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第四十話 《十傑》
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困ったことに――。
「い、いらっしゃいませー! ……ねえ、マスター? 今日混み過ぎじゃない?」
「客が来て文句言う馬鹿ぁいるか。ほれ、さっさと持っていけ。三番の客ンだ」
例の城の兵士がつい漏らしたひと言――ここの『珈琲』には、魔力が封じ込められている――のせいで、銀次郎の店『喫茶「銀」』は、以前にも増して客が押しかけるようになっていた。
(こりゃあ――)
自らもトレイを手に、客の席へと湯気の立ち昇る一杯をせっせと給仕しながら、銀次郎は頭を悩ませていた。
(ふたりぽっちの手じゃ、とてもじゃねえが足りねえな……とは言ったものの――)
その夜のことである。
「じゃーん! ほら、見て見て、マスター! これ、どう? 似合う?」
「ん?」
すっかり夜も更け、いつものように古参の常連客――シーノ、ゴードン、スミル、そしてシリルだけになった頃合いで、ちょっと――と言い残した香織子が居間の方へ引っ込んだかと思うと、また少しばかり大きくなったシオンを連れて、自慢げにそう告げた。シオンは真っ赤だ。
「……どう? ギンジロー? に、似合う……かな?」
俯き、もじもじと身体の前で両手の指を絡ませているシオンの頭には、その薄紫色の髪と合わせた色合いの風変わりな帽子が、ちょこり、と載っていた。少し不格好だが、味がある。
「ほう。またえらく可愛らしくなったモンだな、シオン。そいつぁ――」
角のあった場所には、そうまるで――。
「分かったぞ! そりゃあ、あれだ。驢馬の耳だろ? ん?」
「ぶっぶー!」
途端、シオンの隣に立っている香織子が舌を突き出してからかうような表情を見せた。
「ホント、マスターって見る目ないんだから……! どう見たって兎の耳に決まってるでしょ? あたしがシオンにプレゼントしたの。シリルおばさんから編み物のやり方を教わってね」
「か――香織子、おめえがか? なかなかどうしてサマになってやがんな! えれえモンだ!」
「――っ!」
「ん? どうした?」
「……なんでもないですよーだ!」
お披露目も済んで気が済んだのか、さ、お風呂入ろ! と香織子は、まだ恥ずかしそうに真っ赤になったままのシオンの手を引いて奥へと引っ込んでしまった。
訳が分からず銀次郎は白い頭を掻く。
「年頃の娘っ子ってのは、どうにも扱いが分からねえ……」
「あははは! たぶん、ギンジローには一生分からないんじゃないの?」
その様子があまりに滑稽に見えたのか、シーノはそう言っておかしそうに腹を抱えている。
「ちぇっ。寄ってたかって年寄り馬鹿にしやがってよ」
「そういやあさ? ギンジロー? なんでもこの前、《十傑》のひとりが来たんだって?」
「え、えええ! ほ、本当ですか!?」
「ああ、そうとも! 来たんだってよ!」
シーノが身を乗り出して尋ね、スミルが目を輝かせて驚き――なぜか得意げなゴードンが頷いてすっくと立ちあがると、銀次郎を含めた四人に向けてこう言い聞かせた。
「いやな? 嫌味ったらしい役人の野郎がここの『こーひー』に難癖つけに来たところに、颯爽と現れたのさ、その《十傑》がな! で、だ――」
「あら、よく知ってること!」
亭主のことはおおよそご存知のシリルは、またはじまったとばかりにすまし顔でこう尋ねる。
「……で? そのお方の名前は何てえのさ?」
「そ、それは……! 俺もそこまでは知らねえんだが……」
「なら、黙っときなよ。もう!」
してやられた、と頭に浮いた汗をゴードンが拭いているところに、銀次郎はこう尋ねた。
