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第455話 サニー・デイ・ホリデイ(4) at 1996/2/12
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「あったかいもの、買ってきたよ。カフェオレとミルクココア、どっちがいい?」
「あたしはココアで」
「はい」
「うん、ありがと」
鎌倉文学館をあとにした僕らは、今度は由比ヶ浜大通りを右に曲がって『長谷寺』目指して進み、つき当りを左に曲がると、途中踏み切りをわたってゆるやかな坂を下っていった。
やがて、海が見えた。
由比ヶ浜だ。
そして今は、道路脇から砂浜へと降りる階段に、純美子と並んで腰を下ろしていた。そういえば純美子は短めのフレアスカートだったっけ、と思ったけれど、厚手の同色のタイツを履いていたし、そもそも砂浜にはひとっ子ひとりいないので大丈夫だろう。
「ふぅ……やっぱり寒いね。冬、ってカンジ」
「嫌だった?」
「ううん。くっついていればあったかいもん」
ざ、ざん。ざざざ――波は繰り返し、打ち寄せてはまた、引いていく。
キラキラと陽光を映す波の色だが、やはりどこか重く鈍色で物悲しい。
ベージュのトレンチコートに包まるようにして隣の僕に寄りかかりながら、純美子はココアの缶にひとくちつけて、ほぅ、と白い息をはいた。それから海を見つめてつぶやいた。
「……オトナになんてならなければいいのに」
「どうして?」
「うん――」
純美子の横顔をじっと見つめると、その大きな瞳に水平線が映っていた。
純美子は言う。
「この前ね? 声優学校の先生に言われたの。『もし本気でプロを目指すつもりなら、私生活は二の次にしないと、どっちもダメになるよ』って。先生、知ってるの。あたしがケンタ君と付き合ってること。アイドルじゃあるまいしカンケイないです、って言ったら、違うよ、って」
そんなハナシはいずれ出てくるだろうと覚悟はしていた。
すでにこの頃は、いわゆる『声優アイドル化』が進んでいた時代だったからだ。
『第三次声優ブーム』とも呼ばれるこの時代の主役は、まだ男性声優がメインだったものの、九〇年代半ばに創刊された声優専門誌『声優グランプリ』『ボイスアニメージュ』がブーム全体を後押ししていた。一部の人気声優がアイドル的な地位へと押し上げられていくなか、アイドルから声優業に転身する者も出はじめた。
そして、ファンとリアルにつながるイベントでの顔出しもこの頃にはじまったのだった。
かつて声優は、声の演技力はあれども、舞台映え、テレビ映えする容姿が伴っていない者がなる裏方職業だと信じられていたことがある。もちろん、それはあくまでごく一部の一般的な知識しか有さない者たちの意見であって、多分に偏見が含まれているのだろう。
が、この『声優アイドル化』の弊害は、そこにも少なからずの影響を及ぼすことになってゆく。
「ならなくていい――オトナになんて」
純美子は立てた膝の上に顎を載せて、水平線の遠く彼方を見つめながらつぶやいた。
「河東はビジュアルもいいんだし実力もついてきたから、だってさ。じゃあ、先生、あたしが事故で、顔を失くしたら価値はなくなるんですね? って聞いたら、フクザツそうな顔してた」
「スミちゃん……」
「あたし、自分が美人だなんて思ったこと一度もないのに。もっとステキな子たちがまわりにいたんだもん。ううん、違う――きっと違うんだね。先生が見てるのは、価値があるかどうか」
「スミちゃん……」
「オトナって汚い。でも、もうすぐそんなオトナになっていくんだ。あたしも……ケンタ君も」
純美子は、ぺちん、とプルタブを弄び、すっかり冷え冷たくなった缶を頬に当ててつぶやいた。
「ねえ、ケンタ君? その時がやってたら、あたしはちゃんと正しい選択ができるのかな――」
「あたしはココアで」
「はい」
「うん、ありがと」
鎌倉文学館をあとにした僕らは、今度は由比ヶ浜大通りを右に曲がって『長谷寺』目指して進み、つき当りを左に曲がると、途中踏み切りをわたってゆるやかな坂を下っていった。
やがて、海が見えた。
由比ヶ浜だ。
そして今は、道路脇から砂浜へと降りる階段に、純美子と並んで腰を下ろしていた。そういえば純美子は短めのフレアスカートだったっけ、と思ったけれど、厚手の同色のタイツを履いていたし、そもそも砂浜にはひとっ子ひとりいないので大丈夫だろう。
「ふぅ……やっぱり寒いね。冬、ってカンジ」
「嫌だった?」
「ううん。くっついていればあったかいもん」
ざ、ざん。ざざざ――波は繰り返し、打ち寄せてはまた、引いていく。
キラキラと陽光を映す波の色だが、やはりどこか重く鈍色で物悲しい。
ベージュのトレンチコートに包まるようにして隣の僕に寄りかかりながら、純美子はココアの缶にひとくちつけて、ほぅ、と白い息をはいた。それから海を見つめてつぶやいた。
「……オトナになんてならなければいいのに」
「どうして?」
「うん――」
純美子の横顔をじっと見つめると、その大きな瞳に水平線が映っていた。
純美子は言う。
「この前ね? 声優学校の先生に言われたの。『もし本気でプロを目指すつもりなら、私生活は二の次にしないと、どっちもダメになるよ』って。先生、知ってるの。あたしがケンタ君と付き合ってること。アイドルじゃあるまいしカンケイないです、って言ったら、違うよ、って」
そんなハナシはいずれ出てくるだろうと覚悟はしていた。
すでにこの頃は、いわゆる『声優アイドル化』が進んでいた時代だったからだ。
『第三次声優ブーム』とも呼ばれるこの時代の主役は、まだ男性声優がメインだったものの、九〇年代半ばに創刊された声優専門誌『声優グランプリ』『ボイスアニメージュ』がブーム全体を後押ししていた。一部の人気声優がアイドル的な地位へと押し上げられていくなか、アイドルから声優業に転身する者も出はじめた。
そして、ファンとリアルにつながるイベントでの顔出しもこの頃にはじまったのだった。
かつて声優は、声の演技力はあれども、舞台映え、テレビ映えする容姿が伴っていない者がなる裏方職業だと信じられていたことがある。もちろん、それはあくまでごく一部の一般的な知識しか有さない者たちの意見であって、多分に偏見が含まれているのだろう。
が、この『声優アイドル化』の弊害は、そこにも少なからずの影響を及ぼすことになってゆく。
「ならなくていい――オトナになんて」
純美子は立てた膝の上に顎を載せて、水平線の遠く彼方を見つめながらつぶやいた。
「河東はビジュアルもいいんだし実力もついてきたから、だってさ。じゃあ、先生、あたしが事故で、顔を失くしたら価値はなくなるんですね? って聞いたら、フクザツそうな顔してた」
「スミちゃん……」
「あたし、自分が美人だなんて思ったこと一度もないのに。もっとステキな子たちがまわりにいたんだもん。ううん、違う――きっと違うんだね。先生が見てるのは、価値があるかどうか」
「スミちゃん……」
「オトナって汚い。でも、もうすぐそんなオトナになっていくんだ。あたしも……ケンタ君も」
純美子は、ぺちん、とプルタブを弄び、すっかり冷え冷たくなった缶を頬に当ててつぶやいた。
「ねえ、ケンタ君? その時がやってたら、あたしはちゃんと正しい選択ができるのかな――」
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