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第十三話 迷い子

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「ったく……しまったな」

 再び墨とすずりと筆とで一筆したため、それを店の正面の扉に貼り付けておく。そして当の銀次郎はと言うと、今は店の奥の自宅スペースの片付けに追われていた。


 あとから思えばだが、珈琲のお代と称してシーノやゴードンやスミルにちょっぴり片付けを手伝ってもらう、という選択肢もあったのだろう。だが、どちらにも日々の生活があり、こんな朝っぱらから手をわずらわせるのも悪い気がした。この世界に休日という概念そのものがあるのかないのかは分からなかったのだが、少なくとも今日出会った誰もが忙しそうだったのは事実である。結局は自分一人で何とかするしかないだろう。

「ひでえ……」

 今更ながらに思うことだが、こんな状況で良く無事でいられたものだ。銀次郎がうのていで抜け出した後の寝室は、箪笥たんすが倒れ窓ガラスが割れ、それはもう凄い惨状になっていた。

「この布団ふとんは、もう使えねえかな」

 寝返りを打った拍子に、ぶすり、というのは笑えない。幸いもう使う者もいなくなった布団があと一組押し入れに入っているから、すっかり片付けてしまった後でそれを引っ張り出すことにしよう。

「よっ……と」

 こういう時は靴を履いたままの方が怪我しなくていいのだ、と以前観たテレビ番組でやっていた。なので、銀次郎はさらなる用心として靴の上にさらにゴム長を履き込んでいる。畳が汚れてもあとで雑巾がけすればいい。まあ、それすらも年老いた身体には心底こたえるものだが。

「そうか。こいつにまとめちまおうか」


 がちゃっ。
 がちゃり。


 ふと思いつき、諦める決心のついた布団の中央に向け、あたりに散らばっている割れたガラス片をなるべく静かに放り集めていく。もう捨てると決めたのだから、最後にこのままくるんでしまえばいい。

 そうして、しばらくは黙々と作業を進めていった。





「――よし。ここはこんなモンか」

 初めは辛そうに思えて億劫な作業だったが、やってみると意外な程疲労は感じなかった。決まって悩まされる腰の強張りも全く感じない。こきこき、と首を回してみる。何だか妙な気分だった。

「ま、楽で文句を言う馬鹿はいねえってな」

 ぶつぶつ言っているうちにこの幸運が取り消しにでもなろうものなら損しかしない。銀次郎は再び作業に戻ることにした。

「とうとうあとはこいつだけだな」

 きり箪笥は元の位置に戻し終えたし、大方のガラス片もすっかり一箇所にまとめられていた。最後にこの布団そのものでくるんで縛り上げてしまえば終わりである。

「よっ、と」
「う」


 むにゅり。

 とした柔らかい感触と共に、小さな声が聴こえた。


「ん?」


 もう一度。


「っと」
「うう」


 やはり聞き間違いではないらしい。
 どうやらこの布団の中に、何か、がいる。


 今度は慎重に、そろり、と布団を剝がしてみた。

「ううう――」


 子供、だった。
 それも女の子だ。


 いくら女を見る目がないと冷やかされる銀次郎でも、今度こそは当てられる自信があった。恐らくこの女の子はまだ二、三歳だろう。

「うううう――」

 だが困ったことに、この子供はうなるばかりで一向に話そうとする気配がない。

「おい」

 それにしてもよく無事でいたものだ。さっきまでその布団の上にはすっかり覆い隠すようにして桐箪笥が倒れ込んでいたのだ。それにいくら銀次郎が飛び散らないようにそっと投げ込んでいたとはいえ、あたりはガラス片まみれである。

「ううううう――」

 だがやはり、恐ろしかったのだろう。いまだ唸るばかりのその子供は、布団の中にすっぽり隠れるようにして必死に胎児のように小さく小さく身体を丸めていた。時折、小刻みにその身体が震えている。

「ほら、こっち来い。もう大丈夫だからな」

 しわれた声音で銀次郎が囁きかけると、ぴく、と一際大きく身体が震え、そしてぴたりと止まった。

「……?」

 そのままの体勢で目だけ開く。髪の色と同じ薄紫色をした長い睫毛まつげが震えている。

こええ面、してるだろ?」

 銀次郎はそう言ってから、にんまりと微笑んだ。

「けどな。自慢じゃねえが、おっかねえのはこの面だけであとはからきしだ。ほら、おいで」

 ことさら優しい声音でそう言い、軍手を脱いだ皺だらけの手をゆっくりと伸ばすと、


 ひし。

 いきなり抱きつかれた。


「う」
「おお、よしよし。良い子だ」

 囁きかけながら、少しでも安心させようと腰近くまで伸びているきらきらと艶めいた薄紫色の髪を何度も撫でる。

「俺はな、銀次郎ってんだぞ。よろしくな」

 はじめこそ、あの大地震の際に銀次郎の家に誤って迷い込んでしまった元の世界の住人かもしれない、と考えていた。


 だが、その考えはすぐに改められることになる。


 こんな髪の色をした者など元の世界のどこを探しても見つからないだろう。この子供が身に着けている服一つとってもそうだ。デザインもさることながら、そもそも材質が想像を超えている。シルクやサテンに似た滑らかな銀色の光沢を放つそれは、手触りも質感も、そこから伝わる温度さえも金属のそれとしか思えなかった。その証拠に、二、三歳の身体とは思えない重さを感じる。むしろさっき引っ張り起こしたばかりの桐箪笥の方が軽く感じたくらいだった。

 その重さを苦にも感じない今の自分自身の体力にも疑問は生じていたが、それをつい忘れてしまう程、この女の子には異世界の住人であると確信させる特徴があったのだ。



 それは――。



 、というだった。


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