「そもそもの話からして俺にゃあよく分からんのだが……その《十傑》ったあ何モンなんだ?」
「グレイルフォークの護り手、《十傑》のことですよ」
こたえたのは、常日頃から銀次郎にこの世界の知識を教える役目を仰せつかっているスミルだ。スミルはいつもの癖で、カウンターの隅に置いてあるスプーンを一〇本ほど借りて並べた。
「言葉のとおり、一〇人の英傑――この国を造り、護る一〇人の偉大なる冒険者たちのことを指してそう呼びます。……と言っても、彼ら自身も含め、全員を知る人はいないんですけどね」
「知らねえ? どうしてだね、スミル先生?」
「す、少なくとも――そのうちのひとりは、もうこの世界に存在しないからです」
「死んじまったのか!?」
「う、うーん……そう言っている人も確かにいるんですが……」
銀次郎から素直にそう問われたスミルは難しそうな顔つきをして天井を見上げた。
「……僕個人の考えでは、元の世界へ戻ったんじゃないか、って思うんですよ。たぶんだけど」
「その人も、ギンジローと同じ『異界びと』だった、ってことなの、スミル?」
「うん。どうも、そうだったらしいんだ」
スミルはシーノの問いにこたえるように目の前に並べた銀のスプーンを一本、上に滑らせた。
「《双剣》のリューリッジ。寡黙で聡明な、冒険者たちの良き教師であり、師であり父であるとも言われれた《十傑》さ。彼は、偉大なる《十傑》たちのリーダーで、この国の王であり《十傑》のひとりでもあった、グレイルフォーク王の一の親友でもあったんだよ――」
ただ――とスミルはひと息継いで、夢見るようなうっとりとした顔でこう続けた。
「――彼はグレイルフォーク王と仲間たちを率いて、この地を支配していた魔族を倒し退けた後、こう言ってこの地を去っていったと伝えられています。――私は、すべての栄誉と功績を受けるにふさわしくない《咎人》なのです、と。そしてそれらは、グレイルフォーク、君がすべて受けるべきものです、真に善なる王、この地を統べる王たるグレイルフォークが――とね」
《咎人》――と自ら名乗るからには、異世界――元の世界でそう呼ばれるに値する罪を犯したということなのだろう。しかし、スミルの話しぶりでは、そう悪い人間だとは思えなかった。
思い出した、とばかりに目を輝かせてシーノが尋ねる。
「ねえ、スミル? ジョットも《十傑》のひとりだよね?」
「そう。でもジョットさんは、リューリッジがこの地を去った後《十傑》入りした人だからね。《十傑》の中でも一番若い。《十傑》という呼び名も、実はジョットさんのあとからなんだよ」
そう言って、スミルは改めてスプーンを使って名前を挙げていく。
《双剣》のリューリッジ
《善王》のグレイルフォーク
《勇弟》のミサーゴ
《聖杖》のサンク=タスフェ
《神浄》のアイオヌス
《蛮愚》のンオム
《龍槍》のドラコスタン
《灰塵》のパルバス
《探求》のチルカトラ
《護陣》のジョット
それぞれ簡単に人となりの分かる逸話をスミルはあわせて口にしたが、他の者には分かっても銀次郎には少々難しく、また現実味の薄い話だったので覚えきれなかった。まあ、また聞けばいい。
「ミサーゴはその二つ名のとおり、王様の弟なんだ。いまだに冒険を続けているんだってさ。チルカトラは放浪者で、この世界の真実を探し、知識と知恵を求めて旅している。他の《十傑》も似たようなものだから、この町で実際に会えるのは、王様とジョットさんくらいだね」
そこでスミルは少し考えるそぶりをしてから再び口を開いた。
「ただ、話を聞いた限りでは、ここに来たっていう《十傑》は王の弟のミサーゴじゃないかと思うんだよね。……ほら、このコインに刻まれているような髭を生やしてたんじゃないですか?」
「……うむ。たしかに似てらぁ」
他の連中が大騒ぎしているなか、手にしたコインをじっと見つめてひとり銀次郎は、あんにゃろうめ、粋なことしやがって――と口元を引き上げ、にやり、とほくそ笑むのだった。
