこの塔がどうとか、友情がどうとかなんて言っているわけじゃないんだ」
「いいや、君は僕たちの友情を壊そうとしている」
「・・・プ、プラーヌス、やめてくれよ、そんな子供みたいな態度」
「仕方ない、だったら君を生きて帰らせるわけはいかないな」
「な、何だって?」
私は口をあんぐりと開けて、彼を見つめた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、そんな勝手な話しがあるかよ」
私は思わず笑い出してしまった。そう言えばプラーヌスは昔からこういう類の冗談が好きな奴だった気がする。
しかしこれは冗談として少しも面白くないが。
「なあ、プラーヌス、僕たちは友達だよね」
私はプラーヌスを諭すように言った。
「ああ、さっきまではそうだった。友達だから君に頼んだんだよ、こんなことは信頼する人間にしか依頼出来ない。だってこの塔の全てを、晒してしまうわけだからね」
「う、うん、僕もそう思う。でもプラーヌス、これは友達に対する態度じゃないよ」
「その通りだ。君が僕の依頼を断ったとき、友情は終わってしまったんだから」
プラーヌスの時系列をまるで無視した発言に、私は言葉を失ってしまいそうになったが、ここで黙っていれば更に何を言われるかわからないと思い、必死に続けた。
「と、とにかくこんな我儘は間違っている。自分の要求が通らないから生きては返さないなんて、どんな傲慢な国王だって許されることじゃない」
「そうなのかい? まあ、僕はもう君を説得するつもりはない」
そう言うと、プラーヌスはあの愛用の傘を引き寄せた。そして私には理解出来ない言葉をつぶやき始めた。
すると突然、私の座っている椅子の両脇の床に黒い穴が空き、そこから何かがぬっと現れた。
大きな鎌を持ったバケモノだ。
頭部はカボチャで、身体は重騎兵の鎧を着ている。そんなバケモノが二匹も現れたのだ。
「な、何だよ、これ!」
私はそう叫びながら、席から立ち上がった。
「死刑執行人さ。君の首を切るために魔界から呼び寄せた」
カボチャの頭をしたバケモノが、私の腕を掴んできた。
私は身を捩って何とか逃げようとする。
しかしそいつは凄い力で腕を掴んで離さず、私は一歩も身動き出来なくなった。
しかもこのバケモノの手は、冬の凍結した地面のように冷たかった。
私は本物の「死」が、自分のすぐ近くに来ているのを嫌でも実感させられた。
そしてもう一匹のほうが後ろに回り、その大鎌を振り上げてくる。
「わ、わかった、やるよ、プラーヌス! 君に言いつけられたその仕事、やる」
私はヤケクソになってそう、う叫んだ。
「何だよ、シャグラン、その仕方なくやらされているって態度、気に入らないな」
「な、何だって? ・・・だって当然じゃないか。プラーヌス、君のやり方は強引過ぎる、こんなんじゃ脅しと同じさ」
「君が喜んで、自ら積極的にやってくれないとなれば、君に頼む意味がない。この仕事はかなり根気もいる。時間もかかる。一切手を抜かないと約束してもらわないと」
カボチャのバケモノは、更に力を込めて私の腕を握ってくる。
「や、約束するよ、だからこのバケモノを早くどっかにやってくれ」
「本当かい?」
「本当さ!」
「そうか、きみがこんなにこの仕事を引き受けたいというなら、君に頼むことにするか」
そう言って私の邪悪な魔法使いの友人、プラーヌスは満足そうな笑みを浮かべた。
ようやくカボチャの頭をしたバケモノも、私の腕を離した。私は全身の力が抜けて、石畳の床に座り込んだ。
「とりあえず、この塔の見取り図と、ここに住んでいる全人員の名簿を作って欲しい。この中で使える奴と使えない奴をより分けてくれ。それとこの塔の機能を維持していくために、どれくらいの人手が必要かも見積もって欲しい」
プラーヌスは何事もなかったように、平然と話しを進め出した。
もしかしたら本気で私を殺すつもりなんてなくて、ただ頼みごとを聞かせるために軽く脅迫しただけなのかもしれない。
いや、そうだと信じたい。実際、それくらいの豹変の仕方だ。
「わ、わかったよ」
「僕はまだまだ、やらないといけないことがたくさんある。まだこの塔を完全に自分のものにしていない。ここを支配している魔族との契約が済んでいないし、 この塔の番人も雇わなければいけない。ここに来る途中、君の乗っていた馬車を襲った蛮族たちがいただろ? 奴らはこの塔にも、定期的に襲撃をかけてくる。この塔をしばらく管理していた魔法審議会からその情報を聞いていたから、あらかじめ街で傭兵を雇ったが、まるで役に立たなかった」
「で、でもあんな蛮族たち、君の魔法ならわけもなかったじゃないか」
私はまだプラーヌスへの何とも言えない感情がしこりのように残っていたが、それを振り払うためにも、いつも口調でそう言った。
「それはその通りだけどね。奴らがやってくる度に、わざわざ塔を出て相手をしなくてはならない。そんなこと、うんざりなんだ」
プラーヌスは本当に疎ましいことだと言うふうに、その美しい顔を歪めた。
「それに前の塔の主が早死にしたのも、この蛮族たちとの度重なる戦いのせいだった可能性がある。連日、魔法を使い続けると寿命を縮めてしまうものだからね」
「はあ・・・」
「それでとある有名な騎士をこの塔の番人に雇うつもりなんだ。そのための準備や何かに色々と手が掛かるのさ」