「い、いらっしゃいませー! ……ねえ、マスター? 今日混み過ぎじゃない?」
「客が来て文句言う馬鹿ぁいるか。ほれ、さっさと持っていけ。三番の客ンだ」
例の城の兵士がつい漏らしたひと言――ここの『珈琲』には、魔力が封じ込められている――のせいで、銀次郎の店『喫茶「銀」』は、以前にも増して客が押しかけるようになっていた。
(こりゃあ――)
自らもトレイを手に、客の席へと湯気の立ち昇る一杯をせっせと給仕しながら、銀次郎は頭を悩ませていた。
(ふたりぽっちの手じゃ、とてもじゃねえが足りねえな……とは言ったものの――)
その夜のことである。
「じゃーん! ほら、見て見て、マスター! これ、どう? 似合う?」
「ん?」
すっかり夜も更け、いつものように古参の常連客――シーノ、ゴードン、スミル、そしてシリルだけになった頃合いで、ちょっと――と言い残した香織子が居間の方へ引っ込んだかと思うと、また少しばかり大きくなったシオンを連れて、自慢げにそう告げた。シオンは真っ赤だ。
「……どう? ギンジロー? に、似合う……かな?」
俯き、もじもじと身体の前で両手の指を絡ませているシオンの頭には、その薄紫色の髪と合わせた色合いの風変わりな帽子が、ちょこり、と載っていた。少し不格好だが、味がある。
「ほう。またえらく可愛らしくなったモンだな、シオン。そいつぁ――」
角のあった場所には、そうまるで――。
「分かったぞ! そりゃあ、あれだ。驢馬の耳だろ? ん?」
「ぶっぶー!」
途端、シオンの隣に立っている香織子が舌を突き出してからかうような表情を見せた。
「ホント、マスターって見る目ないんだから……! どう見たって兎の耳に決まってるでしょ? あたしがシオンにプレゼントしたの。シリルおばさんから編み物のやり方を教わってね」
「か――香織子、おめえがか? なかなかどうしてサマになってやがんな! えれえモンだ!」
「――っ!」
「ん? どうした?」
「……なんでもないですよーだ!」
お披露目も済んで気が済んだのか、さ、お風呂入ろ! と香織子は、まだ恥ずかしそうに真っ赤になったままのシオンの手を引いて奥へと引っ込んでしまった。
訳が分からず銀次郎は白い頭を掻く。
「年頃の娘っ子ってのは、どうにも扱いが分からねえ……」
「あははは! たぶん、ギンジローには一生分からないんじゃないの?」
その様子があまりに滑稽に見えたのか、シーノはそう言っておかしそうに腹を抱えている。
「ちぇっ。寄ってたかって年寄り馬鹿にしやがってよ」
「そういやあさ? ギンジロー? なんでもこの前、《十傑》のひとりが来たんだって?」
「え、えええ! ほ、本当ですか!?」
「ああ、そうとも! 来たんだってよ!」
シーノが身を乗り出して尋ね、スミルが目を輝かせて驚き――なぜか得意げなゴードンが頷いてすっくと立ちあがると、銀次郎を含めた四人に向けてこう言い聞かせた。
「いやな? 嫌味ったらしい役人の野郎がここの『こーひー』に難癖つけに来たところに、颯爽と現れたのさ、その《十傑》がな! で、だ――」
「あら、よく知ってること!」
亭主のことはおおよそご存知のシリルは、またはじまったとばかりにすまし顔でこう尋ねる。
「……で? そのお方の名前は何てえのさ?」
「そ、それは……! 俺もそこまでは知らねえんだが……」
「なら、黙っときなよ。もう!」
してやられた、と頭に浮いた汗をゴードンが拭いているところに、銀次郎はこう尋ねた。
「そもそもの話からして俺にゃあよく分からんのだが……その《十傑》ったあ何モンなんだ?」
「グレイルフォークの護り手、《十傑》のことですよ」