「ちょ、ちょっと待って、騎士を番人だって?」
私はプラーヌスの突飛な考えに、彼の正気を疑いたくなった。
「それはちょっと贅沢過ぎないか。まるで魚を捌くのに王家伝来の宝剣を使うようなものじゃないか。だいたい番人をやりたがる騎士なんているわけがないし」
「いいや、探せばいるもんさ」
プラーヌスは私の意見も当然だと感じで頷きながらも、言った。
「しかもとても優秀な騎士でね。知ってるはずだ、君も。確か名前はバルザ、隣国パルの騎士団団長だったかな」
「な、何だって?」
プラーヌスはさらりと恐るべき、いや、とても尊い名前を口にした。
バルザ殿と言えば、既に多くの吟遊詩人たちが詩にしている、生きる伝説と言ってもいい騎士ではないか。
槍を持てば戦場では天下無双、兵を率いても彼の前に敵は無し。
もちろん生きる伝説と言っても、まだ国の重役を担っているはずだ。
パル国の騎士団団長で、その国の軍の最高司令官か何かだったと思う。
「そ、そんな人がこの塔の番人をするわけないじゃないか」
「それがどうにかなるものなのさ。知恵と工夫次第でね」
プラーヌスはそう言って、とても意味ありげな笑みを浮かべた。
「知恵と工夫・・・?」
「そう、知恵と工夫、そして魔法のスパイス少々。とにかくこれから忙しくなる。君にもその知恵と工夫の一端を担ってもらうかもしれない」
「あ、ああ、わかったよ」
私はもう何もかも諦めるように言った。
「だけどその前に家族に手紙を書いておきたい、しばらく家に帰れないだろ?」
「いいだろう、使いの者に届けさせよう」
「良かった、でもそんなことを任せられる、信用出来る召使いがここにいるのかい?」
「いや、そういう人物を君に探してもらうためにも、この仕事を頼んだんだよ」
プラーヌスは当然のようにそんなことを言って、席を立った。
「東の塔に君の居室を用意させてある。そこが気に入らなければ違う部屋を使ってもいい。家具やベッドが気に入らないなら、倉庫にあるものを勝手に使ってくれ。倉庫の責任者には、僕に仕えるがごとく君に仕えるように言っておく。部屋には湯船もあるはずだ。そこに浸かって旅の疲れを癒してくれ」
「わかった」
私もプラーヌスに続いて部屋を出ようとした。
するとまだ私の隣に寄り添うように立っていた、あのカボチャの頭をしたバケモノが、あろうことか私の後をついてきた。
「なあ、それとプラーヌス、もう一つ頼みがあるんだけど・・・」
「何だい?」プラーヌスがローブを翻して、面倒臭そうに振り向いた。
「シャグラン、君も要求が多い男だね」
「・・・いや、ただこのバケモノをさっさと消して欲しいんだよ」
「ああ、これは君の身を守ってくれる衛兵だと思えばいい。それにこれがいたら威嚇にもなるだろう。塔の召使いに言うことを聞かない奴がいれば、こいつに命令して殺してもいいぞ」
私はむしろこのバケモノか、あるいはプラーヌスこそを、どうにかして懲らしめたい気分だったが、仕方なく彼の言葉に頷いた。
「でもこのバケモノが寝室にまで来るのは御免だよ」
「だったらドアの前に立たせておくがいい。君の命令に従うようにしてある」
もう要求はないね!
プラーヌスは少し苛立った声でそう言って、自分の部屋がある西の回廊に向かって歩いていった。
私はそれと逆、東の回廊のほうに歩く。
足音がリズム良く、高い天井に反響する。カボチャの頭をしたバケモノと、足下を照らすランタンを持った召使いも私についてくる。
「そうだった、シャグラン」
ちょうど角を曲がりかけている私に、プラーヌスが大声で呼び掛けてきた。
「僕は昼過ぎまで眠っている。夕方、謁見の間で会おう。それまで好きなように過ごしてくれ」
「ああ、そうする」
わかったよ、プラーヌス、何でも君の言う通りにする。
私は余りに腹が立ち過ぎているせいか、自分にあてがわれた部屋に向かう途中、塔の暗闇にも、その不気味な雰囲気にも、先程感じたような恐怖は覚えなかった。
そんなことよりもプラーヌスの態度に腹が立って仕方なかったのだ。
いや、確かにプラーヌスにはこういうところがあった。昔から人の迷惑を顧みないで、一方的に頼みごとをしてくるところが。
だから今日も彼らしいと言えばそうなのだけど、しかしこの態度はあまりに傲慢。
この悔しい思いをどこに持っていけばいいのかわからなくて、今夜は到底眠れそうにないと思っていたけど、しかし長旅の疲れと極度の精神的な疲労のせいか、ベッドに横になった途端、眠っていたようだ。
気がつくと朝になっていた。
暗黒ばかりが支配していた塔に、かなりの量の太陽の光が差し込んでくる。
こんな塔の近くでも鳥は生息可能なようで、私の街でも聞こえるのと同じ長閑の鳥の鳴き声もする。
私はそんな鳥の鳴き声をベッドの上で聞きながら、見馴れない天井をしばらく見つめていた。
すると何だか笑いたくなってきた。
どうしてこの私が、こんな面倒な仕事を押しつけられないといけないんだ?
いや、そもそもどうして私はこんなところにいるんだ?
そんなことを考えていると、自分の運命が面白くて仕方なくなってきたのだ。
笑いたくなっただけでなく、実際、私は大声で笑ってやった。
多分、もうどうにでもなれといった気分になりかけていたんだろう。
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