こたえたのは、常日頃から銀次郎にこの世界の知識を教える役目を仰せつかっているスミルだ。スミルはいつもの癖で、カウンターの隅に置いてあるスプーンを一〇本ほど借りて並べた。
「言葉のとおり、一〇人の英傑――この国を造り、護る一〇人の偉大なる冒険者たちのことを指してそう呼びます。……と言っても、彼ら自身も含め、全員を知る人はいないんですけどね」
「知らねえ? どうしてだね、スミル先生?」
「す、少なくとも――そのうちのひとりは、もうこの世界に存在しないからです」
「死んじまったのか!?」
「う、うーん……そう言っている人も確かにいるんですが……」
銀次郎から素直にそう問われたスミルは難しそうな顔つきをして天井を見上げた。
「……僕個人の考えでは、元の世界へ戻ったんじゃないか、って思うんですよ。たぶんだけど」
「その人も、ギンジローと同じ『異界びと』だった、ってことなの、スミル?」
「うん。どうも、そうだったらしいんだ」
スミルはシーノの問いにこたえるように目の前に並べた銀のスプーンを一本、上に滑らせた。
「《双剣》のリューリッジ。寡黙で聡明な、冒険者たちの良き教師であり、師であり父であるとも言われれた《十傑》さ。彼は、偉大なる《十傑》たちのリーダーで、この国の王であり《十傑》のひとりでもあった、グレイルフォーク王の一の親友でもあったんだよ――」
ただ――とスミルはひと息継いで、夢見るようなうっとりとした顔でこう続けた。
「――彼はグレイルフォーク王と仲間たちを率いて、この地を支配していた魔族を倒し退けた後、こう言ってこの地を去っていったと伝えられています。――私は、すべての栄誉と功績を受けるにふさわしくない《咎人》なのです、と。そしてそれらは、グレイルフォーク、君がすべて受けるべきものです、真に善なる王、この地を統べる王たるグレイルフォークが――とね」
《咎人》――と自ら名乗るからには、異世界――元の世界でそう呼ばれるに値する罪を犯したということなのだろう。しかし、スミルの話しぶりでは、そう悪い人間だとは思えなかった。
思い出した、とばかりに目を輝かせてシーノが尋ねる。
「ねえ、スミル? ジョットも《十傑》のひとりだよね?」
「そう。でもジョットさんは、リューリッジがこの地を去った後《十傑》入りした人だからね。《十傑》の中でも一番若い。《十傑》という呼び名も、実はジョットさんのあとからなんだよ」
そう言って、スミルは改めてスプーンを使って名前を挙げていく。
《双剣》のリューリッジ
《善王》のグレイルフォーク
《勇弟》のミサーゴ
《聖杖》のサンク=タスフェ
《神浄》のアイオヌス
《蛮愚》のンオム
《龍槍》のドラコスタン
《灰塵》のパルバス
《探求》のチルカトラ
《護陣》のジョット
それぞれ簡単に人となりの分かる逸話をスミルはあわせて口にしたが、他の者には分かっても銀次郎には少々難しく、また現実味の薄い話だったので覚えきれなかった。まあ、また聞けばいい。
「ミサーゴはその二つ名のとおり、王様の弟なんだ。いまだに冒険を続けているんだってさ。チルカトラは放浪者で、この世界の真実を探し、知識と知恵を求めて旅している。他の《十傑》も似たようなものだから、この町で実際に会えるのは、王様とジョットさんくらいだね」
そこでスミルは少し考えるそぶりをしてから再び口を開いた。
「ただ、話を聞いた限りでは、ここに来たっていう《十傑》は王の弟のミサーゴじゃないかと思うんだよね。……ほら、このコインに刻まれているような髭を生やしてたんじゃないですか?」
「……うむ。たしかに似てらぁ」
他の連中が大騒ぎしているなか、手にしたコインをじっと見つめてひとり銀次郎は、あんにゃろうめ、粋なことしやがって――と口元を引き上げ、にやり、とほくそ笑むのだった。
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